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10月7日(日記)俳句で意識を飛ばす

曇一時雨

「哲学的直感を得るには、最後には詩的センスが必要である」と言っていた。小林秀雄さんだったかな。そのことを急に思い出す。

いくら論理を積み上げで考えていっても、限界に突き当たり、人々の愁眉を開くような革新的な思想は生まれないと。ニーチェの文章が詩的なのは、たぶんそのせいなのだろう。

自分は哲学者ではないので、革新的な思想を生み出す気はないけれど、その哲学的直感を得たいとは思う。それって、たぶん小説のアイデアにも似ている。

詩を書くこと、それは純粋な詩を書くためではなく、たぶん革新的な文学的発想を得たいためである。ただ、やはり詩はどこまで行っても、西洋のものだと、書いていて切実に思う。
つい、誰かの視線を常に感じてしまう。十字架を背負った尊き方の・・・そう思うと、どこか、感性の断絶がある気がする。

こうなると、やっぱり和歌、俳句かな。
東洋の美が、現実に無限を感じようとするところにあるならば、今、この今の瞬間に美を見いだそうとする、俳句は格好の手段かもしれない。俳句で哲学的直感を得る。松尾芭蕉翁もきっと、それを求めていたのだろう。
「わび」、「さび」、「かろみ」。
しかし、これを小説にするのは、かなり難しい。小説というのも、明治の文豪たちが戸惑っていたように、どこか西洋的だから。

と、思考がフリーズしかけるので、こういうときこそ俳句の出番だ。思考を無限に向かって飛ばそう。

古池に 自意識沈める 音を聴く

哀れ蚊に 我を見いだし すすり泣き

いろいろな 想いを運んで 秋の風





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