見出し画像

村上春樹が好きだった(過去形)

定点観測のつもりで読み返す本がある。村上春樹、1973年のピンボール、初めて買った純文学の本。「見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった」――この出だしの文を読むと今でも、北海道帯広市にかつてあった商業施設、サニーデパートのワンフロアを占めていた田村書店の、「む」の棚からこの本を抜き出し、頁をぱらっと捲ったときに覚えた不思議な緊張感が、ぞわぞわするほどの鮮やかさで蘇ってくる。

中二だった。校内暴力の全盛期。人口十四万の地方都市にも「ツッパリ」はいた。アーケード街の歩行者天国で、地べたに黒いラジカセを置き、照れくさそうに腰をくねらせる彼ら、十四五歳の「不良」たち。ボンタン、タンラン、リーゼント。クリームソーダ、なめ猫、裏返しのトレーナー。鬱屈していた。毎朝五時に起きて新聞配達のアルバイト。SFばかり読んでいたのだ。ハインライン、ブラッドベリ、オールディス……。

部活は軟式テニス部だった。自分は後衛で、前衛の友達が、ある日の放課後、練習終わりに、「片岡義男読み始めた」といいだした。ふうん、そうなんだ。それで張り合うつもりで、「俺いま村上春樹読んでるけど」――もちろん読んでない。

「村上春樹」という名前は、「片岡義男」が連載をもっていた『POPEYE』――雑誌購入癖のある父親が買ってくるのだ、読みもしないのに――で目にしていた。いや、『SFマガジン』で『羊をめぐる冒険』の書評を読んだのが先だったか。

いきなり三部作の二作目から読んでいる。作家についての知識は皆無に近い。何も知らない。全共闘? 「鼠」?

しかし、これはあたりだった。じわりと面白い。文章そのもの、言葉そのものの面白さ。

村上春樹をきっかけに、自分の読書はこれまでとはちがう方向に拡がっていった。

スコット・フィッジェラルド、レイモンド・カーヴァー、ジョン・アーヴィング――

面白い、面白い。面白い。

村上龍、安部公房、開高健――

面白い、面白い。面白い。

その面白いの先に、いずれ大江健三郎が来る。

「かつて村上春樹と同じくカルト的な人気を誇った小説家がいた、その名を大江健三郎という」――そう何かで読んだ。高校生の頃だったと思う。『われらの時代』の文庫本を、駅前にあった古本屋「春陽堂」の50円均一のワゴンで見つけ、読む。しかしそれは村上春樹を経由した目には、あまりにも「小説らしい小説」だった。面白いといえば面白い。でもなんだかいまひとつ……。次に読んだ『個人的な体験』も同じ、さほど気に入らない。

大江の小説を読み、「面白い」にディストーションがかかるのは、まだ先の話だ。大学に入り、四畳・風呂なし・トイレなしの部屋で、講談社文芸文庫の『万延元年のフットボール』を読んでからだ。

余談。『1973年のピンボール』というタイトルは、この『万延元年のフットボール』を踏まえて付けられている。そのことには柄谷行人「村上春樹の『風景』」を読むまで思い至らなかった。そういえば、どちらの語り手「僕」も産業翻訳で生計を立てている。万延元年の「僕」のあだ名は「ネズミ」だ。三部作の「僕」と「鼠」の出自は案外こんなところにあったか?

――まあ、とにかく、自分は『1973年のピンボール』という小説に深く魅了された、といってよい。

もちろん、いやだな、と感じるところのひとつやふたつは、あった。たとえば次のくだり。

帰りの電車の中で何度も自分に言いきかせた。全ては終わっちまったんだ、もう忘れろ、と。そのためにここまで来たんじゃないか、と。でも忘れることなんてできなかった。直子を愛していたことも。そして彼女がもう死んでしまったことも。結局のところ何ひとつ終わってはいなかったからだ。

とりわけ「直子を愛していた」の一句。なんだ、愛かよ、と思ったのだ。「直子」もいらない。

この一句は、「僕」がピンボールマシンとの再会を果たす冷涼な場面に、不必要に重い、ゆえに薄っぺらい意味づけを施し、ひいては作品の程度をぐっと押し下げている――小賢しい中学生はそんなことを考えもした。

しかし、こういった内容的な瑕瑾は、村上春樹の文章に惹かれていた当時の自分には些細な問題なのであった。『風の歌を聴け』を読み、『羊をめぐる冒険』を読んだ。次いで『カンガルー日和』、『中国行きのスロウ・ボート』、『螢・納屋を焼く・その他の短編』と読み進めていく。

躓きがやって来るのは、まだ先の話だ。

(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?