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ピロウズ30周年からTwitterで活性化したバスターズ同士の交流と、その中で持ち主が発信してきたこと(前編)

こんにちは。持ち主です。

前回の記事を読んでリアクション頂いた方、ありがとうございました。

普段Twitterで発信している僕がnoteで記事を書き始めたのは、今このタイミングで「バスターズとしての自分と、ピロウズへの愛」を記録として残したかったのが主な理由です。

また、他のバスターズがそれを綴ったものも見てみたいので、皆様にもピロウズに関連するnote記事を募集して、マガジン機能で集約する企画を始めようと思っています。ピロウズに関するものであれば基本的にフリーテーマで募集します。
Twitter上で詳細発表しますので、是非執筆ご参加いただけると嬉しいです!

さて、今回は、「ピロウズ30周年の横浜アリーナ公演前後からTwitter上で活発になり、現在まで続くバスターズ同士の交流」について僕の目線から綴ります。僕自身がバスターズ向けにTwitterで発信してきたことを軸に、その時感じていたことなどを書いていこうと思います。
(他の方が発信してくれた活動もかなり細かく覚えているし、詳しく書きたい気持ちもあるのですが、ご本人たちがそれについて語る前に僕が勝手に詳細を語るのもどうかなと思うので、この記事ではテキストで軽く触れる程度に留めます。)

前編では、「横アリ前後で繋がりが活発化してから2020年3月に行動制限が始まるまでの話」、後編では、「行動制限が始まってから次第に緩和され、現在に至るまでの話」を書こうと思います。

最初に言っておくと、かなり長いです。
でも、大事なことを書くつもりなので、これからも僕と仲良くして下さるつもりのある方、他人の目線から見た「この5年間」を知りたい方、これからバスターズの中での交友関係を広げていきたい方には是非読んでほしいです。

※なお、対人間で起こってしまった揉め事など、書いて誰かに迷惑がかかるような類の話は書かないつもりです。そういうゴシップの話は期待しないでください。

※バスターズとの交流が始まる前の僕とピロウズの話(僕がどういう人間で、どうピロウズと出会って、これまでの人生でどう関わってきたか)については、このあと別の記事にします。


「Twitterで活性化したバスターズ同士の交流」とは?

ざっくり言うと、ピロウズ30周年の横浜アリーナ前後のTwitter上で活発化して現在まで残る、「バスターズのアカウント同士でフォローし合って主にピロウズに関することを話すゆるい繋がり」、さらにそこを通じて仲良くなった人同士が数十人規模でのオンライン企画を一緒に遊ぶようになったり、現実世界で会ってライブ会場で挨拶したり、一緒に打上げしたりオフ会で遊んだりする、そんな繋がりのことです。
(もちろんですが、各々考え方が違うので、全員が全員仲良いわけでも繋がっているわけでもなく、繋がりの強さの濃淡、関わり方の違いもあります。そもそもその繋がりの境界も曖昧だし人によって認識も違うので、ちゃんと定義しようとすると絶対に一括りのものにはできません。あくまで「ざっくり捉えるとそんな感じ」のものとして理解してください。)

過去にはMixi等の別のSNSで生まれたコミュニティや、楽器を演奏される方たちのカバーセッション会を通じた繋がりなどはあったものの、それ以外は小規模なグループがあっただけで、バスターズの中でこんな大規模な繋がりは長いこと生まれていなかったようです。古参ファンの方数名に聴いても同じことを仰っていたので、恐らくこの認識は合っていると思います。



この5年間の時系列での振返り

① 黎明期・横アリ前(2019/09~2019/10/17)

Twitter上で、それまで繋がっていなかったバスターズ同士の交流が特に増加したタイミングとして、やはり2019年(ピロウズ30周年)の9月あたりから10/17の横浜アリーナ公演までの一か月間が特に大きかったと記憶しています。

バスターズダイナー、30周年記念のLINE LIVE配信、「王様になれ」公開、Happy Go Ducky!リリースなど、ピロウズ公式発の大きなイベントが次々打ち出され、また間もなく横浜アリーナ公演を迎えるワクワク感もあり、Twitterでピロウズの話題を呟く方が多くなっていました。
それまでほぼ"個"もしくは小規模の集団で閉じていたTwitter上のバスターズが、そのとき盛んになされていたピロウズの話題を通じて少しずつお互いを認知し、繋がり始めます。
僕もまさにその時期、それまで少なかったバスターズの相互フォローの方を次々と増やしていました。他にも、お互いにまだ余所行きの言葉で「初めまして、よろしくお願いします!」となっている方たちを沢山見かけました。

イベントや音源の感想を交わしたり、ピロウズの漫画やファンアートを描く人を見て笑ったり感動したり、お互いに「自分の人生におけるピロウズ」を語り合ったり。
その時はあくまでオンラインのアカウントとしてだけの繋がりですが、実生活ではバスターズに出会えなくて誰にも話せない「ピロウズに対する感情」を抱えていたピロウズのファン同士が、仲間を見つけてピロウズの話題で交流できているということに、僕はワクワクしていました。
また、バスターズには面白いことが出来る人が沢山いるんだ、と認識し始めました。

それまで他のバスターズを巻き込んで何かをする経験がなかった自分も、この時期に一つだけやったことがあります。
(以降、"■"印で記載するものはTwitterで自分主体で周りに向けて発信した活動です)

■[企画] #ピロウズ横アリ一曲目予想(2019/10/02~10/17)
ピロウズのアニバーサリーツアーでの1曲目は毎回特別な曲が採用されるので、「今回の横浜アリーナ公演で1曲目に選ばれる曲を予想しよう」ってシンプルなコンセプトの企画をやりました。
といっても最初から企画としてやろうとしたわけでなくて、

とツイートした僕に乗っかって、自分の予想を書いてくれる方が一人、二人とすぐに続いてくれたので、「じゃあ皆の予想まとめてみるか」と思ってTogetter(ツイートのキュレーションサービス)で集約し、集計しました。

当時フォロワー200~300の頃に合計60人くらいの方が参加してくれたので、まあまあ盛り上がったと言っていいと思います。ちなみに予想の集計結果としては"Fool on the planet"がダントツ一位で14票、正解の「この世の果てまで」を本命に選んでいたのはたったの一名でした。
今の自分からすると、「こういう予想をオープンな場でするのは無粋だったかな?」「予想にしても予約投稿にして当日まで伏せておくとかした方がよかったか???」「ハッシュタグもろくに理解せず集約しようとするな」など色々と思ってしまいますが、この時はとにかくスピーディーに動いてみるのが大切だったので、自分の初めの一歩としてはこれで良かったんじゃないかなと思っています。
(ちなみに、この時は「持ち主」というアカウント名をまだ思いついておらず、「H_Nakajima」と名乗っています。)


そしてあっという間に10/17、横浜アリーナ公演の日を迎えます。

勿論ライブを楽しむのが第一ですが、この時の僕は「オンライン上だけでなく、リアルでもバスターズと交流したい、ピロウズについての思いを分かち合いたい」という気持ちが大きくなっていて、できるだけそれを楽しみたいと思って行動していました。開演前にフォロワーさん何人かと初めてお会いしたり、事前に約束をした方とバスターズダイナーのアルバム缶バッヂを交換したり、フォロワーさんが配布していたタトゥーシールを貰いに行ったりしていました。また、横断幕にピロウズへのメッセージを書く企画をされていた方のツイートも見かけて、自分も書きに行きました。
(後日知ることになりますが、このほかにもバスターくん型の花を作って贈るとか、シールやポストカードを自作して行って配布したりされていた方も、まだまだ他にも沢山いたようです。)
公演そのものについては、この記事を読んでくれている方には最早言うまでもありませんね。ステージ上のパフォーマンスも良かったのですが、普段生活の中では滅多に出会わないバスターズが一万人以上も集結して同じライブを観て、"Thank you, my twilght"を熱唱していた光景は忘れられません。
終演後にも、打上げやオフ会が色々な場で開かれていたようです。僕も事前にTwitterで参加者募集されていたオフ会に行って、その後今も続く付き合いになる友人にも会いました。

② 黎明期・横アリ後(2019/10/18~2020/03)

さて、ここまで盛り上がって、横浜アリーナ公演が最高の日になったのは善いのですが……問題はここからだと思っていました。
公演の少し前から、Twitterのタイムラインで見るバスターズの呟きからは「横アリは楽しみだけど、それが終わったらピロウズとしての活動も落ち着くみたいだし、わしらも燃え尽きておしまいじゃ……」という空気を感じていました。(僕の主観なので偏りがあるかもしれませんが、実際にそう呟いて”ピロウズロス”を恐れている方を結構見かけていました。)

当時の僕はそれに納得していませんでした。

「バスターズとピロウズの話ができる」というだけでも面白いし、ましてこれだけ創作などの面白いこと出来る人たちが集まっていたら、ピロウズの活動を待たずともバスターズ同士でも楽しみを作っていけるはずなのに、本当に皆が燃え尽きて交流が途絶えてしまったら勿体ない。とにかく、折角さわおさんが横アリまでの活動で燃やしてくれたバスターズの火を絶やしたくないと思ったのです。
この盛り上がりを途切れさせないために、横アリの後こそピロウズに関することを自らガンガン発信していくことで周りからのアウトプットも促進し、この後もTwitterをバスターズ同士で楽しめる場にしようと考えました。

結局は「自分が楽しむために、自分の好きな場所を守って発展させていきたかった」って話になると思うんですが、とにかく「場作りに寄与しよう」なんて、それまでの自分の人生では全く抱くことのなかった意志でした。

ここが転機だったと思います。

まず始めたのが、このbotの作成でした。

■自我が芽生えたBorderline Case Tシャツbot(2019. 10/19~現在)

自我が芽生えたBorderline Case Tシャツbot
(現在はbotとしての機能は失っている)

横浜アリーナ公演後のオフ会に来ていた方に、「明日OiRAN(当時「王様になれ」とコラボしていたBar)に行かないか?」と誘われた僕は、翌日の10月18日にOiRANに初訪問してバスターズとのリアルでの会話を楽しみ、その足でシネマート新宿に"王様になれ"も観に行きました。
その翌日19日の昼間にこのアカウントを作成して、キャラクター設定を考えて100個くらいの自動投稿メッセージを登録し、その晩はまたOiRANに行ってバスターズ達との会話を楽しみ、翌日botを公開しました。
今から考えてもメチャクチャなスピード感で物事を進めています。

当時の人から見たら急にこんなのが出てきて意味不明だったろうけど、僕がなぜこれを作ろうと思ったのか。
色々きっかけはあったのですが、そのOiRANに誘ってくれた方と"王様になれ"を一緒に見に行く道中の会話で、「普段の生活の中でピロウズTシャツを着ると楽しいし、街でピロウズTシャツ着ている人見かけると嬉しいですよね」って話をしたことがベースになっています。
そして何より、さっき述べたような「自分達で楽しみを作っていく」という事にその時仲良くなり始めていたTwitter上のバスターズ達を誘いたかったのですが、本アカウントで真面目にそんなこと言うのは照れ臭かったし、うるさくなってしまうと思ったのです。

そんな訳で、"自我が芽生えた"ピロウズTシャツそのものが、ユーモアを交えながら「生活の中でピロウズグッズを身に着けていこう!」「バスターズ同士で楽しいことを作っていこう!」のメッセージをストレートに発信するアカウントを、Twitter上に生み出しました。

自我が芽生えたBorderline Case Tシャツbotの動き出し
リリース当時の固定ツイート
botリリース初期からやっていた「バスターズ自身で楽しい事をやっていこうぜ!」という発信。僕の思想の大枠はこの頃からあまり変わっていません。

ちなみに、botにするTシャツとしてBorderline case Tシャツを選んだのは、自分が横アリ当日にした下記のツイートが元になっています。横アリに着ていくTシャツをギリギリまで悩んで、結局コイツを採用しなかったので後ろ髪を引かれていたのです。あと可愛い。

キャラクター設定に関しては、もともと自分が持っていた一面を元にしたのでそんなに苦労しませんでした。"良い扱いを受けているRUNNERS HIGH Tシャツを目の敵にしまくる嫉妬深くて意地っ張りなキャラクター"なんですけど、これは昔僕がインターネットで大喜利をやっていた頃の、仲良しライバルに対する接し方(所謂"プロレス"です)をやっていました。その他の呟きも、"大人になってから身につけた自分"を捨てた「負けず嫌いで子供のままの自分」をそのまま出せばよかったので、労せずにポンポンと出てきました。

botをリリースした結果、横アリの盛り上がりの余波もあって、たくさんの反応が返ってきてくれました。最初は誰が中の人をやっているのか伏せてた面白さもあったと思いますが、多くのバスターズが、自分が生み出したキャラクター(もちろんシャツに描かれているバスターくん自体は公式のデザイナーさんが作ったものだけど、中身の性格という意味で)を面白がってくれたんです。あれは嬉しかったな。
さらにピロウズ関連のbotブームになって、後続もいくつか出てきてくれました。「バスターズ向けに発信する人を増やしてお互いに楽しむ」がまさにやりたいことであったから、本当に嬉しかった。

このbotは、作った後も頻繁に動かしていました。「ハロウィンの仮装」として、アカウント名を「無我に目覚めたBorderline Case Tシャツbot」にして普段の性格とは全く逆のことを呟いたり。クリスマスには軽い謎解きのイベントをやったり。

無我に目覚めたBorderline Case Tシャツ(1日限定)

そこからしばらくは僕にとって、バスターズと遊べることが楽しくて仕方ない時期が続きます。Twitter上での盛り上がりとバスターズ同士の出会いが横アリ前と同じように続いて、その後数年間、志を同じくしてTwitterやオフ会での発信側に廻ってくれた熱量の高い仲間もできます。
botを作る人だけでなく創作物(漫画や絵、消しゴムはんこ等)をアップする方、ちょっとした大喜利をやる方や、ツイキャスを始める方も出てきます。バスターズ間でピロウズの話題も頻繁になされていました。

さらに、この頃にBar OiRANでの月例オフ会を開催してくれた方もいて、東京近辺ではリアルでのバスターズの交流も増えていきます。(この時に出会った友達の中に、今でも親しく遊ぶ友達もいます。)
2019年年末にはOiRAN等でのバスターズ忘年会、さらにピロウズ発でのCOUNTDOWN BUMP SHOW!!と、その後のバスターズ同士の打ち上げ等も開催され、「ピロウズの活動を楽しむとともに、リアルでも繋がりたいバスターズ同士で知り合って楽しむ雰囲気」が出来上がってきていました。

大袈裟でなく、これによって自分の人生が大きく変化する程のインパクトがあったし、集まってくれた方々の中にも同じことを言ってくれる方たちがいました。
また、バスターズを好きになることでそれまでピロウズに向けていた愛が分散するどころか、自分のピロウズに対する熱も深まっていくのを感じました。(この点は今も変わらず、バスターズに対する愛が深まるごとに、元々好きだったピロウズが更に好きになっていきます。)

この時期の持ち主も、botだけでなく引き続きTwitter上で身を以てピロウズ関連の発信を続けていたのですが、その中で二つ紹介すると、

■[制作] #LEGOで作るピロウズ(2020/01~現在)
現在"持ち主"を認識してくれている方が、僕に抱くイメージとして一番多いのは「LEGOの人」ではないでしょうか。2019年末から、LEGOでピロウズモチーフの物の制作に着手しています。初めて作品を公開したのは2020年の2月。
まずはバスター君と、バスターズダイナーのアルバム缶バッヂを飾るディスプレイを作り始めました。(仕事の合間にちょこちょこと作っているので、基本的に作り始めてから完成までにタイムラグがあります。このバスター君の完成は2020年7月にずれ込みます)

「LEGOで作るピロウズ」として初めて公開した、缶バッヂディスプレイ。
缶バッヂの上部に、Once upon~収録曲のFLAG STARをモチーフにジオラマを作りました。

これを始めた背景には、OiRANにBorderline Caseのバスター君フィギュアを作って持ってきてくれた方を見て、「自分もピロウズに関するモノ作りをしてみたい!」と刺激されたこと、また、Twitterでバスターズとの交流が始まる以前から、ピロウズモチーフのカフスボタンを作ったりしていたフォロワーさんを見ていた影響があります。
また、アルバム缶バッヂのディスプレイは、ダイソーの缶バッヂホルダーで16枚分飾るフォロワーさんを見て、僕も僕なりの手段でこれを作りたいと思っていました。(2024年の2月、4年かけてやっと16個全部完成します。)
当時、ゼロから粘土の造形が出来るほどの器用さはないと自覚していて、なおかつ幼少期からLEGOブロックをいじっていたことで、どういうパーツがあってどういう組み方ができるか理解していた自分にとって、ベストな表現方法がLEGOだったのです。
その後、シールメーカーを使ってピロウズTシャツや背景を作ることを思いついたり、造形が得意な友人のアドバイスを得て部品を塗装したり粘土での肉付けに手を出したりして、現在進行形でどんどん表現できることが増えています。

2023年に作った、羊の車と34周年の916記念絵。
ブルドッグの頭部は粘土で作成、バスター君だけ公式グッズのKUBRICK。

社会人になってからずっと「趣味で何か形あるものを創りたい」って思いはあったのですが、結局仕事が終わってヘトヘトになった後に趣味に回すモチベーションを作れず、どうしても踏み出せずに自分を責めて更に消耗する、という悪循環に陥っていました。それをようやく破れたのがこの活動です。
僕は「黙々と一人でいい物を作っていればそれでいい」という職人のような性質に憧れていて、元々は自分もその気質なんだと思っていました。しかし、実はそうではなく「作ったものを、見せたい人たちに見せる」ことが自分の中でより重要なのだと、"バスターズにLEGOの作品を見せる"という喜びを通じて気付けました。僕は「作ったものを見せたい人達」が目の前にいて始めてモチベーションを作れる人間だったのです。なんかそれってミーハーで嫌だな……とは当時も思ったのですが、それが事実だったので仕方ありません。大事な事実に、ピロウズとバスターズが気付かせてくれたのです。

■[制作]#ピロプレイリスト(2020/01~現在)
ピロウズ曲のみのオリジナルプレイリスト作り」は、長らく一人でピロウズを聴いていた時期にずっとやっていた趣味であり、今でも習慣としてやっていることです。その成果物のプレイリストと、自分がやっている作り方を、周りにも共有し始めました。

自信作の10曲プレイリストの一つ。
この形になって納得するまで数年かかりました。

僕にとってのプレイリスト作りは、その場で即興で作るようなものでなく、数週間~数年の長い時間をかけて、何度も何度も繰り返し聴いて選曲や順番の入れ替えを重ねることで、「何周しても聴き飽きないクオリティのプレイリスト」を完成させていくことです。正直、これは自分が発信している物の中でも他のバスターズの共感を得にくいコンテンツだなと感じています。(そんな作り方をする人は他にほとんどいないし、さらに今でも楽器や演奏のことには疎くて、「シャッフル曲を連発」みたいなプレイリストになっちゃうこともあって。)
それでも、公開したらちゃんと反応してくれて、Apple Musicでプレイリスト追加してくれる方もいるのが有難いと思っています。
これに関しては何より「それまで自分ひとりの中で閉じていた一つの"ピロウズの曲に対する愛の形"を、周りにも共有するようになっていった」というのが大きな点だと思います。もちろん、"愛の形"として、他のバスターズには受け入れられないこともあるだろうけど(さわおさんが決めた曲順を乱すなとか、シャッフルでしか聴かないよとか)、これはまあお互いに何を受容できるかは違うので、元々そういう物だと思っています。

さて、2020年初頭、久々にさわおさんのソロ活動が再開し、ELPISツアーが予定されていました。
実はこの時期にめちゃくちゃ辛くてメンタルが劇的に落ちるような出来事もあったんですけど、基本的には、「今ようやく人生が楽しくなってきたし、これからも楽しいことが色々始まっていくぞ」というワクワクに満ち溢れていた時期でした。
これまでリアルで仲を深められるのは東京のOiRANに来れる方たちに限定されていたのが、このツアーを機にとうとう西の方でもオフ会が計画されている様子がTwitterで伺えました。自分が参加できるわけでもないのに、とても嬉しかったです。(地理的な問題で東京でだけ盛り上がれている、ということに少し後ろめたさも感じていたのもあって……。)
バスターズ同士のリアルでの繋がりがこれから全国に広がっていくんだ、という良い予感がしていました。

が……皆様ご存じの通り、2020年3月末からCOVID-19の国内流行を理由とした行動制限の時代に入っていきます。

後編に続きます。


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