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地元って何だ?  〜『翔んで埼玉』から三島に越してきて10余年〜

そろそろ年末ということで、今年を振り返ってみるに、
やはり今年ほど、非日常(非常)に向きあい、裏を返せば日常って何だったのかと、自分を顧みた一年はなかったのではないかと思う。

ありがたいことに、三島アドベントカレンダー12月20日(日)を任されたので、そんなことを書いてみます。

コロナで暇になったので見てみた「翔んで埼玉」

わたしも世の流れに抗いようもなく、雇止めにあい、子供は休校になり、イベント企画もすべて止まり、暇になったことを無理やりでも福に転じるべし!と、Amazon prime も大してみてないくせにNetflixまで手を出したのが、自習期間中の、まあ、私が唯一新しく始めたことかもしれない。それで見たのがこの映画でした。

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この映画を知らない方のために、超ざっくり説明すると、ひとことで言えば「埼玉(の田舎ぶり)を超絶ディスってるのに、なぜか溢れ出る埼玉愛にむせかえるような」娯楽映画作品 (←中島しらべ)。

私は、生まれも育ちも、このダ埼玉。
実家の前はこんな感じ↓。超絶のんびり育っております。

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(補足)不動産屋のチラシには、周辺の土地は「4つの駅にアクセス可能!」って書かれるほど!(=どこにも近くないw・・・・)

映画でもディスられてるんだけどw、生粋の埼玉県人である私も、東京へのあこがれが異常に強く、大人になったら東京で働くんだ!って強く思い、実家周辺の軽い訛りをひた隠しにし(笑)、そうやって都内でしばらく働いていました。

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そして、すっかり埼玉度が薄まり、都会人になったと自らを暗示にかけ笑(↑暗示の数々w)、
「デパートがないエリアなんて住めないわぁあー、どこで買い物したらいいのぉー?」くらいな嫌なヤツになったところで、夫の転勤で縁もゆかりもない「三島」にやってきた。それが2009年のことでした。

三島に来て十余年。私が得たもの

という経緯で三島にやってきた、元埼玉県人/エセ都会人の私にとって、今年は11年目の三島でした。前置きが長くてすみません。

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先に書いてしまうと、今年のこの一年ほど、三島でこの十余年で、繋がらせていただいたご縁を感じた年はありませんでした


あの日、「え?デパートどこ?」と言って三島にやってきて、繋がりゼロからの出発。最初は、頼る人も、情報を得る先も分からなかった。
当時、生後4か月の娘をつれて、日々途方に暮れていた。

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10余年たった今年、子供の学童が閉鎖され困っているとFacebookでつぶやけば、多くの方が賛同し、コメントをくださり。市長に嘆願書をだすよう隣町の経験者の友人がアドバイスをくれ、三島市の議員さんが相談にのってくれた。また一緒に行動してくれた心強い友人たち。
もう、独りじゃない。

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私が代表をつとめる母親応援団体「一般社団法人ママとね」も今年は非常に活動しにくく、どういう支援の形がよいのか迷いの一年だったが、これも多くの方に助けられた。

コロナ禍の自粛期間中に少しでも明るい話題を地域に提供したいと、伊豆箱根鉄道に「トツキトウカ」という子育て応援事業の詩と写真でジャックをしたときも、やはりいろんな方にアドバイスをいただき、繋いでいただき、予算の少ない団体のためいろいろとご協力いただいた。
少しは地域を明るくできただろうか。

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こんな中、トツキトウカ詩集発行のために集まってくれた、仲間にも感謝。おかげで、7年目の今年も無事2万部を発行し、東部各市町の母子保健課等でこの詩集は手渡しされている。

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今年は、地域密着のフリーペーパーmydo (三島・駿東版7万部発行)にも、特集を組んでいただいた。これが実現したのも、今まで繋がってくれた友人たちの、ご縁の連続の賜物である。

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今年は、動きにくかったからこそ、今まで10余年紡いできた人との繋がりに助けられた一年であり、この10余年のご縁が目に見える形で昇華したように感じる。

こんな状況になかったら、例年通り、全力で駆け抜け、ご縁や繋がりを改めて実感することもなかったかもしれない。

地元って・・・

そして、テーマに戻るけど。

映画「翔んで埼玉」を観たとき、懐かしい気持ちになり、もちろん爆笑し、あゝ間違いなく私のルーツだと思ったが、何か遠くから俯瞰して眺めているじぶんもいた。

埼玉にいたときは、私のつながりは家族・親類であり、学校であり。でもそれだけだった気がする。つながりは強固だが狭い。

いま、三島にいる私は、母として、医師として、団体代表として、単なる読書好きとして、単なる飲み会好きとして笑、あらゆるレベルで地域のいろんな方面に繋がりがある。そして、繋がりによって生かされている。

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(↑「女性活躍って言葉の気持ち悪さを飲み干しちゃう会」座談会 @風土にて。濃いぃぃぃぃ会でしたw)

だから、私の今をかたづくっているメインは、この10余年の三島での暮らしであり、いまの自分にとっての地元って、もう埼玉はかすんでいるんだなあとそんな印象を持ちました。

とはいえ、まだまだ三島でのヨソモノ感も大事にしたいと思ってる。わかんないから見えること、わかんないから忖度なく言えること、そんな私の視点がお役にたてることもあるかもと思ってる

生粋の地元民がもってるすばらしいネット―ワークをいつも惜しみなく繋いでくださる、”リアル地元”のみなさん、私と同じように途中からこの土地に来て、この地域での生活を満喫している”途中から地元”のみなさん、両方大事。みんなで地元愛を育てていけたらなーと思ってる。これからもみなさん、お世話になります。

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最後に、
『早く行くなら一人で、遠くに行くならみんなで。』

私は2021年も、”みんなで””遠く”に行きたいと思っています。

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✤中島あきこ
一般社団法人ママとね 代表理事
https://mamatone.net/
静岡ウィメンズヘルス&ウェルネス研究会(エスウェル)発起人&代表
医師・医学博士


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