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近親婚のしすぎで断絶したはず… スペイン・ハプスブルク家の「末裔」、現る

はじめに
――近親婚と男系断絶――

 『平家物語』に曰く、「娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす」。どんなに勢いが盛んな者であっても必ず衰えていくのが世の道理とされる。

 ヨーロッパの大部分を版図に納め、栄光ある神聖ローマ皇帝位を世襲し、また「太陽の沈まぬ国」と形容される広大なスペイン植民地帝国を建設するなど、世界史上に稀なる栄華を誇ったハプスブルク家もその例外ではない。

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欧州におけるハプスブルク家の版図(1547年)

 一族の富を他家に渡すまいと、近親婚を幾度も重ねていたことがかえって災いしたのであろう。ハプスブルク一族には先天的に病弱な者が続出した。伝統的に多産の家系だったが、産めども産めども子がまるで育たなくなり、ついには男系断絶の時を迎えるに至った。

 17世紀最後の年である1700年、スペイン・ハプスブルク朝が断絶した。生まれながらにして虚弱体質・知的障碍を併持していた「呪われたる国王」カルロス2世が、世嗣たる王子なくして崩御したことによる。

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スペイン王カルロス2世の肖像

 イギリスの作家ジョン・ラングドン・デイビーズは、カルロス2世の生涯を「生まれる200年前に毒で死んだ男」と要約している。あまりにも近親婚を重ねすぎた一族の末路を簡潔に表現したものだ。

 身体には、一滴の血液も含まれていなかった。彼の心臓は胡椒の粒ほどの大きさしかなく、肺は衰弱し、腸は腐って壊疽を起こしている。睾丸は石炭のように黒く一つのみで、頭のなかは水でいっぱいだった。 
                ――医師によるカルロス2世の解剖記録

 一方のオーストリアでも、神聖ローマ皇帝カール6世が後継者たる男子に恵まれず、将来の男系断絶が確実となった。そして、最後の男系女子であるマリア・テレジアの死去(1780年)をもって、オーストリア・ハプスブルク朝もその歴史に幕を閉じた。

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「女帝」マリア・テレジアの肖像
ロートリンゲン公爵家のフランツ・シュテファンと結婚した。

 それ以降もオーストリアにはマリア・テレジアの子孫が君臨したものの、その正式な王朝名は「ハプスブルク=ロートリンゲン朝」である。名門貴族ロートリンゲン家(※フランス語ではロレーヌ家)との合同を果たしたからだ。

 かくして、「神に愛されし一族」だったはずのハプスブルク朝の男系は、スペインとオーストリアの双方において断絶の憂き目を見た。ハプスブルク家の血脈は、もはや女系を通してしか今日には伝わっていない。

 ――はずだった。

スペイン系の庶流が現存?

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