『さよなら僕の性格』第16話 忘れ物
自分のクラスにも、他のクラスにも友達がいない。そんな僕にとって、もっとも困るのは忘れ物をしたときである。
忘れ物をしたとき、みんなはどうしているのかというと、別のクラスの友達から借りてきたり、教科書やプリントなら、近くの席の人に見せてもらったりしている。そんな神業を平気でやっている。
僕は、友達どころか、話しかけられそうな人物が周りに一人もいない。教科書を忘れたとて、隣の人に見せてもらうことすら、僕にはできない。もちろん、怖くて先生に相談することもできない。
だから忘れ物をしたときは、どうにか忘れたことがバレないように、ごまかしながらその時間を過ごす。
もう死にそうな気分になる。
たとえば、現代文の教科書を忘れたとする。
そうしたら、現代文の時間は、現代文と同じくらいの大きさと厚さの地理の教科書を、裏返してさりげなく置き、その上にノートを重ねて広げる。そして、何となく、ノートの下に教科書があるような雰囲気を作るのである。
あとは、その授業中、祈りを捧げ続ける。
(どうか指されませんように)
(どうか「教科書を読んでください」とあてられませんように)
祈りが通じず、もしも、指されてしまったら、教科書がないことがバレた上に、借りるなどの対処を何もしていなかったこと、いや、何の対処もできなかったこと、ごまかそうとさえしていたことが、白日にさらされる。
そんなことになったら、もうとんだ笑い者である。
(先生、どうか、長々とつまらない話をしてください。そして、話だけで授業を終わらせてください。どうか教科書を生徒に読ませないでください)
もう内容なんてどうでもいい。とにかく授業よ、早く終わってくれ。
(今この瞬間、隕石が学校に落ちて大騒ぎになって、授業が流れれば全て丸く収まるのに……。この際、多少の犠牲者が出ても仕方ない。隕石お願いします……来い! インパクト来い!)
隕石を呼び寄せている間も、僕の机の上に教科書が開いて置かれていない状況は続いている。教科書を開いていないことが、見つかってしまうかもしれない。ドキドキしすぎて、気分が悪くなってくる。
「なんで、教科書を見ないんだ」などと聞かれたら、もうおしまいだ。「これは地理の教科書だからです」と白状するしかない。「なんで地理の教科書なんだ」などと聞かれたら……。
そのあとを想像すると、吐き気がする。
緊張に耐えきれず、教科書を開いていないのは、忘れたからではなく、「眠いからですよ」とか「やる気がないからですよ」というフリをした方がいいと思い、机に突っ伏してみたりした。
もしくは、意味のない落書きをたくさんノートに書いて、必死に手を動かして、「書く方に集中するあまり、教科書を開くのも忘れている人」を装ったりもした。
どんな手を使っても、教科書を忘れたことを気付かれたくなかった。仮に気付かれたとしても、そのことを、そっとしておいて欲しかった。クラス全員の前で、話題にされるようなことにだけはなりたくなかった。
何事もなく授業が終わってくれることを切に願った。
(どうか、誰も気付きませんように。どうか、誰も気付きませんように)
時計の針よ。もっと頑張れ! もっと速く動けるだろ!
チャイムが鳴り、授業が終わる。
乗り切った!
安堵に包まれる。
次の時間は地理だ!
現代文の教科書をしまうフリをして、一度しまった地理の教科書を、もう一度出す。
ふはははは! 俺は地理の教科書を持っているぜ!
『地理B』を天高らかに掲げたい気分である。堂々とこれ見よがしに教科書を机に出して見せつける。
地理の授業が楽しく感じられた。
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