5000m20分台の落ちこぼれが高3ラストレースで15分台を出すまでその2

皆さんこんにちは。「N」と申します。

昨日に引き続き、これまでの高校陸上の道のりを書いていこうと思います。

④空白の1年間
総体が終わり、学校生活にも慣れていこうと思った高校1年。部員の皆に追いつけ追い越せで、練習についていくのが精一杯でした。しかも当時の顧問の先生が短距離しか教えていなかったらしく、練習がはちゃめちゃで何度か怪我したこともありました。今ご指導されている先生に見てもらえれば何か変わったのかな、と思うと少し残念な気持ちになります。

部活動内でも1年生の頃は短距離中心に物事が進んでいた気がします。競技柄、練習は長距離の方が早く終わります。だから、クールダウンの時間を削ってでも(なぜか)短距離の選手たちが使ったハードルを戻さなくてはならなかったし、記録会が夜なのにも関わらず短距離の試合を見なくてはならず、朝から晩まで競技を見てた事もありました。
そんな「空白の一年」とも呼べる無駄な日々が終わり、2年生に進級します。

②結果が出なかった2年、何かをつかみかけた2年

二年生になると、今までご指導いただいた先生が教員を退職する事になり、現在も高校の長距離ブロックの指導をされている先生のもとで活動を始めました。後輩もでき、格好悪い姿は見せられないと身が引き締まる思いでした。

冬は故障もなく、スピードトレーニングでタレたりはしたものの、順調に練習をこなせていました。正直その頃の私は「16分台余裕じゃね?」と高を括っていました。やっている練習は16分台は必ず出せるような練習だったからです。

迎えた2度目の総体。5000mの結果は17’11。完全に高を括っていた結果が現れていました。同じチームメイトは自己ベスト1分以上更新し、県大会へ進みました。短距離と長距離合わせて、私一人だけ県大会へ行く事ができませんでした。

その後は何となく練習にも気が入らず、タレる回数も多くなりました。それに伴って先生にも怒られる回数は多くなっていき、総体の後の記録会でも記録は出ず、低いモチベーションのまま夏の練習を迎えることになりました。

夏の練習は、朝と午後の二部練習で、ひたすらjogをするという形でした。元々メンバーが少なく、合宿が成立しなくなってしまう事もあり、夏休みは2部練習のみになりました。

最初は少し練習に対して不安要素が沢山ありましたし、練習を繰り返していくうちにその不安も無くなっていき、そこで私は、記録を出すための「何か」を掴む事ができました。当時はまだ漠然としており、端的にいうと根拠のない自信という感じだったと思います。
その「何か」が理解できたのはもっと後の事でした.....

今日はこれくらいにします。続きはまた明日。




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