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孤独を楽しむには「創作」がうってつけ

「一人でいる時間が暇で耐えられない。どうすればいいか。」という質問が質問箱によく来る。今までは「自分が好きなことをやろう」という、本進化つ本質だと思う答えをしていた一方で、好きなことが見つかってない人はどうすればいいんだろうかと、少し考えていた。

そんな中、先日読んだ森博嗣の「孤独の価値」という本に、創作は孤独をもっとも楽しくするという一文を見つけた。

今の僕があるのは、森博嗣のおかげだ。中学2年生の時に、表紙の美しさに目を惹かれ手にとった「スカイクロラ」に僕は衝撃を受けた。美しく、無駄のない洗練された文章。文体から滲み出るこの世の儚さ。当時、部活の仲間と上手くいかず図書館で理科系の本を読みあさっていた僕に、彼の文章が刺さった。

以後、僕は森博嗣のファンになり、彼の著作はなるべく読むようにしている。今の僕の人格形成に大きな影響を与えているのは間違いなく森博嗣の本たちである。

そんな彼が孤独について論じたのが「孤独の価値」である。森博嗣自身、誰よりも孤独な環境を好み、研究や執筆活動に勤しんできた。

「創作は孤独をもっとも楽しくする」

この言葉の意味は、この僕でも分かるところがある。結局のところ、何かいいアイデアというものは孤独な環境でしか生まれない。誰かと議論をしていても、その場をあっと沸かせるアイデアはふとした瞬間に誰か一人の頭に浮かんだものであり、複数人の頭に同時に浮かぶものではない。

チームで優れたアイデアが出せたとしても、それは特定の個人が思いついた素晴らしいアイデアを発端として、残りのメンバーが意見を出していったにすぎない。

何か新しいものを生み出すのは、孤独な環境でしかありえないのだ。

そして孤独な環境において、人の創作能力はもっとも高まる。僕自身、なぜ執筆活動をはじめたのかと言えば、一人の時間が多くて暇だったからだ。一人、机に向かう。パソコンに向き合う。すると書きたいことが次から次へと湧いてくる。思いのままにキーボードを叩き、自分の思い、考えをぶつけ、世の中に放つ。

この一連の作業は一人でしか為し得ない。誰か隣にいて、ああだこうだと話し合っていては、とてもじゃないがオリジナリティのあるものは書けないし、書いたものも二人の意見を折衷した中途半端なモノしか生まれない。

そして人生の楽しさというのは、この創作の楽しさを知っているかいないかで大きく異なると思う。

森博嗣も「孤独の価値」で話していたが、多くの人は創作を何かハードルの高いものと勘違いしている。絵を描いて個展を開いたり、文章を書いて紙で本を出したり。それは自分には無理だ。関係ない。と思っている人が多い。

しかしそうではない。例えばこのnoteも立派な創作だ。誰も書いたことがない文章を、自分の思いのままに書いている。もちろん、部屋で一人。周りには誰もいない。暗い部屋でコーラを飲みながら、パソコンに向かう。果たして僕は、寂しい孤独な人間だろうか?

側から見たらそうかもしれない。友達がいない、つまらない人間かと思われるかもしれない。しかし僕は今、心の底からこの創作活動を楽しんでいる。一人でいる寂しさなんてものは何もない。暇ですらない。書いている今は、一心不乱にキーボードを叩きながら、自分の思いをどうすればより多くの人にダイレクトに届けられるのか、僕は今何を伝えたいのかを頭の中で高速でグルグル回しながら、ひたすら書いている。

この瞬間こそが、僕にとって、いや、創作するものにとっての血湧き肉躍る瞬間なのだ。そしてこの瞬間は、一人でいる時にしか訪れない。誰かと一緒にいるときに、この興奮は味わえない。だからこそ、僕は一人の時間を大切に思う。誰かと時間を過ごすことも楽しいけど、一人の時間でしか、真に意義のある創作はできない。

もし今、何もすることがなく手持ち無沙汰な人は、ぜひ創作をしてみてほしい。試しにパソコンに向かって、何か書いてみてほしい。書きたいことがないなんてことはない。今自分は何を考えているのか。さっき食べた夜ご飯はなんだったのかでもいい。なんの勉強をしているのか、この前見た映画はどうたったのか、将来の夢はなんなのか。本当になんだっていい。

書きたいことを書こう。それは立派な創作だ。

さあ、一人の時間がある今こそ、創作をしてみよう。


最後に、Twitterでいいねの数だけ本を勧め続ける企画やってるのでよかったらのぞいてみてください。


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