徒然なるままに綴る、目的志向はつまらないときもある
小さいころからあまり本は読んでこなかった。
両親と兄はよく読んでいたので、家には本がたくさんあったし、読め読めと渡されていた記憶もあるが、走り回っているほうが好きだったよう。
そして、そのまま育った。
今でいうタイパ(時間生産性)のような感覚が小さいころからあり、活字でストーリーをゆっくりと頭に入れていくのが性に合わなかった気がする。
漫画はよく読んだが、セリフをちゃんと読まないため、読むスピードが異常に早かった。
細かいセリフよりも、全体の流れや起承転結の要点が頭に入れば満足できるという感じだったと思う。
受験勉強の時も、社会に出てからの勉強の時も、その辺の考え方は変わらず。
とにかく要点はなんなのだ、結論はなんなのだ、となってしまう。
例えば、恐らく私が最も影響を受けている本、「7つの習慣」。
タイトルの通り、7つのことを伝えるだけなのに、数百ページある。
丁寧にわかりやすく、何故7つの習慣が大事かを説明しているが、私の性格的にはそんなこと実践してみないとわからん、となる。
結論だけ教えてもらえれば、あとはやってみて自分で判断する。
7つの習慣も実践してみて(入社した会社が7つの習慣研修を取り入れていたため)、自分の価値観や行動の変化があったので素晴らしい内容だと思っているが、本については正直いまだにちゃんと読んだことがない。
特に勉強本やビジネス本は、目的や伝えたいことが決まっているので、余計にそうなる。
ただ40歳になったこともあるのか、独立したからなのか、時代がそうなのかわからないが、最近はあまり目的やゴールを定めずに行動することにも、心地よさを感じられるようになってきた。
時間があると、敢えて移動を電車から徒歩や自転車に変えてみたり。
その最中も、仕事とは全く関係のない歴史や科学をテーマにしたポッドキャストをただただ聞いていたり。
そして、電車移動中には本をよく読むようになった。
ビジネス書ではなく、伝記や歴史、小説などを好んで読む。
これらの書籍には目的がないので、端折って読むことができない。
丁寧に文字を追っていくことで、少しずつ全体像がつかめるようになり、読み終えてはじめて満足感が出てくる。
先日はお茶の水から中目黒まで徒歩で移動したが、途中で靖国神社を通った。
恥ずかしながら行ったことがなく、ちょうど通ったので参拝してきた。
目指していなかったからこそ、行くことができた。
結局はビジネス書に書いてあることばかりが、人生の役に立つわけでもなく、時には小説から人生の糧を得られることもある。
目指すところにへの最短ルートばかりを考えると、大事なことを見落としてしまうこともある。
目的的にやろうとしまいすぎると、狭い視野でしか人生や世の中を見られなくなってしまうのだなと。
これ、なんの話なんだろう。
徒然なるままにまた書いてしまった。。
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