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(2)スリジー駅

スリジー城に向かう参加者らしい人物が、十数人ホームに降り立った。
スーツケースを抱えて、駅前の車寄せに集まる。
スリジー城に向かうリムジンを待つためだった。
列を作るということもなかった。久重もそれぞれが立っているその端に並ぶ。
互いに視線と微笑みを交わす。

昔からフランスには伝統的なサロンの文化がある。

世界で活躍する研究者たちが集まる国際会議場として、スリジー城は有名な場所だった。
人文科学の分野のみならず、自然科学の分野における国際会議が、この古城で開催されていた。
特に夏の国際会議は、夏休みということもあって、参加者は学生や一般人にも開かれていた。

久重の横に立った男が、胸のポケットからマールボロのタバコを取り出した。火をつける。煙とともに、仄かにジャスミンの香りが漂ってきた。
「パルドン」と、男は煙を吐きながら言った。どこから来たのかと、訊いてきた。
「日本から」
「プロフェッスール?」
「ウイ」
男は久重より一回り若い世代だった。

ジーンズのズボンに皮のジャンパー。ヨーロッパの夏は短い。8月の終わり、すでに肌寒い季節になっていた。
久重も腕にコートを抱えていた。
「プロフェスールですか」と、久重も男に訊いた。
男は首を横に振り、自分はジャーナリストだと答えた。

レヴィナスを取材して、彼の評伝を書くのだという。
「レヴィナスは歴史に残る偉大な哲学者です。彼の評伝を書くのが僕のライフワークです」と男は言った。
「評伝を書くのは難しいですか」と久重は訊ねた。
「難しい。相手は哲学者。レヴィナスを知るためのインタビューをする相手も哲学者。それを手伝ってくれるのがソニーのカセットテープ。有能な秘書のようなものです」

男はショルダーバッグを手で叩いた。
「ジャパン アズ ナンバーワン」
1980年代、日本は高度成長期を迎えていた。世界中にメイド イン ジャパンの車や家電製品があふれた。パリの通りにも日本車が多く走っている。
「これからポール・リクールのインタビューも予定しています」と男は言った。
「ポール・リクールは私の師です」と久重は答えた。
男は驚きの顔で久重を見た。
1968年に、パリ大学に留学した時の指導教官がポール・リクールだった。

男はタバコを吸い終えた。足もとに落とす。靴の先で踏みつける。
「ところであなたとレヴィナスとの関係は?」と男は訊いた。
「論文を読んでもらったことがあります。私の書いた本も贈りました。もちろんお会いしたことも」と久重は答えた。

男は興味を引かれたようだった。しかしリムジンが駅の方へと近づいてきた。
「うまい夕食にありつけるといいな」と男は言った。
久重も同感だった。
男は久重に先を譲った。リムジンに乗り込む。

リムジンは赤い実をたわわにつけたりんご畑を進んでいった。牧草地には乳牛がのんびりと草を食んでいる。

スリジー城が姿を現した。白い城壁に青い屋根。まるで貴婦人のような優雅さで迎えてくれる。
スリジー城の広大な庭の周囲は楡の木が立ち並んでいた。
リムジンは庭のプロムナードを通って古城の玄関前に着いた。


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