見出し画像

尊敬はしても信者にならない。参考にしても妄信はしない。

地獄のような記事を見つけてしまったので、思わずいつも考えてることを書きたくなった。

「昼からお酒を飲むXさんのスタイルが、すごくカッコよく見えたんです。私も真似して、休日は昼間からお酒を飲むようにしたのですが、たったそれだけでサロン仲間は評価してくれて。」
「でも実際は、とにかく暇で……。昼から酒を飲んでFacebookの投稿をチェックする日々。とくに何もしてないんですけど、尖ったカキコミをすると、フォロワーから称賛を浴びて。ネットの中では、脱サラした成功者ということになっていました」
 そんな生活を1年半ほど続けるなかで、やがて朝から酒を一日中飲むようになり、入院。2020年には、アルコール依存症と診断された。

いつの時代になっても情報弱者をカモにする情弱ビジネスはなくならない。自分に自信がない、でも何者かになりたい、だけど一人は寂しい。そんな人がたくさんいる。彼らは同じ夢を持った同志を求め、憧れのあの人に近づくべくお金を払ってコミュニティに入る。安心感が得られるのも束の間、何かすごいことをしていそうな意識の高い雰囲気に圧倒され、「自分も何か行動しなくては」と焦り出す。焦ると人は思考を放棄する。考えることを止め、言われるまま、されるがままにお金と時間だけ奪われ、思い描いていた未来とは全く違う地獄に落ちてしまう。

ワラにもすがりたい気持ちは分かる。何者かになりたい。社会の歯車になりたくない。ありきたりな願いだが、多くの人が同じ思いを抱えている。それを否定はしない。しかしこれだけは胸に留めておく必要がある。尊敬と妄信は全く違う。そして自分を幸せにできるのは自分しかいないということを。

尊敬はしても信者にならない。参考にしても妄信はしない。

これは僕が常に守っているルールだ。僕にも尊敬している人はたくさんいる。有名人や、本の中の登場人物、頻繁によく会ってる人物など。尊敬してる人は山ほどいて、彼らのようにカッコよくなりたいという願望は常にある。しかし彼らを尊敬はしても信者にはならない。参考にしても妄信はしない。

つまるところ、誰かの後を追いかけたところで、その人を追い抜くことはできない。誰かの真似をしたところで、その人以上の人間になることは絶対に無理だ。憧れの人は、憧れられるに値する積み重ねをしてきた。その積み重ね無しに近道しようとしても、そんなに美味しい話があるわけがない。ならばと彼らと同じ努力を積み重ねようとしても、今は時代も環境も全く違う。要するに再現性がない。いくら誰かの後を追ったところで、完全に追いつくことは不可能なのだ。

だから僕は、尊敬しても信者にはならない。参考にしても妄信はしない。人間、常に100%絶対に正しいなんてことはあり得ない。誰だって間違える。ネットにおいても現実世界においても声が大きい人は目立ちやすい。自信があって成功者なんだと勘違いしてしまいがちだ。しかし声が大きいからと言って正しいとは限らない。たしかに過激なことを言えば注目は集まる。しかしその人が注目に値するかどうかは別の話なのだ。だから僕は誰かの信者にはらない。常に自分で考え、自分が選んだ道を信じる。そして選んだ道を信じられるように、適正な努力を重ねるしかない。

僕は尊敬する人を、穴が開くまで観察する。一体彼の何が魅力なのだろうか。どうして彼は成功できているのだろうか。一挙一同、一言一句、事細かにジッと見る。これが「参考にする」のマインドだ。どちらかと言えば”盗む”に近い。僕は欲の塊である。この世に生まれたからには最強になりたいと思っている。自分より”強い”人間を目の前にしたら、そいつの強さを盗んでやろうと思う。仕草、考え方、話し方、至る所に強さの理由が秘められている。参考にするとは盗むことと同じだ。いつまでも憧れている気はない。むしろ逆に憧れられるよう、 盗めるところを盗んで自分の強さに還元したい。これが参考にしても妄信しないマインドだ。「この人かっこいい!言うこと全部聞く!」だといつまで経っても金魚のウンコだ。観察して、盗んで、追い越す。これくらいハングリーじゃないと、意味がない。

さっきの地獄のような記事に出てきた人たちはそのマインドが足りてない。だから昼から酒を飲んでるインフルエンサーに憧れて会社をやめて、暇すぎて酒飲むしかやることがなくてアル中になってしまうのだ。こんなに面白いオチは聞いたことがない。お笑い芸人になれる。それはさておき、日頃から自分の頭で情報を集めて、自分の頭で考えていれば、こんな地獄は回避できたはずだ。尊敬と妄信は全然違う。何者かになりたいなら自分一人で頑張らなくてはならない。誰かと群れたところで意味のない安息感が得られるだけだ。本質的には何も変われていない。

つまるところ、自分を幸せにできるのは自分以外にいない。圧倒的努力で自分を押し上げるしか、這い上がる方法はない。または「自分にとってはこれが幸せなんだ」と自分で認める方法もある。自分が幸せだと感じるなら、それは間違いなく大成功だ。結局人生なんて自己満足。自分がいいなら何でもいい。

要するに、「何者かになりたい」「幸せになりたい」という願望に、他者は関わってこない。本来なら。なぜなら「何者かになれた」「幸せになれた」と判断するのは自分自身だからだ。しかし意志が弱かったり自信がないと、他人のものさしで自分を測ってしまう。「あの人はあんなに稼いでいるのに自分ときたら......」「あの人はフリーランスで自由に生きてるのに自分は社会の歯車だ......」自分の軸がない人はこうして不必要な比較をしてしまう。この比較こそが諸悪の根元だ。意味のない比較をして落ち込み、必要のない焦りに襲われてしまう。自分を幸せにできるのは自分だけだ。自分だけを信じよう。それ以外に道はない。

尊敬はしても信者にならない。参考にしても妄信はしない。

これを心に留めておこう。鶏口となるも牛後となるなかれ。惰性で大勢と馴れ合うより、一人でもバチバチにトガっていた方がカッコいい。

それでは素敵な1日を。



Twitter用スライド3



最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!