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根性は見せたくない

その昔、学校の部活動の時、先輩部員から「根性を見せろ」、「根性を出せ」、とよく言われたものです。

そういう時は、厳しい練習に疲れ果て、しごきに近くになってきたときに使われる言葉でした。 

もともと、私は根性という言葉からは程遠い人種なので、今でも根性という言葉にはかなり敏感です。人が使うのも、人に向かって言うのも基本的には好きではありません。

なぜなら、自分の中では、「努力」の上位互換的な言葉だと思っているからです。「努力以上の努力」、「たとえできない目標でも、突破してみせるという意欲を見せろと」いう意味だと理解しています。そんなの絶対に無理です。

しかし、かつての同級生に、この根性を見せるのがとてもうまい奴がいて、先輩からいつも可愛がられていました。

ある日、それって、どうやればいいの?と尋ねると、
「とにかく、言った奴の倍の声で答える」と教えてくれました。
「たったそれだけ?」と思わず答えながら、とても拍子抜けしたのを覚えています。

確かに、じっと観察していると、根性を見せろと言われたとき、言われた言葉の数倍の声で返答していました。

彼にとっては、根性の見せ方は単なる「大声」だったのです。

しかし、その時は笑って聞いていたのですが、社会人になったとき、似たような場面がやってきました。

ある日体調を崩して、会社を休むために、電話で上司に「休ませてください」と言ったところ、突然「たまには根性を見せろ」と言われたのです。そのとき、つい反射で、
「わかりました、はいずってでも行きます」と大声で答えていました。

そして、何とか会社に行って、さらにフロア全体に聞こえるような声で「おはようございます」と挨拶すると、たちまち部屋の空気は一変して、いつもは怖い上司がすぐに近寄ってきて、「帰っていいよ」と、優しく言ってくれたのです。

つまり、かつての同級生の教えは本当だったのです。

そのとき、人というのは、自分が認識しているよりも、相手から大きな声を出された場合、つい意気に感じてしまうだと思いました。

つまり、根性を見せていると受け取るのです。いくら、体調が悪くて、ふらふらで会社に行って、蚊がなくような声でぼそぼそと答えていると、きっと同情よりも先に反感の気持ちが起きてしまうのでしょう。

弱っているからこそ、大声で虚勢を張る。できなくてもできると言う。根性を見せるとはしょせんそんなものかもしれません。

周りに「根性なし」と、「気合が足りない」と言われたら、一度相手がびっくりするような、「がんばります」、「ご指導ありがとうございました」などという言葉を、倍返しで、叫んでみたらいいかと思います。

ただし、言い方を少し間違えると、けんかを売っていると思われるのでご注意を。

ではまた

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