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文字的世界【5】

【5】原形質と洞窟─『パースの宇宙論』から

 パースの記号論から文字以前の〈文字〉の話題へ進む前に、少し迂回して、伊藤邦武著『パースの宇宙論』から、パースの形而上学をめぐる議論を引きます。

Ⅲ.原形質と洞窟

ⅰ)原形質をめぐって─物質についての新しい概念

 第三章「連続性とアガペー──宇宙進化の論理」。全体が一つの原形質からできているアメーバの話題をふりだしに、「物質のもつ精神性の有無」をめぐる議論(「アメーバの感情」「記号としての人格」等々)が展開される(141-149頁)。
 いわく、アメーバは体全体が非分節的であるから、その運動は原形質の不定形な連続体のなかでの無秩序な変化の伝達である。それはまさしく、観念の伝播、感じや感情の広がりと同じである。というよりも、原形質は感じそのものが外化した姿なのである。「われわれはアメーバのこの現象において、一塊の原形質のなかに感じが存在していると考える──それは‘感じ’ではあるが、明らかに‘人格’ではない──」(パースの引用)。
 パースの説明は曖昧だが、われわれは「粘菌」のようなものを想像することができるだろう。「スライム(粘液体)は化学的合成物にすぎない。…それが合成されるならば、自然の原形質がもつすべての性質を発揮することであろう。その場合にはそれが感じるであろう。」(パースの引用)
 人間の精神もまたアメーバと等しい。その観念の質的広がりにもとづく連続性は、観念の時間的な連続性とならぶもう一つの連続性である「他者とのむすびつき」というエレメントである。人格とは意識の連続性であり、それは一連の観念の連鎖以外のものではない。この連鎖の複数の融合が、すなわち一般的精神、共同体的精神にほかならない。
 まとめると、精神と物質はその根源、原初においてつながっている。精神とは、互いに孤立したアトミスティックなものではなく、一般化し成長する作用としての観念=記号の世界である。人格は記号であり、人格同士もまた記号的につながっている。
 世界は連続する精神と連続する物質からなり、さらには精神同士のあいだも、精神と物質のあいだも連続し合っている。このパースの存在論は、生気論的・有機体的・精神主義的(純粋にロマン主義的)である。しかし同時に、こうした観念論の特徴が全面的な偶然主義と結びつき、物質についての新しい概念[*]の示唆と結びついている点も、けっして無視されるべきではない。

ⅱ)洞窟をめぐって─異次元世界への導管

 第四章「誕生の時──宇宙創成の謎」の冒頭。パース著『連続性の哲学』(伊藤邦武編訳、岩波文庫、242-245頁)から、「人が光のない洞窟のなかで、自由に空中を遊泳しながら、さまざまな匂いと触覚とを頼りに空間の位置を確かめる経験を続けるうちに、空間の「特異面」を通り抜けて異種的な空間との行き来を行い、やがて内と外とがその特異面でつながっている「クラインの壺」の構造の空間に生きるという、新しい体験のありかたを習得する過程を記述した…ユニークなパッセージ」(183頁)が引用され、「この宇宙」の空間や時間が成立する「以前」の「質」の世界、連続性の世界をめぐるパースの壮大な宇宙論が叙述される。

 クラインの壺の構造をもった空間。表と裏、外と内をつなぐ特異面をもった空間。異次元世界への(ブルトンの通底器を思わせる)通路。それらはみな、洞窟体験をもたらす「宇宙空間の洞窟的世界」(228頁)の説明であると同時に、宇宙への「洞観」(227頁)に裏打ちされたパースの思想の世界を言い当てている。
 『二○○一年 宇宙の旅』の最後にでてくる「異次元の回廊」とは現代宇宙論の「ワームホーム」であり、その発想の基礎となる宇宙の特異点、すなわち「ブラックホール」は「宇宙大の規模で想定された現代の哲学的洞窟であり迷宮である」(228頁)。この言葉は、パースの思想そのものの形容でもあるだろう。パースの思想は、宇宙大の規模で想定された現代の哲学的洞窟であり迷宮である。

 ──そして、パースの方法は、洞窟を導管[duct]とする推論、すなわち「洞窟的推察」、略して洞察(=アブダクション[abduction])そのものであった!

[*]まだ見ぬ物質についての新しい概念を予見させる原形質とは「プラズマ」だった。──固体、液体、気体につぐ物質の第四の状態をいうプラズマと、プロトプラズマ(原形質)のプラズマは、使用される文脈は違うが、ともに「基盤」を意味するギリシャ語に由来する(「コーラ」という語と響き合っているかもしれない)。エクトプラズマのプラズマも同様。

 以下、余録として。『電気的宇宙論Ⅰ──銀河、恒星、惑星の進化を書き換えるプラズマ・サイエンス』(ウォレス・ソーンヒル/デヴィッド・タルボット著、小沢元彦訳)という本のカバー裏にこんなことが書いてあった。
「宇宙はそれ自体が巨大な伝導体であり、電気の力が宇宙全体を結びつけていた。」
「電気的宇宙は、これまでまったく関係ないと思われていた古代の謎にも解明の光を当てる。古代の岩壁絵画に描かれた象徴・文様が、古代の空にプラズマ放電が作り出した形と同じであることがわかったのだ。」世界各地の岩窟壁画に描かれた「スクワットをする人物」や「アイマスク」は、プラズマ放電が作り出す砂時計型のパターンやトーラスの形と「あまりにもよく似ており、とうてい偶然とは考えられない」。

 関連して『狩猟と編み籠──対称性人類学Ⅱ』(中沢新一著)から、旧石器時代の洞窟の壁に描かれた三層のイメージ群について述べられた一節を引く。
「真っ暗な洞窟の中に入り込み、長時間まったく光の射さない状態に居続けますと、視神経が自己励起をおこして、眼の内部から光の微粒子がふんだんにあふれ出す現象(これは生理学者によって「内部光学 entoptic 」と呼ばれています)がはじまり、さまざまなかたちをした光の抽象的イメージがあらわれるようになりますが、旧石器時代の人々は、その抽象的な光のイメージをとおして、宇宙の奥底を流れる力の実在を認識して、それを霊の領域として理解したようです。これをイメージ群第一群と呼ぶことにします。」(17頁)
 ──旧石器時代の古代人の深い意識変容状態において、内在的視覚現象(眼の内部からあふれ出す抽象的な光のイメージ)と外在的視覚現象(古代の空にプラズマ放電が作り出した形)が通底する?

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