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バルセロナ

人に話しても笑われて終わるんだけど、バルセロナの教会でBUMP OF CHICKENの曲を聴きながら泣いていたことがあって、なんでそんなことになったかというと心の奥底に追いやってしまった本当の自分を救いに行こうって曲がガツっと刺さりまくってしまったからであり、旅の中で自分もそうやって追いやってしまっていたことに気づいて藤くんが言っているのはこれのことか!と改めて理解した音楽の尊さ、自分がやりたいのはこういうことなんだよな!と具体的な体験が20代にしてなお目の前に現れた嬉しさと何もできないもどかしさ、そんなのがぐちゃぐちゃに渦巻いて、涙が止まらなかったんだよね。しかもその教会の厳かな空間とステンドグラスの美しさが引き金となって、自分という小さな存在と、その中にある可能性という宇宙を感じて、そんなこと考えだした気がする。

ひまだったよね。

その時はギターを持ってライブハウスでライブをやる以外のアイデアが無かったところから、10年以上の時間をかけて中井設計の形ができてきているのでとても感慨深く、仕事で嫌な思いをした時なんかは上記のような淡い思い出に逃げるように辿り着き、順を追って先述のような大丈夫モードに自分を導く、ことがある。

私はハタから見たら飄々と簡単に生きているように思われるかもしれない、私でさえそうなのだから、近くにいる達観した若者が楽しそうに仕事をすり抜けている陰で、きっと何かあるのだろうと思う。それを知るほど仲良くないし、実は本当に苦悩はないのかもしれないけれど。

Adoのオールナイトニッポンが最終回を迎えて、さっきまで聴いていた。
いつもエンディングで流れていたのは夜のクジラという曲なんだけど、最終回だけAdoの歌ってみたバージョンが流れてきて、ラストに捲し立てるようなおしゃべりの裏で響くその歌声に私は震えた。初音ミクの解釈、表現のレベルの高さ、なんというか、そうきたか!という歌い方!
芸人さんとはまた別の楽しさがあったAdoのオールナイトニッポンだったけど、一年間聴いてきた意味は確実にこの瞬間のためにあった。掴んだ感じがあった。歌、そうやってもいいんだ!というワクワク感。

ザ季節の変わり目で風邪をひいてしまい、あんまり無理しないほうがいいなぁ、なんて思ってグダグダしつつギターを手に取ると、なんか音が安い。薄暗い部屋の中でよく見て見るといつの間にか弦が錆びている。あれこんなだったっけ?
冬は加湿のためお風呂場のドアを開けながらシャワーを浴びているのだけど、今朝は恐ろしく部屋中が湯気で満たされてしまった。きっと暖房を切っていて冷気に湿気が馴染まなかったのだろう。同じ調子でレコードにカビが生えたりしないように気をつけないと。

写真は、夏。
バルセロナの写真はMacを買い替えて買い替えて買い替えている間に、どこかに消えてしまった。

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