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目がマジな大人と会おう

弟が春から大学生になり、学生時代にやっといた方がいいことは何かと聞かれた。いつもブログでは「好きなことを好きなだけやればいい」と答えている。今も本心はそうだけど、弟の質問なのでもうちょっと具体的に考えてみた。

そして「目がマジな大人に早めに会おう」と伝えた。これは真理だと思う。

私は20歳まで楽しそうな大人に出会ったことがなかった。父親は会社の仕事が心底嫌いで嫌々会社に行ってたし、バイト先の学習塾の塾長はいつもダルそうに授業をしていて、こんなつまんない仕事やってらんねえよと愚痴っていた。身近にいる社会人が父親と塾長だけだったから、大人になるってこんなに退屈なことなのか、ずっと学生のままでいたい、働きたくないなと思っていた。せっかく受験を頑張って世間一般的に優秀とされる大学に入っても、楽しい未来なんてありゃしないのかな。20歳の私は希望を抱けずにいた。毎日大学と塾の往復で、これを繰り返して大学生活が終わってしまうのだろうかと。

そんなある日、高校の部活の友達に誘われて飲食店でアルバイトを始めた。

六本木にあるお店で、まだ店舗数は2店舗しかなく、規模の大きなお店ではなかった。塾のバイトも飽きてきたし、せっかくなら都心の一等地の飲食店で働いてみたいなと思っていたからピッタリだった。

さっそく面接を受けにお店に行くと、社長が出迎えてくれた。彼はまだ入るかどうか分からない私に、「俺はこの店を日本一のブランドに育てたいと思っている」と言った。私は何がなんだか分からなかった。ブランドを日本一に?飲食店で日本一って、どういうことだ?料理を出してお金をもらって、回転率を上げて客単価を上げたりして、可能な限り儲けるのが正解じゃないのか?彼は何を言っているんだろう。

そのお店はまだ日本人に馴染みのない中南米の料理を出していた。面接のときに初めてその料理を食べた。今まで食べたことがない味で、心の底から美味しいと思った。その味に感動したのと、六本木という立地に心を惹かれ、私はアルバイトを始めた。

ただ、最初のうちはただのアルバイトでしかなかった。大学の帰り道にお店があったから、授業やサークルの都合がいい日に3,4時間だけシフトを入れて、ちょっと働いたら帰っていた。お店のビジョンは聞いていたけれど、たかがバイトに何ができるんだろう、とりあえず仕事を覚えてミスをしないようにしよう、それくらいにしか考えていなかった。

社長は私が働き出してからも変わらなかった。会うたびに「調子はどう?」と声をかけてくれた。二言目には「また良いアイデアが閃いたんだよ。俺はこの店を日本一にするぞ」と言っていた。

最初は疑っていた。社長は私の父親と同い年で、もう50歳を超えてるのにそんな大きな夢を語るなんて、本気なのだろうか?と。私みたいな何も知らない無知な大学生を騙して、結局こき使うだけなんじゃないか?大体、夢で飯は食えないじゃないか。私のような大学生をできるだけ安い時給で長時間働かせてコストを下げて、利益率を上げようとしているんじゃないか、と。

事実、私が働いていた塾はそうだった。契約上は授業時間外の準備の時間も時給は発生するはずなのに、暗黙の了解で申請してはいけないことになっていた。塾長はただの大学生の私たちに過度な責任を押し付けた。大学生のバイトだと名乗るのを禁止し、大学を卒業して塾に就職した正社員として生徒や保護者と話をするように命じられた。私は違和感を感じ得なかったが、いいように騙された同じバイトの大学生たちは、私たちがいないと生徒の将来が悲惨なことになってしまう、と身を粉にして働いていた。塾のバイトにのめり込んで留年したり、何ならそのまま塾に就職した人もいた。早稲田とか一橋に所属していた優秀な人たちだった。人生に正解は無いから彼らが良しとするならそれが正解である。が、もっといろんな選択肢が外の世界にはあったんじゃないかなと今でも思う。

だから、そう簡単にアルバイト先の人たちを信じることができなかった。みんな本当に良い人だった。社長以外のスタッフのみんな誰一人例外なくポジティブで明るくて、希望を持っていた。対する私は、人生は苦難が多く、利害関係によって人は繋がり、離れていくものだと思っていた。私に対する優しさの裏で、何かしらの対価を求めているのではないか。そんな猜疑心が心の片隅に残っていた。

半年ほど働いたある日、社長が自宅に呼んでくれた。一緒にご飯を食べようと。私を紹介してくれた高校の部活の友達と一緒に、お店の近くにある社長の家に遊びに行った。奥様とお子さんと3人で住まわれてるマンションで、バルコニーからは東京タワーが見えた。

美味しい料理とお酒をいただきながら、社長はなぜこのお店を作ったか、なぜ日本一のブランドを目指すのか、今に至るまでの歴史を私に語ってくれた。会社を辞めた話、アメリカで暮らした話、そこで出会った衝撃的な中南米の食文化、奥様との出会い、六本木にお店を出すまでの苦難の連続。

映画だった。私は、一本の映画を見ていた。いや、聞いていた。昔のアルバムを引っ張り出して、社長は私たちに話してくれた。写真を見ながら、当時の光景がありありと思い浮かんだ。

そして社長の目は、ずっとマジだった。話ている間も、ずっと。マジだった。

そのとき、気づいた。間違っていたのは私だったのだと。社長は本気で飲食業に打ち込んでいた。いつ会っても社長の目はマジだった。面接のときも、お店の様子を見に来るときも、社長の目はいつだってマジで、ギラギラ輝いていた。私たちには笑顔で明るく話しかけてくれるけど、目の奥には火が灯っていた。マジだった。そこに嘘は一つもなかった。

働き始めて半年経って、ようやく私は気がついたのだ。この人はマジなんだ、覚悟をしている人だと。そうだ、マジじゃなかったのは私の方じゃないか。情熱もなく、無駄に猜疑心だけ強く、何でも知った気でいるだけの腐るほどいる大学生の一人に過ぎない、取るに足りない存在なんだと。

その日の帰り道、電車に乗りながら、私はずっと考えていた。なんだ、なんなんだあのエネルギーは。なんであんなに、マジなんだ。私は彼より30歳も若いのに、あの真剣さを微塵も持てていない。どうしたら彼みたいな、マジな大人になれるんだろう。そして自分を恥じた。疑いの心を持ち、真っ直ぐにマジな目を見返せていなかった自分を恥じた。私は何者でもない。何者でもないくせに、何を偉そうに他人の情熱を値踏みしているんだ。私にそんな資格はない。明日から、いや、今から、こんな自分を少しずつ変えていかなくては、あのマジな目には一生辿り着けない。

北千住駅、東武スカイツリーラインのホーム。まだ半袖が少し肌寒い6月の上旬。私は21歳だった。あのとき、人生に対する向き合い方が根底から変わった。私も情熱を向けられる何かを始めようと思った。社長のような、目がマジで、全身からエネルギーが溢れるような大人になりたいと思った。

そして始めたのが執筆だった。そのお店でバイトを始めたちょうど1年後に始めたのがこのブログだった。社長と出会わなかったら、私は今もまだ偉そうに上から目線で他人の情熱を値踏みする人間のままだっただろう。

目がマジな大人に学生時代に会えてよかったと心から思う。だから弟には大学の外の世界で、目がマジな大人と出会ってほしい。大人になることはこんなに楽しんだと、憧れることができる大人に出会ってほしい。将来の目標となる大人がいるかいないかで、未来に対する投資の仕方が大きく変わってくる。未来に希望がないと、何をしたって無駄だと怠惰を許容してしまう。いや、そうじゃない。今から準備をして、志を高く保ち行動し続けていれば、数年後大きく化けて、彼/彼女みたいな大人になれるはずだと期待ができれば、目の前のことに真剣に打ち込めるようになる。

目がマジな大人に会おう。なるべく早く。きっと君の選択肢は大きく広がるはずだ。私がそうだったのように。人生は自由であり、希望に満ち溢れている、そう社長が教えてくれた。次は、私の番だ。私が弟や、皆さんに希望があることを伝えなくてはいけない。私の目はマジだ。マジな大人であり続けたい。そしてこれからも書き続けよう。私のマジを、このブログに。

それでは素敵な1日を。



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