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FIREについてまだ社会に出てない大学生のくせに考えてみた

"FIRE"という言葉をご存知だろうか。これは"Financial Independence Retire Early" 「経済的に自立して早期に退職」の略で、簡単に言えば早いうちにセミリタイアし仕事をやめ、残りの人生を好きなことだけして過ごすという生き方だ。年間支出の25倍の資産を築き、あとは年利4%で資産を運用していけばFIREできるというのが最もメジャーなFIREの定義らしいが、その基準は人によっては様々だ。たとえば年間支出が300万円ならその25年分で7500万円の資産を築いて年利4%で運用すればFIREを達成できたことになる。仕事をやめても貯めたお金で残りの人生を好きなことだけして過ごすという生き方がFIREだ。

このFIREについてどう思うかという問いが質問箱に来た。それまでFIREという言葉は聞いたことがあったがその意味までは知らなかったのでこれを機に調べてみた。なるほど。若いうちに稼いで残りの人生はのんびり優雅に過ごすという生き方は確かに楽しそうだ。若いうちに稼ぐといっても、年間支出の25倍ならそこまで難しくもない。僕は高いファッションや車や腕時計に一切興味がない。おまけに食事も筋肉を大切にする低脂質なものを心がけているので、週末に友達や恋人と会うとき以外はほぼ自炊なので全くお金がかからない。家賃も込みで20万円あれば楽しく暮らせるし、余ったお金で年に2回は海外旅行にも行けるだろう。そう考えると年間支出は20万円×12ヶ月で、240万円。それに25をかけると6000万円になる。これくらいならどんなに遅くとも30代では余裕で達成できそうだ。

が、しかし。自分は果たしてFIREしたところで幸せなのかと聞かれると、それは絶対にノーだ。なぜなら現在進行形でFIREみたいな生活を送っているのだが、どうもそこまで楽しくないのだ。

僕は現在大学4年生で、ご存知の通り春学期は全てオンライン授業でずっと家にいる。片道2時間通学から抜け出すため大学近くに家を借りて住んでいる。今年度の学費も払い終え、卒業までの家賃も確保した。食費や交際費、たまにする旅行のお金も大丈夫そうだ。要するに大学卒業までは仕事をしなくても生きていけるくらいの資金を確保できたのだ。これはなんちゃってFIREな状況である。

理系ではあるが研究内容もそこまで難しくないため、のんびり進めている。授業も先日で全て終わり、卒業に必要な単位は取り終えた。あとは卒論を出すだけだ。

というわけで最後のレポートを出し終えてから数日、この執筆の仕事もいったん放棄して勉強もやめ、のんびり朝起きて好きなものを食べて筋トレしてスタバでコーヒーを飲んで読書して、家でNetflix観て、近所の美味しいレストランで一人ご飯を食べて寝るみたいな生活をしてみた。


が、つまらなさすぎて三日で気が狂いそうになってしまったのだ。まず何が一番しんどいかというと、ワクワク感が全くない。一見、平穏無事なように見えるが、平穏無事すぎて生きてる気がしないのだ。のんびりNetflixを観てても、スタバで本を読んでいても、何も興奮しない。ただ提供されるコンテンツをだらだら消化しているだけで、僕の方から何も生み出すことができていない現実に嫌気がさしたのだ。

まさに「僕らはみんな生きてるが〜生きている気がしないんだ〜」状態だ。ただ垂れ流される情報を適当に処理するだけだと、何も気分が高揚しない。生きてる実感がないのだ。

そしてただ生きるためだけにお金を消費するのは精神的にも良くない。当然ならがら働かない限りお金は増えない。自分で仕事をして、社会に価値を提供して、利益を得ない限り、お金を稼ぐことはできない。ただ明日も食べるためだけにお金を使っても、当然のことながら増えることなく減っていく一方で、僕はそのことに「このままお金をダラダラ垂れ流していいのか」という危機感を覚えてしまったのだ。

僕は刺激中毒者(ジャンキー)だ。日常生活で、何かワクワクすることがないと生きてる気がしない。自分が書きたいことを書いて、まだこの世に存在しない文章を作り上げて世に放つ。これはとってもワクワクする営みなのだ。せっかく魂込めて書いたものも、誰にも読まれないかもしれない。読まれたとしても「こんなのちっとも面白くない」とボコボコにされるかもしれない。しかしその恐怖を乗り越え、世に出してこそ初めてその価値が分かるのだ。自分から何も生み出さない生活には何のワクワクもない。

執筆だけでなく、人と会うことだって大切だ。授業も全部オンラインで、今はたまにしか人と会う機会がない。誰とも会わずに家でのんびり過ごすこともできるが、それだとやっぱりワクワクが少ない。自分が考えていることや最近あった楽しいことを人と話して、そこで思いもよらない発見があるかもしれない。「思いがけない幸運」のことを「セレンディピティ」と呼ぶ。このセレンディピティは一人で家でじっとしていても出会えないのだ。外に出て、人と会って、会話をして初めてセレンディピティが顔を出す。

FIREという新しい生き方は、心から穏やかな生活を望んでいる人にはぴったりかもしれない。しかし僕のような刺激中毒者(ジャンキー)にはどうにもつまらない、起伏のない生き方すぎた。せっかくこの世に生まれたのなら、脳ミソがちぎれるくらい頭を使って考えて、馬車馬のように働いて何か価値を生み出したい。受け身ではなく、想像力のある人間として価値を作る側にありたい。そして使いきれないほどお金を稼いでみたい。目標はデカければデカいほどいい。まだ20代前半にして"守り"のライフプランを考えるのは早すぎる。せっかく体力がある今だからこそ、FIREなんて考えず、自分がやりたいことを突き詰めていきたい。

というわけで現時点で僕にはFIREは合わない。残りの学生生活でやりたいことを全部やれるよう、誰にでも平等に与えられた1日24時間を有効活用していきたい。

それでは素敵な1日を。





最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!