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伝統的継承法の変更事例① 貴賤結婚を解禁したハプスブルク家:一門は宗家に猛抗議、オーストリア君主主義者は分裂

File:Kondukt in Wien (38).jpg©János Korom Dr.(CC BY-SA 2.0

はじめに

 令和二年(2020年)現在、皇位継承権を有する皇族は、皇嗣・秋篠宮殿下を筆頭に、秋篠若宮殿下、常陸宮殿下のお三方しかおられない。皇位継承有資格者の不足が叫ばれて久しい。

 それゆえに、旧宮家や皇別の子孫に皇籍を付与することや、皇室の歴史上先例のない女系継承を認めることが提案されている。国民の間で最も人気があるのは、女系継承を認めるというアイデアである。

「政府は女性宮家の創設など安定的な皇位継承のための諸課題について、皇族減少の事情も踏まえて検討を行い、速やかに国会に報告する」
         ――『天皇の退位等に関する皇室典範特例法』附帯決議

 女系継承を認めることにより皇位継承有資格者を増やすことは、なるほど「安定的な皇位継承」には寄与するかもしれない。しかし、それは皇位自体を不安定にしかねない諸刃の剣でもあるということを指摘しておきたい。

 外国君主家の事例をみると、伝統的な継承法を変更することは岩盤支持層の離反、崩壊につながることがわかるだろう。今回は、貴賤結婚を解禁して紛糾したオーストリア帝室(ハプスブルク=ロートリンゲン家)の事例を紹介しよう。

 そもそも天皇とは歴史的に宗教的存在であり、信仰の対象である。その「聖性」を女系で継承できるかといった「神学論争」的な議論は本来避けて通れないが、その手のテーマはよそに譲り、ここでは伝統的な継承法の変更がどのような事態を引き起こしてきたかを紹介するにとどめたい。

貴賤結婚を認めた
ハプスブルク=ロートリンゲン家

 1918年までオーストリア=ハンガリー君主国を統治していたハプスブルク=ロートリンゲン家。その現在の当主は、元皇太子オットーの長男カール・ハプスブルク=ロートリンゲンである。

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現当主カール・ハプスブルク=ロートリンゲン(2018年)
©Karl Gruber(CC BY-SA 4.0)を改変

 しかし、現代のオーストリアの君主主義者には、分家のオーストリア=エステ大公ローレンツこそが正統な帝位継承者だと考える者も大勢いるらしいのだ。

 彼らはなぜ、現当主カールではなく分家のローレンツのほうを奉戴しようという考えに至ったのか。おそらくその理由は、カールがハプスブルク家の長い伝統に反して「貴賤結婚」をしたことにあるのだろう。

 ハプスブルク=ロートリンゲン家は、ヨーロッパの王侯の中でもとりわけ貴賤結婚に厳しい家柄だった。サラエヴォ事件の犠牲者として有名なフランツ・フェルディナント大公に、身分違いのホテク伯爵家の息女と恋に落ちて大問題になった過去があることはよく知られているところだ。

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フランツ・フェルディナント大公の貴賤結婚(1900年)
勅命により、皇族はほとんど参列しない寂しい婚儀に

 しかし、そんなハプスブルク=ロートリンゲン家も、20世紀後半に至って貴賤結婚を禁じる家法を事実上撤廃した。そして、当時継嗣だったカールは1993年、ティッセン=ボルネミッサ男爵家の娘を妃に迎えた。ホテク伯爵家が曲がりなりにもボヘミアの歴史的貴族だったのに対し、こちらは正真正銘の新興貴族だ。

 家法上、このカールの婚姻は完全に合法である。しかし、もしフランツ・ヨーゼフ1世がこれを知ったなら、烈火のごとく怒ったことは確実だろう。歴史上の人物を持ち出さずとも、実際にハプスブルク一門の間では、宗家の「貴賤結婚」に不満がくすぶっていたようだ。

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