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ヒットアニメの遷移から考える若者価値観変化〜異世界転生モノは現世界への諦め?〜

今回もふわふわ考えていることを整理するために書いてみたことなので、そんなに役に立つとかそういうものではない。

自分はアニメとか漫画が好きなんだけれども、そういったサブカルチャーみたいな文化で流行るものは、その時代の価値観を表しているものではないのだろうかと考えることがある。アニメとかだけでなく、アートなどもそうだとおもう、その時代時代で問題になっていることや人々の意識の変化を繊細に捉えられて、それがよく表現できているものがヒットコンテンツになるのだと思う。だからそれをなんとなく考えてみた。

起業のアイデアを考える上でもなんの変化にのるのかってのは大事な流れではあるかと思う。だいたい自分が思う考えるべき変化は 1.デバイスの変化 2.Platformの変化 3.社会情勢からみるユーザーのPreferenceの変化 だと思っている。

その社会情勢・社会状況から見るユーザーの価値観・Preferenceの変化というものをヒットアニメや漫画から軽く考えてみたいと思う。自分はC向けのプロダクトっぽいのは結構好きなので、こういった社会情勢・構造の変化が及ぼす心理への影響とか考えていみたい。デュルケームが自殺論などで提唱した"個人の外にあって個人の行動や考え方を拘束する社会という存在”が価値観に大きく影響をもたらすのだとしたら、それをアニメなどから考察したいと思う(ただアニメめちゃ詳しいとかでないので、あくまで自分の意見なのであしからず・・あとざっくりね、ざっくり考えてみたことだから)

高度経済成長期:ガッツだ!夢をつかめ!(1950-1980年代?)

まあさすがに生まれてないし、しらんがなっていう時代なので特にアニメをすごく語るところはないのだけれども。この時代日本経済は飛ぶ鳥を落とす勢いで成長していたはず。。時代はみんなで頑張ろう!みたいな空気感が社会を漂っていたと思う。リゲインのCMなどでは"24時間働けますか?”っていうどんな社畜やねん。。みたいなものが真顔で流れてたらしい。ほんとたまにおもうけど、ベンチャー向いてるよね、日本人。無駄なことをなくしたら基本的には勤勉な人がおおいから、もっとスタートアップが増えると思う。ただ無駄に律儀・勤勉だから生産性がOECDの国の中でも低いって言われるんだろうけど(閑話休題)

なのでヒットしたのもど根性ガエル・巨人の星みたいなのがヒットしたのではないかと思う。ど根性!!とりあえず努力すればな!勝利はつかめるんや!!!勝て!!みたいな。。マクロが成長しているから努力が成果と結びつきやすい社会だったのかもしれない。

バブル崩壊から失われた20年初期:いろいろあるけど、まだ私達はやれる!仲間となら頑張れる!(1980-2000)

そうこうしているうちに1991年にバブル崩壊する。でもまだ日本はGDPでも残り火でまだやれる!なんたって Japan as No.1だったんだから、みたいな空気感だったのかなって思う。いや知らんけど、記憶はないけど。

この頃はど根性だけではどうにもならなくなってきたのではないだろうか、ジャンプのいう、友情・努力・勝利みたいなのをまだ信じれた時代。ドラゴンボールとかワンピースとか、幽遊白書とかそういった仲間と一緒になにかをみんなで成し遂げてこう!頑張ってこうぜ!みたいな。まだ俺たちやれるよな!この世界で!みたいな。

一方でそのいままでのような、勝利とかそういった時代でもないだろうという予感の空気をすったアニメも生まれつつある。代表的なものはエヴァンゲリオンとぼくらのではないだろうか。どちらも非常に内省的な内容になっており、なにが正しいのかという、単に出てくる敵を倒せばいいというようなものでなく、目的感の喪失のようなテーマ感もあったのではないかと思う。

生まれてから不景気不景気しかきいてないよ時代:まあ努力とかさあるけどさ、現実そんなに甘くなくね?(2000-2010)

中国や他国の経済成長を指を加えながらみて、インターネットテクノロジーの時代変化にとりのこされ、経済成長はとまり、失われた20年というレッテルをはられた時代に生きていることを自覚しだす(これ自分の世代)テレビをつければ不景気だと(今日もテレビでいっちゃてる、悲惨な時代だといっちゃてるってARASHIも言ってたし・・)いわれた世代。

その空気を吸った人たちがつくりだして、現実と正面から向き合ったアニメや作品達が、コードギアスやデスノートとかなんじゃなかろうか。(涼宮ハルヒあたりから匂いはしてたのだろうけれども)現実のなにが良くて、何が悪いかってのは一意に決まるものではないんじゃないの?って。今までは頑張ればなにかしら報われる、幸せの価値観が統一化されてた時代だったけど、そういうものでもないんじゃないの?って考え始めた時代なのではないのだろうか。努力・友情・勝利が必ずしも叶う社会ではないのかもしれない。その最たるものが、まどか☆マギカがではないのだろうかと思う。

魔法少女と言われれば、おジャ魔女どれみを想像してしまう世代なのだが、そういったかわいい女の子が戦うのが普通だったはずだ。で!正義は必ず勝ってきたわけですよ。ただ、現実必ず正義が勝つわけではないですよね。それがマミったという言葉でバズったシーンだと思うんですよ。現実そう甘くないよっていう感、そうだよなっていうことが人々に受けたんじゃないだろうか。

逆にですよ、この時代現実つれえわ〜ってことでほのぼの系も流行ったとおもうんですよね、その最たる例が、けいおんかなあと。女性だけ、特に事件が起きるわけでもない。男女関係の色恋沙汰もない。安心して見れる。そういった現実の疲れからの、現実の空想上の癒やしの部分だけをもとめたアニメも流行ったのではないかと。そして次の時代でとうとう現実を凌駕します。

あれ現実つらくね、来世に期待時代(2010-now):まあ現実は置いといて違う世界線で楽しもうや

そして2010年代にはいると現実への諦めが感じとれるようになってくる。SAOなどをはじめとして、異世界にすぐいっちゃう。なんでも異世界にいけばいいと思うくらいに異世界にすぐいっちゃう。大体1話目で現実世界から死んじゃう。これは現実社会への一種の若者からの諦めのメッセージではないかと思う時がある。努力の先に勝利も待っているかもわからないこんな世界で頑張ったってどうしようもない。そしてこんなにもコンテンツが溢れているスマートフォンの中では自分たちは思い通りに活躍できる世界だってある。だったら努力とかでなく最初からチートで爽快に物語を人生を勧めたい。でも現実社会でそうはいかないことはもうわかっている。だからこそ異世界に彼らは救いをもとめるのじゃないかと思う。いわゆる俺TSUEEE系というやつかなと。

この異世界はスマートフォンとともにとかぜひ見てほしいのだけれども主人公がはじめからいわゆるチートキャラなのである。 能力が高かったり、特殊な能力があったり、スマートフォンをもってたり?とか。努力・友情・勝利?そんなの古臭い。そういうのでなくてスカッとした物語が読みたいんだよっていう声が聞こえてきそうだ。だが、見ていて不思議と爽快感は非常にある、なぜならサクサクストーリーがすすむからだ。主人公は万能だし、女の子となんて出会って3秒で恋に落ちるし、なにも心配することがないからだ。面白いといえば面白いでも、これでいいのか・・っておもうときもある(老害っぽい)けど、たしかに逆に安心してみれる。ハラハラ感とかない。こういったものを若者はこの現実社会から逃げるようにして消費しているのが起きつづける可能性もある。

一方で、ブルージャイアントやアオアシ・ブルーピリオドなどなど現実はつらいけど、それでも立ち向かっていく王道系はもちろんヒットしているので、景気も回復していることが影響しているのかもしれない。

なのでなにがいいたいかというと現実からの乖離というトレンドは今後も続いてくるうえで Vtuber などのトレンドはもちろんテクノロジーの進歩におけるトレンドなのだとも思うけれども、こういった価値観の変化の要素も十分に受けて育っているのではないかと思う。

まあ何がいいたいかというと、どういったコンテンツが人々に受け入れられる、ヒットしているのかを考えることは世の中の価値観を考える上で重要なヒントになるのではないかと思うこの頃。そういった言い訳をしながら、今後も漫画やアニメを読んで・見ていきたい。

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