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俺の遺言を聴いたから

「このブログ勉強になるから読んで参考にしてみてよ」

この一言がなかったら、今の僕はいなかっただろう。

2017年の春だったろうか、当時付き合っていた彼女に「読まされた」のがヒデヨシさんの「俺の遺言を聴いてほしい」というブログだった。

これは彼の代表作とも言える記事だ。ヒデヨシさんは主に恋愛に関するブログを書いていて、そのどれもが非常に面白かった。そんなブログを当時の彼女が勧めてきたのは、僕が男子校を卒業して大学に入ったばかりの立派な「非モテ」だったからだ。

女の子をレストランでソファ席に座らせることも知らない、男が車道側を歩くことも知らない、ヒールで長い距離を歩かせると脚がボロボロになることも知らない。そんな僕を見かねて読めと送ってきたのが彼のブログだった。

ヒデヨシさんのブログにはこのような非モテの特徴が詳細に描かれており、それと対照的なモテる男の魅力の本質などが語られていた。最初は「こんな机上の空論なんて読んでてつまらないだろ」と斜に構えていたのだが、次第にのめり込むようになっていった。「このブログを読めばモテる!」と盲信したからではない。純粋にヒデヨシさんの書く文章が面白かったからだ。

男子校で思春期を過ごした多くの男子と同様に、僕の青春からは「恋愛」という大事なパーツが抜けていた。その抜けたパーツを埋めるべく、男たちは部活や勉強に打ち込むのだが、代わりに僕が打ち込んだのは読書だった。もちろん勉強も部活も一生懸命打ち込んだけど、その合間に貪るようにして小説を読んでいた。ヘッセの「車輪の下」、スコットフィッツ・ジェラルドの「グレート・ギャツビー」、村上春樹の「ノルウェイの森」。いろんな小説を読んだ。その小説の多くがハッピーエンドではなく、暗い結末を迎える話だった。

しかし、その暗い結末の中にも、微かに香る美しさがあった。恋愛の儚さ、人の一生の小ささ、世の中の不平等さ。そういった本来忌避されるべきマイナスの概念にさえ美しさを感じさせる名文たちに触れながら、僕は大人になっていった。

そしてヒデヨシさんの文章には、そんな儚い美しさがあった。

クラブでナンパする話にも、一度ワンナイトした女の子と連絡が取れなくなった話にも、大学受験で浪人した話にも、社会人になって忙しすぎてストレスでおかしくなっていた話にも。そこには微かに香る侘しさがあった。ただの自慢話でも、事実の羅列でもない、本当に経験した人間にしかかけない真実の儚さがそこにはあった。

こうして僕は一冊の長編小説を読むかのように、ヒデヨシさんの全部の記事を読んだ。2014年から書き綴られた、1,000にも及ぶ記事を。


そしてほとんどの記事を読み終えたある日、こう思った。

「もしかしたら、僕にも書けるんじゃないか。」

こんな文章が、僕にも書けるんじゃないかと思った。人を魅了する文章が、どこか寂しさを感じさせる、嘘のない文章が、きっと僕にも。

そして程なくして僕は「意識高い系中島」という名前で、はてなブログにブログを書き始めた。大学3年生の、2018年1月のことだった。


「俺の遺言を聴いてほしい」というブログに出会わなかったら、今の僕はいなかった。まさかブログを書こうだなんて思わなかっただろう。当時の彼女とは、このブログを勧められて程なくして別れた。しかし「俺の遺言を聴いてほしい」は僕に多大なる影響を与え続けた。最初の2年間はほぼ毎日ブログを書いていたのも、同じようにハイペースでブログを書き続けていたヒデヨシさんの影響だった。僕にとってのブログとは、ヒデヨシさんのようにほぼ毎日ものすごい濃い文章を書くものであり、リアルな体験の塊であり、一つの文学作品とも呼べる完成度を備えたものだった。それは今に至るまで僕の文章にも大きな影響を及ぼしている。

そして、この話にも儚い終わりがある。実はヒデヨシさんは2019年の12月29日を最後にTwitterを更新していない。

それでもブログだけは更新していたのだけど、そのブログも2020年の5月4日を最後にぱったりと止まってしまった。

彼は今、何をしているのだろうか。結婚し、幸せな生活を送っているのだろうか。はたまた独身のまま、夜の東京を歩き続けているのだろうか。答えは誰も知らない。

ただ一つ言えるのは、彼のブログは僕の人生に多大なる影響を与えたということだ。今こうして僕が前向きに楽しく生きることができているのは、「俺の遺言を聴いてほしい」に出会ったからだ。

仮に僕が明日死んでも誰も気づかないだろう。明日死んでTwitterやInstagramやブログの更新が止まっても、2ヶ月3ヶ月は誰も気にも留めないはずだ。半年くらい経ったところで誰かが「そういえばあいつ更新してないな」と気づくかもしれないけど、それだけ。別に僕がいてもいなくても、世界は何も変わらないから。

それでも。僕が書いた文章が、この広い世の中の誰かに、ちょっとでもいいから前向きな影響を与えられていたらいいな、とは思う。他人に影響を与えたいなんておこがましい考えは捨てたけど、それでも少しは思う。きっとヒデヨシさんのブログを読んでいた人の多くは、もうとっくに彼のことは忘れている。しかし、僕は覚えている。今の僕があるのは、ヒデヨシさんのブログがあるからだと。この先もずっと忘れないだろう。

顔も名前も知らない人間が書いた文章が、どこかのリアルを生きる生身の人間に影響を及ぼすなんて、変わった世の中だ。変わってるけど、そんな関わり方だってあってもいいだろう。そう、人生は自由なんだから。

久しぶりに「俺の遺言を聴いてほしい」をパラパラ読んでみる。やっぱり面白い。僕の原点は、やっぱりここなのだ。彼を越えようとは、そもそも比べるものじゃないから思わないけど、初めて彼のブログを読んで心躍ったあのときの感情を、僕のブログを読む皆さんにも感じてもらえたらなと、ささやかながら思っている。だから、僕はまだまだ書いていこう。明日、消えるかもしれなくても。それでもまたちょっと書いていこう。

それでは素敵な1日を。



最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!