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なかなかに

一月中旬というのは、お正月も終わり、さらに寒くなっていき、もう少し経つと節分。
まるで、季節のブラックホールのように、イベント的、ぽっかり開いた時期かもしれない。

毎日の、震災とかのニュースを見ると、死は以外に近いところにあるのを感じることが多くなった。

そして、もっと言えば、死とは本当に外部にあるのだろうかと考えてしまう。
「死」とは、外部から、物理的にやってきて、強引に肉体を引き裂き、バラバラにすりつぶして、滅してしまうこと言うのだろうか。

本当の死は、外部ではなく、内部にあるのかもしれない。
精神が、「死」を知っていくこと、そしていつしか「死」と同一化したとき、初めて
人は「死ぬ」のかもしれない。

いいかえると、我であり続けた自己の精神が、ヘーゲルの言う世界精神と一体化したとき、本当の個の「消滅」ではないか。と、同時に「救い」なのではないか。

と、他人の死は、いつでも哀しい。哀しくないとき、それは、自己の死を意味する時のような気がする。
毎日、坐禅をしている最中に、このような思いが、ふっと妄想のように湧いてくる。

もちろん、「喝」だ。

“被災者の 涙も混じるか 風花よ”




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