#33 イマーシブコンテンツの流行は何を意味するのか ~オンラインが主の時代における、現実世界の表現の見直し~

結構自分はエンタメが好きなほうではあるが、雑食である。そんな中でもイマーシブなコンテンツというものが最近流行ってきている。わかりやすいニュースとしては、USJやとしまえんなどのエンターテイメントの施設のマーケティングを手掛けてきた会社がビーナスフォートの跡地を活用しイマーシブ・フォート東京というプロジェクトを立ち上げたのが印象深い。
今回はそのようなイマーシブ体験とはどういうもので、なぜいま着目されているかについて考えてみたいと思う。

イマーシブ体験とは何なのか?

イマーシブという言葉がよく使われていたのはVRなどのようなデバイスであったように当初は思っている。immersiveは直訳すると、”没入感”である。なので例えばVRはまさにイマーシブな体験であると言えよう。ゴーグルをかぶることによって、その世界に入ることができるからだ。
そのようなイマーシブさというのがどんどん派生していき、その世界に没入したように思えたりするような体験のコンテンツのことをイマーシブコンテンツと呼ぶようになってきているのではないかと思う。例えば前述したイマーシブ・フォート東京の説明文には下記のような説明がある。

現実かのように当事者として世界や事件にのめり込んでしまう完全没入体験(イマーシブ体験)を様々なアトラクション、ショップ、レストランで体験できます。

刀のイマーシブシアターリリース文から


マーダーミステリーや脱出ゲームもイマーシブ

マダミスや脱出ゲームなどはやったことがある人は多いのではないかとおもうが、ああいった体験もイマーシブな体験だとは思う。もっと昔でいうと人狼みたいなゲームも少し広義だがイマーシブな体験だと思う。ボードゲームが昨今流行りを見せているのもこのイマーシブなコンテンツへの注目の流れのように感じる。

まだ自分も3-4回しかしたことはないマーダーミステリー

では今回の本題であるが、なぜいまイマーシブな体験が流行ってきているのだろうかということについて考えてみた。


受動的なインスタントなデジタル表現の消費に対する飽き

1つ理由としてあるとおもうのは、デジタルコンテンツへの飽きというものはあるのではないかと思う。スマートフォンが世の中に普及して依頼、コンテンツの主軸はデジタル上へうつっていった。すぐに楽しめるインスタントな方法でコンテンツが消費されていくことが増えていったのではないだろうか。
話題の作品だってNetflixやAmazon primeなどですぐ見れてしまう。これは非常に便利ではあるが、大体の体験としては同じだ。あくまで受動的にデジタル上の画面を通してみるという体験になってしまう。そしてそのコンテンツは飽和してきている。

スマートフォンや、Netflix・SportifyのようなコンテンツPFの登場前には、コンテンツを楽しむためにはリアルな場所での移動や模索が必要であった。映画館にいったり、レンタルビデオ屋さんにいったり、レンタルCD屋さんにいったりするような実はいま考えると非効率的なものではあったが、そういったものが視聴体験そのものに組み込まれていた(例えば友達とCDレンタルしにいくときの雑談など)はず。
しかしデジタルはすべてが簡略化されすぎてしまっているのかもしれない。受動的にコンテンツを消費するという様式は、そのコンテンツの内容は違えど、抽象度を上げるとスマフォなどを通して受動的に楽しむということにおいては同じである。そういった行動自体への飽きがきているのではないかと思う。

オンラインが主の時代にオフラインの意味が変わってきつつある
オンラインで過ごす時間が長くなった結果、今はオンラインが主の時代。そのオンライン自体の行動やコンテンツへの表現方法への飽きがでてきている時代に、現実空間というのは当たり前のことをいうが立体的で没入感がある。平面ではないからだ。(当たり前だが)
なので、その現実においてより現実らしさを利用してコンテンツをつくろうとして行き着いたのがイマーシブな体験なのではないかと思う。また同時にデジタル上の表現もデバイスシフトによってVRやMRのようなものが出てくるのではないか。


飲み会などコミュニケーションのリプレイス

もう一つ可能性としてあるのは、コロナやお酒離れなど含めて飲み会などが減ってきている可能性は大いにある。そういった現実世界での対話であり会話というものが極端に減ってきているのではないかと思っている。
これは上記にもつながるが基本的に一人で完結することができ、いつでもどこでも行うことができるデジタルコンテンツが溢れている。例えばコロナの影響もおおきくあるのだとはおもうけど、電車に乗っていても友人同士で会話するよりコンテンツを見ている時間が長かったりするのではないのだろうか。そういったコミュニケーションという行為自体が今世の中から少しずつ減っていっている可能性がある。
そうした際にイマーシブな体験というのはその空間に対して没入感をもって人と話していくことができる、話すことが目的となり得る。案外そういった話すことが目的となる機会というのは日常で例えば業務などを行っているとどんどん少なくなってきているのではないか。会話は手段であることが多い。しかし飲み会などは本来会話・対話が目的であったはずだ。そういったものをイマーシブな体験は取り戻してくれる可能性がある。
(これは広義でいうとイマーシブな体験になるかもしれないが、Fortniteのようなゲーム体験が今流行っていることはその理由もあるのではないかと思う)


”参加”はこれからの時代の一つのテーマ

参加というのは今後の時代・今の時代において重要な活動であり概念であると個人的には思っている。DAOやWeb3.0の概念も参加性があるから興味深いと思っている。参加という行為は非常に哲学的な行為だと思うし、この時代実はなかなか行いづらい行為だと思っている。
なにもかもが中動的になっていく世界において、自分たちは仕事をしているのかさせられているのか、Netflixを見ているのか・見させられているのか。そういったものがどんどん曖昧になってくる。もっというと人生において受験はやっているのかやらされているのか・就職活動はやっているのかやらされているのか、仕事はしているのかさせられているのか。実は自分の意思による参加という行為をする瞬間はそこまで多くないのではないか。

参加は疎外された人間性を取り戻すことができる
インターネット・スマートフォンによってそういった能動と受動の混在を加速させている。そうしたインターネットのサービスを無料で利用しているとき、それは誰かのなにかのお金に変換されており、デジタルプロレタリアートとして働かされていることは自覚しないといけない。
自分はマルクスの”疎外”ということが今の世の中にはびこる重要な概念と理解をしている。マルクスが指摘するように、労働者の構想と実行を分離して、分業を進めた結果、何か価値を提供した実感なく、資本のために働かされているような疎外感を感じるようになってきてしまっていると思う。その疎外感がはびこっている。
だからこそ人はYouTuberやカフェのオーナーなどに憧れるようになっていく(広義でいうとスタートアップもその要素をまとっているが)なぜなら構想と実行が分離しておらず、疎外感が少なく労働に積極的に”参加”することができるからである。
やや道がそれたが、今回の本題のイマーシブのような没入型のコンテンツには参加ということが求められる。楽しまされるのではなく、楽しまないといけない・のめり込まないといけないとう参加性がつきまとう。この参加性ということがイマーシブな体験を面白いと思える大きな要因ではないのかと思う。


特にオフラインのコンテンツはよりイマーシブ性が求められるようになるのではないか

重複だが、オンラインが主になっていくなかで、今までのデジタルコンテンツのあり方のままでは、凡庸であり飽きがきてしまうことが早くなってしまったのではないかと思う。
コンテンツ飽和が起こっており受動的に見るという鑑賞方法は様々な人が慣れてしまっている。なのでイマーシブさ・参加性をまとうコンテンツというのはこれからも増えていくのではないか。
例えば劇をひとつとってもただ見るのではなく参加できるような、もしくはSleep no moreのような舞台に観客が上がることができるようになったりと、そういったようなものがより人気が出てくるのではないかと思う。

D2Cの店舗もイマーシブさを感じる

オンラインへの接続であらゆるコンテンツが近くなった結果、そのオンラインの体験に勝るためにはイマーシブさは重要な観点によりなってくるであろう。これは例えばD2Cのような店舗もそこを意識してつくられているように思える。
D2Cの店舗においても行ったことがある人にはわかるかもしれないが、単純にモノを売るというものではなく体験を売るようにしている。その世界観への没入感・イマーシブさを大事にしているように思える。そうすることによって、訪れた顧客のエンゲージメントを高めて、店舗以外でもグッズなどを購入してくれるようになることを狙っている。これも同じ文脈で見えてくるものではないか。

アートのインスタレーションもデジタルでなく、その場に行く必要性がでる

アートにおけるインスタレーションのような流れも近いものがトレンドとしてるようにも思える。絵や対象物だけを鑑賞するのであれば、デジタルだけでも十分な可能性がある(もちろん現実のものとデジタルなものでは与える印象が違うのは理解している)
そこで空間全体を通して伝えたいこと・表現したいことがその場全体を見通す、没入感ある状態で表現することができる。それがデジタル上での体験でないものを伝えることができるようになる。


体験の希少性はSNSとの拡散性とも相性が良い

このように、様々な要因からイマーシブなコンテンツというものが今何故流行っているかについて考えてみた。基本的にはやはり、オンラインが主になっていくなかで失われていったものにたいして、イマーシブさのあるコンテンツはそれを与えてくれるものなのではないかと思えた。
またSNSでの拡散性もこのようなコンテンツのほうが高いと思われる。なぜならより希少性が高いかつ写真をとることができる可能性が高いからである。デジタルコンテンツであれば、どなたでもスマートフォン1つで触れることができる。しかしこのようなコンテンツは希少性があがる(現地にいったり、定員があったりする必要性がある)なので、より拡散性も伴うであろう。
今後もこのようなコンテンツは世界中でより流行ってくると期待しているし、一人のエンタメ好きとしても楽しみにしている。


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