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愛知県の皇室伝承

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・壬申の乱の敗者、弘文天皇の生存伝説(岡崎市) ・文武天皇が「三河行幸」中に儲けた皇子「竹内王子」(豊橋市) ・なぜか渥美半島に渡った後小松天皇の皇女「松代姫」(田原市) ・うつ…
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#愛知県豊橋市

【愛知県の皇室伝承】2.歴史書にない文武天皇の「三河行幸」伝説:夭逝した皇子「竹内王子」編(豊橋市)

文武天皇の「三河行幸」伝説 奈良時代に成立した歴史書『続日本紀』に、「太上天皇幸参河国」という記述がある(大宝二年十月十日条)。  第四十一代人皇・持統天皇におかせられては、皇孫の軽皇子(=文武天皇)にご譲位なさって日本初の「太上天皇(=上皇)」になられた後の大宝二年(七〇二年)、三河国まで御幸なさった。それゆえに、三河国には持統上皇が関わる伝説がまさに山のように残っている――が、今回はその話ではない。  持統天皇から皇位をお受け継ぎになった文武天皇だが、この帝に関しては

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【愛知県の皇室伝承】4.漂着した皇族「開元王」の栄枯盛衰 民話「海に消えた皇子」(豊橋市)

※写真はすべて令和四(二〇二二)年四月五日 皇子「開元の宮」伝説: 『牟呂村瑞雲山真福寺観音由来記』より牟呂大海津公園  愛知県豊橋市の西部、牟呂に「牟呂大海津公園」という公園がある。毎年三月末から四月初頭にかけて、園内に植えられた数十本のサクラが一斉に見事な花を咲かせるので、地元住民にはごく身近な花見スポットとして親しまれている。  ところで「津」とは港、港町を意味する言葉だ。牟呂大海津公園は三河湾から三キロメートルほども離れた位置にあるが、その名が示す通り、かつては

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【愛知県の皇室伝承】6.南朝の天皇説も… 東下りの果てに切腹した謎の皇族「弘仁太子」(豊橋市)

謎の皇族「弘仁太子」伝説布金山長慶寺  愛知県豊橋市の南西部、杉山町孝仁というところに、布金山長慶寺という曹洞宗の寺院がある。皇室ゆかりと伝えられており、本堂の壁や賽銭箱には皇室の象徴「菊花紋章」があしらわれている。 「長慶寺」という寺号からは南北朝時代にご在位なさっていた人皇第九十八代・長慶天皇をつい連想してしまうが、寺伝によれば関係があるのはそれより百五十年ほど前の鎌倉時代にご在位なさっていた第八十三代・土御門天皇の皇子――ただし『皇統譜』には記載のない――であるらし

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【愛知県の皇室伝承】8.天皇が着座した? 宝樹山万福寺の「天王岩」 皇子漂着伝説も…(豊橋市)

1.宝樹山万福寺の「天王岩」 愛知県豊橋市の小浜町にある宝樹山万福寺。寺伝によれば平安時代後期の寛治五(一〇九一)年に創建されたという古刹である(臨済宗妙心寺派)。  その境内に広がる霊園の片隅に、時期によっては植木の葉に覆われていてあまりよく見えないが「天王岩」という岩がある。長らく竹藪の中にあり、平成十(一九九八)年の境内整備によって今の姿になったそうだから、これでも確実にマシになったほうなのだろう。  この岩は、元々は本堂前の庭にあったが、「いわれを知らない者が無礼

【愛知県の皇室伝承】12.「岩屋山」由来記:三億八千万人の東夷が投げてきた巨岩を神通力で砕いた聖徳太子(豊橋市)

はじめに: 東海道の名所「岩屋観音」と伝説の数々「二川の駅を過ぎて少し行くと旅客はその右に不思議な観音像の立っているのを見るであろう。これは名高い窟の観音である」  自然主義文学の代表的作家の一人、田山花袋が『日本一周』(大正三年、博文館)の中に書いた、岩屋観音についての文章である。この観音は江戸時代、街道を行き交う旅人に篤く信仰されたという。  岩屋観音は、天平二(七三〇)年に行基が諸国巡錫の途次、一尺一寸(※約三十三センチメートル)の千手観音像を刻んで岩穴に安置したの