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知らない人に「顔見んなよ」とキレられて自分を見つめ直した話

これは六本木を散歩していたときの話なんですが、通りすがりに「用もねえのに顔見んなよ」と女性にいきなりキレられました。

21時くらいの話で、場所は六本木駅すぐの東京タワーが見える六本木交差点です。六本木に用があった帰りで駅に向かって歩いていたのですが、そのとき女性に「用もねえのに顔見んなよ」とキツい口調で怒られました。

あまりに思いがけない出来事だったので、急にキレられたことが怖くて頭が真っ白になり、振り向いて女性の顔を確認することもできず立ち去りました。というのも僕はその女性の顔をまじまじと見たわけではなく、「顔見んな!」とキレられる理由がさっぱり分からなかったんですね。

心当たりが全くない中、頭真っ白になりながら電車に向かって歩いているうちに、だんだんと心が落ち着きを取り戻してきました。

「いや、まじであの人の顔まじまじと見てないし、なんでキレられたんだ...」

「うーん、だんだんイライラしてきたぞ。なんで知らない人にあんなひどいことを言われなくちゃいけないんだ。」

やっぱり何度思い出しても見てないものは見てないんですから、あんなにいきなりキツい口調でキレられる意味が分かりません。あの女性は軽い気持ちで言ったのかもしれませんが、言われた僕の方はとっても不快です。その一言の衝撃が強すぎて電車の中でも気分は暗いままでした。

「やっぱり許せん!いきなり失礼なことをいう人だ!立ち止まって”あなたの顔なんて見てません。謝ってください!”とでも言い返せばよかったな」

と今になっては後の祭りですが、ショックから一転、ふつふつと怒りがこみ上げてきました。

しかしゆらゆら電車に揺られながらあのキレてきた女性の言葉をもう一度じっくり思い出してみると、一人の男として反省することもあるんじゃないかなと思えてきました。

というのも、これは男性・女性に限らないことですが、通りすがりに異性の顔を見つめてしまうのはよくあることです。ちょっと綺麗な、またはかっこいい異性が向かいから歩いてきたら、一瞬でも顔をじっと見てしまうことは誰しも経験があるかと思います。しかしこれだけで「人の顔を見るなんて失礼だ!許せない!」と怒るのはちょっとやりすぎな気がします。誰しも経験があることですから、それにいちいち目くじらを立てていてはキリがありません。こっちが不快になるくらい凝視していたら別ですが、少なくとも僕は全く顔を見た記憶なく、もし仮に見たとしてもコンマ1秒くらいのわずかな時間だったからです。

しかしあの女性の立場になって考えてみると、もしかしたらあの怒りは僕に限らず今まで男性の視線に嫌な思いをしてきたから生まれたものなのかもしれない気がしてきました。ほんの一瞬でしたが、あのとき僕にキレてきた女性の姿を見ました。容姿から察するに、20代後半から30代前半といったところで、カッチリした服装ではなくカジュアルな服装でした。それと21時に六本木を歩いていることから、このあたりでよく遊んでいる、または仕事帰りなのではないかと推測できます。

若い女性が繁華街を歩くとかなりの確率でワンチャンを求める男からナンパをされます。その日の六本木もいつものように男たちが通りすがりの女性をナンパしており、迷惑そうに無視している方も多数見かけました。僕にキレてきた女性も日常的に男性の物色するような視線を感じ、ナンパされていて不快に感じていたという可能性があります。通りすがりに僕の視線を感じた際、「チッ、こいつもナンパかよ。じろじろ見やがって不快なんだよ。」と怒りを感じ、「用もねえのに顔見んなよ」と僕にキレたという可能性も考えられます。

確かにナンパでじろじろ顔を見られるのは間違いなく不安です。自分に置き換えて考えれば分かります。たとえば駅で友達を待っているとき、じろじろ見てくる男がいるとしましょう。自分はナンパを待ってるわけではなく、彼氏もいて今日はただ友達と待ち合わせをしているだけです。そこにナンパ目的の男が絡んできて「ねえ、暇そうじゃん。俺と飲みに行こうよ。」なんて言われたら間違いなくグーで殴りたくなります。

「なんだよお前!誰だよ!興味ねえよ!どっか行けよ!」と。

僕だったら間違いなくキレます。こっちは友達を待っているだけなのに勘違いした男からワンチャン狙いで声なんてかけられたら不快でたまらないでしょう。あの女性もそんな経験が積み重なり、ふと視線を感じた瞬間に怒りが爆発した可能性があります。

自分主体で考えていても見えてこないものもあります。改めて女性の立場になって考えてみると、男として自分も反省しなくちゃいけないという気がしてきました。

たださらに改めて考えてみると、やっぱり通りすがりに人の顔を見てしまうのは人間の性質としてどうしようもないことだと思えてきました。女性にキレられた翌日、これは日頃ナンパで迷惑をかけている男たちに問題があるのかもしれないと反省しながら街中を歩いていたのですが、やっぱり視線は人の顔に向いてしまいます。

というのも、道を歩いてるときってぶつからないように相手の位置を確認するために顔を確認してしまうんです。その人の顔を見て、たとえばスマホを見ていたら「この人は前を向いていない。このままだとぶつかる。危ない!避けよう!」と反応できるわけです。これは動物としての本能です。向かってくるものから身を守るために必要な反応であり、それを意識的にコントロールするのはほぼ不可能です。

それ以外に誰か止まっている人のそばを通り過ぎるときも、顔を見ないのはなかなかに難しいことも発見しました。向かい合って通り過ぎる場合と同様、そばを通るときも相手との距離を把握する必要があり、その確認のために顔に自然と目が行きます。顔じゃなくて体でもいいわけですが、本能的に距離を確認する際は、一番先に顔に目が向いてしまいます。これも意識的にコントロールするのはほぼ不可能。すれ違いざまに顔を見てしまうのは人間として仕方がないことだという結論に達しました。

やはりあの女性の怒りは理不尽なものだったと僕は思います。物事には二面性があり、僕は顔をじっと見た気がなくても、女性はそう捉えていた可能性があります。女性にとっては僕は知らない人の顔を物色する不快な人物であり、警戒心から「用もねえのに顔見んなよ」という言葉が出てきたのかも知れません。しかし思いがけない失礼な言葉のせいで、こんな記事を3400字もかけて書いてしまうくらい僕は思い悩みました。

言われた直後はかなりショックでしたし、「これは僕が悪いのかも知れない」と自分の目線に注意しながら生活することになりました。一方で今まで目線に注意して生活することなんてなかったし、もし自分が女性の立場だったら顔をまじまじと見られるのはとてつもなく不快だろうなと気づくきっかけにもなったので学びにはなりました。が、やっぱりぶしつけにひどい言葉を言われた方は引きずってしまうわけです。せっかくいい気分で夜を迎えられたのにぶち壊しです。あの女性にはもう少し受け手の気持ちを考えた言葉遣いをして欲しかったと思います。わざわざ立ち止まって「すいません、視線が気になるので前だけ見て歩いてくれませんか」なんて言うのは無理だと思いますが、言葉には気をつけて欲しいなと思いました。

「用もねえのに顔見んなよ」といきなり知らない人にキレられると誰であれかなりショックです。特に心当たりがない場合はなんで知らない人からそんなひどいことを言われなくちゃいけないんだと悲しい気持ちになります。一方でそんなときは相手の立場に立って怒りを察するのも大切なことも事実です。「きっとこんな嫌な経験があったに違いない」「今日仕事で怒られてイライラしてるのかな」などなど。ワンクッション置いて考えることで、不用意にこちらもキレて喧嘩になることも避けられます。もっともいきなり乱暴な言葉でキレてくる人は相当危ない可能性があるので、不必要な争いは避けることが大切です。「あの人はまだ子どもなんだな。関わらないでおこう」と大人な対応をしましょう。

以上、今回の事件をきっかけに自分の行動を見つめ直し、相手の立場になって考えることの大切さを再確認しました。自分の思いがけない行動が失礼になってないか、相手の立場ならどう思うかを大切にしてこれからも生きていこうと思います。それでは素敵な1日を。

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最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!