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よりぬき1

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しばらく数えていないので正確な文字数は不明ですが、10万字を超えていることはまず間違いありません。
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#皇室

元号と天皇の追号の関係:「平成天皇」「令和天皇」になるとは限らない

はじめに 明治時代の天皇に「明治天皇」、大正時代の天皇に「大正天皇」といった具合に、近代以降の歴代天皇には崩御後にその在位中の元号を用いた追号が後継者たる天皇から贈られてきた。  宮内庁編『明治天皇紀』曰く、「治世の元号は、最も聖蹟を象徴する」。明治維新後は一世一元の制を導入したことによって、天皇の在位期間と在位中の元号がそのまま重なるようになった。結果、孝明天皇までのような諡号よりも元号を冠する追号のほうが治世全体をよく示すようになったのだ。  この形式が明治、大正、昭

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君主「朕より嫡流が現れた。朕は玉座を譲り渡すべきなのか?」という話

はじめに:王家の嫡流が現れた! ――『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』の二つの王国の事例 そんな、まさか――。若きラインハット国王デールは、思わず己の目と耳を疑った。 「ですが王さま。子分は親分のいうことを 聞くものですぞ」  耳馴染みのあるそんな言葉を囁いた男は、どこからどう見ても、約十年前に拉致され、すでに死んだものと思われていた兄のヘンリーその人だった。本来ならば自分に優先する王位継承者であった兄が今、確かに生きて眼前に立っているのだった。 「兄さん! ヘンリー兄さん 

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皇族の妃が「不義の子」を出産…そんな重大事件をも想定していた戦前の皇室令

『源氏物語』と「もののまぎれ」 紫式部が書いた『源氏物語』は、光源氏が亡き母親によく似ているという藤壺への慕情を抑えられず、ついには父・桐壺帝の女御であるというのに手を出してしまうという展開を含む物語である。やがて藤壺は天皇の子ということにして光源氏の子を産み、不義密通の結果として生まれたこの「皇子」がのちに即位することになる(⇒冷泉帝)。

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日本皇室がハンガリー王などを輩出していたかもしれない話

File:Hungarian Parliament 002 - Flickr - granada turnier.jpg©granada_turnier(CC BY 2.0)を改変 はじめに  神話に語られる神武天皇即位を起点に、約二七〇〇年もの歴史を持つとされる日本皇室。少なく見積もっていわゆる「王朝交代説」で有名な継体天皇からと仮定しても、一五〇〇年ほどは続いていることになる。万国の名だたる君主家と比べても、格段に長い歴史を誇る。  しかしその一方、特にヨーロッパの

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【愛知県の皇室伝承】4.漂着した皇族「開元王」の栄枯盛衰 民話「海に消えた皇子」(豊橋市)

※写真はすべて令和四(二〇二二)年四月五日 皇子「開元の宮」伝説: 『牟呂村瑞雲山真福寺観音由来記』より牟呂大海津公園  愛知県豊橋市の西部、牟呂に「牟呂大海津公園」という公園がある。毎年三月末から四月初頭にかけて、園内に植えられた数十本のサクラが一斉に見事な花を咲かせるので、地元住民にはごく身近な花見スポットとして親しまれている。  ところで「津」とは港、港町を意味する言葉だ。牟呂大海津公園は三河湾から三キロメートルほども離れた位置にあるが、その名が示す通り、かつては

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【愛知県の皇室伝承】6.南朝の天皇説も… 東下りの果てに切腹した謎の皇族「弘仁太子」(豊橋市)

謎の皇族「弘仁太子」伝説布金山長慶寺  愛知県豊橋市の南西部、杉山町孝仁というところに、布金山長慶寺という曹洞宗の寺院がある。皇室ゆかりと伝えられており、本堂の壁や賽銭箱には皇室の象徴「菊花紋章」があしらわれている。 「長慶寺」という寺号からは南北朝時代にご在位なさっていた人皇第九十八代・長慶天皇をつい連想してしまうが、寺伝によれば関係があるのはそれより百五十年ほど前の鎌倉時代にご在位なさっていた第八十三代・土御門天皇の皇子――ただし『皇統譜』には記載のない――であるらし

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【愛知県の皇室伝承】1.「大友地区」地名起源譚:大友皇子生存伝説 in 三河国(岡崎市)

1.岡崎市の大友皇子伝説 ※大友皇子は、明治三年(一八七〇年)に第三十九代人皇として「弘文天皇」の諡号を贈られているが、この記事では探訪地「大友」の周辺において支配的だった「大友皇子」の表記を基本的に用いることにする。 「大友」地区  第三十八代・天智天皇の崩御後、皇位継承をめぐる内乱――壬申の乱――が勃発した。この骨肉の争いの敗者とならせられた大友皇子は、今となってはどこにあったのか不明な「山前」なる地において縊死されたといわれる。 『日本書紀』に曰く、「走りて入らむ

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【愛知県の皇室伝承】2.歴史書にない文武天皇の「三河行幸」伝説:夭逝した皇子「竹内王子」編(豊橋市)

文武天皇の「三河行幸」伝説 奈良時代に成立した歴史書『続日本紀』に、「太上天皇幸参河国」という記述がある(大宝二年十月十日条)。  第四十一代人皇・持統天皇におかせられては、皇孫の軽皇子(=文武天皇)にご譲位なさって日本初の「太上天皇(=上皇)」になられた後の大宝二年(七〇二年)、三河国まで御幸なさった。それゆえに、三河国には持統上皇が関わる伝説がまさに山のように残っている――が、今回はその話ではない。  持統天皇から皇位をお受け継ぎになった文武天皇だが、この帝に関しては

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