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キミはいいもん?それともわるもん?僕は...

「ケーンヂくん、遊びましょー。」

不気味なマスクを被った男率いる謎の宗教結社「ともだち」。巨大な悪の組織に立ち向かうケンヂたち。そして流れるT-Rexの”20th Century Boy”。気味の悪さ以上に少年心くすぐるストーリーで今も高い人気を誇る「20世紀少年」 の劇場版が公開されたのは、僕が小学生の頃だった。

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怖がりでホラーが全く見れなかった僕にとって、20世紀少年はギリギリ見れるレベルの怖さだった。そんな本作品には物語の鍵を握るサダキヨという人物が登場する。

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これまた不気味なお面を被った彼は臆病で人見知りで、いじめられっ子だった。そんなサダキヨはしきりにこんなセリフを言っていた。

「キミはいいもん?それともわるもん?」

事あるごとに、僕は彼のセリフを思い出す。僕はいいもんなのだろうか。いいもんになれたのだろうか。それともわるもんになってしまったのだろうか。

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実家から走って5分にある公園にドブ川があった。今はコンクリートで埋め立てられて跡形もなくなってしまったけど、当時は汚いながらザリガニやカエルが住んでいて、少年たちの格好の遊び場だった。小学校5年生のとき、僕は昆虫採集にハマっていた。毎日学校から帰るなりランドセルを投げ捨て近所の原っぱに向かい、カマキリやバッタ、チョウやトンボを捕まえては片っ端から家に持って帰り、飼っていた。虫の苦手は母は毎回絶叫していたが、息子の好奇心には勝てなかった。玄関の一角にはいくつも虫かごが重ねられ、いつもゴソゴソと中で生き物がうごめいていた。

そんなドブ川で事件が起きた。同じ小学校の少年たちが、爆竹をザリガニにつけて爆破させて遊んでいるというのだ。子どもながら、それは許せない行為だと僕は怒り狂った。生命は尊い、なんて高尚な考えは持っていなかったけど、何も抵抗することができないザリガニの命を粗末に扱う行為に言いようのない怒りを覚えたのだ。

すぐに犯人は分かった。僕より一つ下の学年のサッカー少年達だった。僕は野球少年で、ドブ川のある公園でいつもサッカークラブの人たちとグラウンドの取り合いをしていた。彼らの数名が夕方、人気のなくなった公園でザリガニを爆破させて遊んでいたのだ。

ある日の夕方、いつものように友達と公園でキャッチボールをしていると隅の方からパチパチと爆竹が弾ける音が聞こえた。来た。あいつらだ。

「ちょっと行ってくる」

グローブを置いた僕は音のする方へ走り出した。そっと物陰から見ると、いた。無抵抗のザリガニに爆竹を巻き付け、笑いながら次々に爆破させているではないか。おまけにザリガニだけに止まらず、そこにはカエルも何匹かいた。とりあえず爆竹で手当たり次第に殺しているのだ。

僕より学年が下とはいえ、5人ほどがその場にいて、1人で出ていく勇気はなかった。すると着火する火がなくなったのか、「火、買いに行こうぜ」とみんなでその場から立ち去っていった。

「今しかない」

ザリガニやカエルを助けるため、急いで駆け寄った。黄色いバケツの中にはたくさんのザリガニとカエルが詰め込まれ、牢屋に入れられた自由を渇望する囚人のように天を仰いでいた。周囲には爆破で飛び散った彼の亡骸が散財していて、生臭く、気分の悪い光景が広がっていた。

「今助けてやる」

僕はバケツを抱えて、ドブ川までの道を走った。

「おい、何してんだよ」

ハッと振り返ると、さっきまでキャッチボールをしていた友達だった。

「あいつら皆殺しにしようとしてるから、逃すんだよ」

「いいじゃん、別に。放っておけよ。」

「それはできないよ。だって、かわいそうじゃん。」

「知らねー。俺帰るわ。」

友達は生き物に興味がなかったから、面倒なことに首を突っ込むなと僕に忠告した。それでもここまで来たら引き返せない。ドブ川に到着すると、勢いのまま、バケツをひっくり返した。

状況を飲み込めないザリガニたちが、茶色く濁ったドブの中に沈んでいった。僕にお礼をいうでもなく、何をするでもなく、各々自由な方へ進み、やがてドブの底に沈んでいった。

見届けるやいなや、少年たちの場所まで急いでバケツを戻しにいった。まだ少年たちは帰ってきていなかった。そっとバケツを置いて、公園の草むらを横切りながら、自転車が置いてある駐輪場まで向かう。

陽が沈んだ公園は街灯の明かり以外真っ暗で、あたりは静寂に包まれていた。夕方、生き物は息を潜める。この公園に住むバッタも、カマキリも、チョウも、コオロギも、みな息を潜める。聞こえるのは落ち葉を踏み締める足音と、静かに高揚した呼吸だけだった。

家まで自転車をこぎながら、不思議な感情に襲われていた。僕は僕の信じる正しいことをしたはずなのに、なぜか心が晴れなかった。ザリガニの命を救ったという誇らしい気持ちはどこにもなく、何か悪いことをしたかのようなモヤモヤがいつまでも離れなかった。

僕は一体、何がしたかったのだろうか。ザリガニにお礼を言って欲しかったのだろうか。生命の尊さを少年達に分からせたかったのだろうか。

あの場に戻った少年たちは、どんな会話をしたのだろう。苦労して集めたザリガニがいなくなっているのを見て、憤っただろうか。誰かが逃したに違いないと、血眼になって犯人探しを始めたのだろうか。

一つ言えることは、僕がした行為によって幸せになった人間は誰もいない、ということだ。少年たちは娯楽を奪われ、友達は僕を変なことをするやつだと不思議がり、肝心の僕本人は正義を実行した快感どころか得体の知れない不快感に襲われている。確かにザリガニの命は助かったけど、当のザリガニは自分が救われたことすら気づいてないだろう。むしろ弱肉強食の世界だから、彼らはあそこで爆破されるのが運命だったのかも知れない。


「キミは、いいもん?それとも、わるもん?」

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家の前に自転車を止めると、近くの木の影に目が行った。そこに、サダキヨがいた気がした。僕はいいもんなのか、わるもんなのか、どっちなんだろう。

僕は、ザリガニにとってはいいもんでも、少年たちにとってはわるもん?

いつだって人間は、いいもんでもあり、わるもんでもある。

物事には二面性がある。唐揚げでさえ嫌いな人がいる。万人に好かれることはそもそも不可能で、その逆も然り、万人に嫌われることも不可能なのだ。

僕は誰かにとってのいいもんで、誰かにとってのわるもんなのだ。

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ザリガニを逃した翌年の夏、劇場版20世紀少年の3部作が完結した。あれから12年が経って、僕は24歳になった。それまでの人生の倍生きたと思うと感慨深い。あれから12年、誰かにとってのわるもんでも、誰かにとってのいいもんである方が多ければ嬉しいなと、当時を思い出してふと感じた。

それでは素敵な1日を。



最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!