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愛知県の皇室伝承

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・壬申の乱の敗者、弘文天皇の生存伝説(岡崎市) ・文武天皇が「三河行幸」中に儲けた皇子「竹内王子」(豊橋市) ・なぜか渥美半島に渡った後小松天皇の皇女「松代姫」(田原市) ・うつ…
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#愛知県岡崎市

【愛知県の皇室伝承】1.「大友地区」地名起源譚:大友皇子生存伝説 in 三河国(岡崎市)

1.岡崎市の大友皇子伝説 ※大友皇子は、明治三年(一八七〇年)に第三十九代人皇として「弘文天皇」の諡号を贈られているが、この記事では探訪地「大友」の周辺において支配的だった「大友皇子」の表記を基本的に用いることにする。 「大友」地区  第三十八代・天智天皇の崩御後、皇位継承をめぐる内乱――壬申の乱――が勃発した。この骨肉の争いの敗者とならせられた大友皇子は、今となってはどこにあったのか不明な「山前」なる地において縊死されたといわれる。 『日本書紀』に曰く、「走りて入らむ

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【愛知県の皇室伝承】7.「矢作川」の地名起源譚:日本武尊の矢作りを助けた蝶々(岡崎市)

矢作川の地名由来伝説 矢作川。愛知県岡崎市を流れるこの川に架かる矢作橋には、日吉丸と小六正勝――後の豊臣秀吉と蜂須賀正勝――がここで初めて出会ったという伝説があり、その橋畔には「出合之像」と題する二人の像が建立されている。  そんな矢作橋の東側から矢作川に臨むと、向こう岸にこんもりとした茂みが見える。地名も何も冠さない八幡宮ならびに矢作神社の鎮守の森である。  矢作神社の境内には、第二次世界大戦のさなかの昭和十八(一九四三)年に「皇紀二六〇〇年」を記念して作られた、そのご

【愛知県の皇室伝承】13.皇后陵「絵女房塚」 夢の中で美女に逢い、姿絵を描かせて似た女を探させた天皇(岡崎市)

はじめに ~豊後の民話における用明天皇~ 人皇第三一代・用明天皇。ご在位はわずかに二年足らずで、長く「廃帝」扱いを受けていた仲恭天皇と弘文天皇が明治三(一八七〇)年に歴代天皇に列せられるまで、ご在位が最も短い天皇であった。それゆえに顕著なご業績といえば仏教の公認くらいで、他には聖徳太子の御父帝としてその名を残すばかりである。  歴代天皇の中でも影が濃いとは畏れ多くもいいがたい用明帝だが、しかし九州地方にはそんな彼が主要な登場人物となる民話が伝わっている。豊後国(※ほぼ現在の