見出し画像

消しゴムが大っ嫌い。ただそれだけの話。

この話にはオチもなければ説教じみた一文があるわけでもない。笑える場面があるわけでも、泣ける別れがあるわけでもない。ただ僕が生まれてこのかた消しゴムが大っ嫌いで、消しゴムを避けるためなら何だってしてきたという、ただそれだけの話だ。

僕が初めて消しゴムを使ったのは、というより消しゴムという存在を認識したのは小学校一年生のときだったと思う。はて、小学校よりも前の幼稚園って消しゴムって使ったっけな?と思い返すと、どうにも記憶がない。幼稚園では色鉛筆やクレヨンでお絵描きするばかりで、鉛筆は使わなかったからだろう。小学校に入って初めて鉛筆を使うようになる。そして間違って書いたときには、消しゴムで消さなくてはならない。絵ではなく文字を書くようになった小学校一年生が、消しゴムとの初めての出会いだった。

消しゴムの何が嫌いかというと、見た目に尽きる。鉛筆で書いた上を擦ると、黒い細かいゴムが出てくる。消しカスだ。真っ黒でもなく真っ白でもなく、灰色がかったケシカス。吹いたら飛んでいきそうな消しカス。まず、これが嫌いだった。何というか、触りたくない。このゴムのカスには、鉛筆の炭素だったり、ホコリだったりが絡めとられている。そんな不潔なものに素手で触るなんて信じられない。6歳にして僕は消しゴムを、触ってはいけない汚いもの、として認識していた。

こんな調子だから、友達が消しカスを集めて練り消しを作る光景を見ては気絶しそうになっていた。あんなに汚いものを集めて、こねて、丸くして、使うなんて。なんておぞましい。僕には信じられなかった。練り消しを触った手で僕の机や椅子に触ろうものなら、全力で逃げた。そんな手で触るなよと。だから消しカスを人に向かって投げるのも、全て許せなかった。お願いだから消しゴムで遊ばないでくれ、僕はそいつを見ただけで鳥肌が立つくらい苦手なんだ。一体誰がこんなものを思いついたんだ。

とはいえ小学生なのだから、消しゴムを使わないと文字が書けないし、テストも受けられない。そこで僕はどうしたのかというと、消しゴムを使う際はティッシュに包み、裸の指が消しゴム本体に触れないように細心の注意を払ったのだ。そして消しカスを払う際には決して素手では払わず、ティッシュやプリントなどで間接的に払っていた。我ながら恐ろしいまでの執着だ。

そのうち学年が上がっていくに連れ、文房具も自由に選べるようになった。未だに消しゴムを毛嫌いしていた僕は、ついに消しゴムを使わなくなった。どうしたかというと、鉛筆をそもそも使わず、全てボールペンで書くようにしたのだ。僕は消しゴム以外にも、手につく鉛筆の色素も嫌いだった。右利きが縦書きで作文をすると、右手の横っ腹に鉛筆の黒い色素が付着してしまう。僕はこれが許せないくらい不快だった。学校で作文を書いた際は、授業が終わった後に黒い汚れがなくなるまで延々と手を洗った。今思い返すと潔癖以外の何ものでもないが、それくらいに嫌だったのだ。このストレスも、鉛筆からボールペンに変えることですっかり解決した。

これが小学校4年生のときで、あれから今に至るまで僕はシャープペンすら使わず、ほとんどのメモをボールペンで取っている。染み付いた習慣というものは恐ろしい。どうしてもシャーペンで書かざるを得ない場合、例えばマークシートのテストを受ける時などは仕方なく使うけど、できるだけ消しゴムを使わないよう、あらかじめ白紙に計算をしてから解答用紙に転記するようにしている。

まさか小学生のときに嫌いになった消しゴムを、社会人になった今も嫌いなままだなんて当時は想像もつかなかった。思い返せば、同じく小学生のときから嫌いだったトマトも、生魚も、貝も、今でも全く好きではない。本能的に苦手なものは、例え10年20年経とうとも簡単には好きになれないのだろう。

とは言え、嫌いなものがあって何か不自由があるかと言えば、そうではない。むしろ幼少期の方が不自由なことが多かった。小学生の時はシャーペンが禁止されていたし、ボールペンでノートを取ることも許されていなかった。僕は公立の学校に通っていて、給食が出た。今はどうか分からないが、当時の学校では給食を残すことは許されていなかった。どんなに苦手な食べ物があっても、完食しなくてはいけない。例えそれが、物心ついたときから匂いを嗅いだだけで拒絶反応を催すトマトであってもだ。月に一回、ミニトマトが出る日、僕は心底憂鬱だった。鼻をつまみ、味が分からないようにして、味の濃いおかずと一緒に噛み砕くことでどうにか耐え忍んでいたことを今でも思い出す。吐くほど嫌いなものでも食べなくてはいけないとは、今思い返せばかなり理不尽な教育方針だ。

今では自分で食べるものを決められる。苦手なものがあれば、そもそも頼まなければいい。居酒屋で友達が冷やしトマトを頼んだからと言って、無理して僕が食べる必要はない。消しゴムが嫌いなら使わなければいい。普通のボールペンより値は張るけど、擦れば消えるボールペンも登場している。醜い汚い消しゴムを使わずに、何度だって消したり書いたりできる。

消しゴムが嫌いで嫌いで仕方がないみたいな、何の合理性もない意地みたいなものは誰にだってあるはずで、そこには二つ選択肢がある。一つはそのまま意地を貫くか(貫いたところで得することはほぼないけど)、一つは妥協点を見つけて譲歩するか。(消しゴムの場合はシャーペンを使うようにしてどうしても間違えた所だけペンの上についてる小さい消しゴムで消すとか)

大人になると、前者の意地を貫くのがちょっとだけ簡単になる。ちょっとお金を出せば、わがままを言えば、大抵のことは解決できる。特に意味のない意地、さしてメリットがあるわけでもないこだわり、そういうものを自分1人で守り続けることができるのも、経済的に自由な社会人のメリットなのかもしれない。

消しゴムが嫌い、ただそれだけの話といいながら若干説教臭くなってしまった。恥ずかしいので最後のくだりを消そうかと思ったが、あいにく消しゴムを持ち合わせていない。仕方ないからしばらくはこのまま残しておこう。

それでは素敵な1日を。



InstagramやTwitterはこちらから。


最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!