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弟子入りの勧め

今の時代、お笑い芸人になりたいという人は、あこがれの芸人に弟子入りするよりも、吉本興業や人力舎など、芸能事務所が設立した育成学校に入ることの方が多いかもしれません。

自分も、完全にダウンタウン世代なので、誰かに弟子入りして芸を学ぶという制度は、まったくの時代錯誤で、いずれ消えていくものだと勝手に思っていました。

しかし、歳を取ってみると、こういう昔ながらの制度があってもいいのかなと思うようになってきました。もちろん、昔ながらの身の回りの世話を含めた、いわゆる住み込みのような弟子入りではなく、もっとゆるやかなやりかたとしてですが。

これは、お笑いに限ったことではないですが、学校という制度は、きちんとしたカリキュラムがあって、それに沿って習っていけば、順序よく効率的に学べるというメリットがあります。それに仲間も出来るし、競争原理が働いて切磋琢磨しあえます。

ただし、芸能という世界は、まさに個人のキャラクターやオリジナルで勝負する世界です。みんなと同じ授業を受けて、仲間とつるんだりする中で、それで、オリジナリティがはぐくまれるかと言われれば、それが最大のデメリットかもしれません。

少し前に、志村けんさんが亡くなりました。ご存じのとおりザ・ドリフターズの一員です。実は、志村けんは、最初はお付きのボーイとして入りました。つまりはザ・ドリフターズに弟子入りしたわけです。

周りの人の回顧録によると、ドリフターズの先輩メンバーの行動をつぶさに観察して、彼らが普段何を見て、考え、どう発想し、表現に繋げているいるのかを肌で感じ、笑いを学んだと言われています。

これは推測ですが、いずれ自分がこのメンバーに入った時に、自分はどんなオリジナリティを出そうか、必死に自分の存在価値を探っていたのだと思います。それは、身近にいなければ絶対にできなかったことだと思います。

かつて、演歌の世界が全盛の頃、歌手希望の若者も、まずは作詞家や作曲家の家に下宿して、身の回りの世話から始めたそうです。今聞くと、それがどうして歌手とつながるのか不思議に思うかもしれません。

しかし、志村けんさんと同じく、一人のクリエーターの近くに身を置き、曲が生み出される創作の空気を吸うことが、やがて、歌手として歌の世界を作り上げる上で、きっと大切なことだったのでしょう。おそらく毎日の歌のレッスンを受けながら、自分らしさや表現力を少しずつ練り上げていったのだと思います。

もし、ザ・ドリフターズが、当時、後継者を育成するための学校を作っていたらどうなっていたでしょうか?いかりや長介さんが教師として授業を行う。おそらく、入学者希望者は殺到したでしょう。ひょっとしたら、志村けんさん以上の才能ある者が入ってきたかもしれません。しかし、結果としてあの志村けんさんのような存在が生まれたでしょうか?たぶん出て来てないと思います。出てきても、ああいったスタイルはなかったとは思います。

個性とは、自分なりの色を出すことです。濃い色の人の間と交わっていれば当然濃く染まりますし、ぼんやりした色の人間ばかりのところにいれば、当然平均的な色合いになってしまいます。

弟子入りすると、せっかくの個性が消えて、師匠の色に染まってしまうと考えがちです。かつて世阿弥が残した風姿花伝書には、最初は、とにかく師匠を真似ることから始まり、やがて反発し、独自の芸を作り出して独り立ちをする。その過程を踏むことの大切さが書かれてあります。

これでわかることは、よほどの天才で無い限り、芸事というのはまず真似ることが大切だということです。そして、個性といったオリジナルは最後の最後に、自然に出てくるものだと言うことです。

ダウンタウンのような天才は、真似から入る必要がなかっただけで、同時期に成功したウッチャンナンチャンが、実は内海桂子・好江師匠に弟子入りしていました。しかし、結果として師匠とはまったくスタイルの違う芸風で成功しました。

弟子入りというのは、今時、時代錯誤かもしれませんが、ある分野でどうしても成功はしたいんだけど、最初からいきなり才能では勝負できないと思っている人たちにとっては、意外な抜け道になるのかもしれません。

最近はやりの、あこがれの人のサロンに入るのも、ある意味、現代のリアル弟子入りかもしれません。そもそも、最初の真似るということ自体が、とても難しいことです。特に小説や絵画など、まったくスタイルや方法を真似た段階で作品を出したら、それこそ○○もどきと言われて終わってしまいます。もちろんお笑いも同じですが。

画家希望者も当初は有名作品の模写から始まるように、きちんと真似ていけばどんな道でも必ず力にはなると思います。

たしかに、弟子制度に付きまとう、厳しい上下関係やパワハラ、薄給、長い修行期間が必要という悪いイメージもありますが、それは別の問題として解決していくべきでしょう。「殴られても、蹴られても我慢する」という根性論こそ、最初に駆逐されるべきことでしょう。

ですから、もしこういう人になりたいという明確な目標があるならば、とりあえずサロンのようなものでもいいから、目指す人の弟子入りしてみるのも、面白いかもしれません。あのドワンゴを作った川上量生さんが、ジブリの鈴木敏夫プロヂューサーに弟子入りした恰好の例もありますから。 

ではまた


夢はウォルト・ディズニーです。いつか仲村比呂ランドを作ります。 必ず・・たぶん・・おそらく・・奇跡が起きればですが。 最新刊は「救世主にはなれなくて」https://amzn.to/3JeaEOY English Site https://nakahi-works.com