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エッセイ連載 第6回「騒音問題を叫ぶ……?(後編)」

 コロナウイルスがやってきて、私たちの生活は一変した。

 初めての緊急事態宣言。4月から新しい仕事が決まっていたが、一度も職場に行くことはなく、2ヶ月間の自宅待機となった。タイミングが良いのか悪いのか、夫は4月から長期の出張へ。高齢の祖父母がいる実家へは帰れない。世間は自粛モード全開。店は閉まり、どこへ行けるでもなく、ひとりで家にいる生活が続いていた。

 そこで始まったのが、隣人のリモートワークである。壁の薄い木造の賃貸アパートは、少しの音でも聞こえてしまう。もちろんそのリモートの内容も筒抜けである。

 隣人はどうやら男性の一人暮らし。ゴミ出しをしている所をちらっと盗み見たところによると、長めの金髪に無精髭、中肉中背、30代後半から40代前半。リモート内容によると、おそらく独身で、映像かIT関係の仕事をしているようだった。以前はよく彼女らしき女性が遊びに来ていたが、今はそれもなくなっていた。

 リモートワークはしたらいい。このご時世、仕方がない。むしろできる業種は推奨されるべきだと思う。内容がこっちにも分かる大声で、というのは問題だが、それもまあ、昼から夕方にかけての時間帯ならば良い。私を悩ませていたのは、隣人のその高圧的な態度だった。年齢から察するに、仕事のチームで上の立場なのだろう。若手を指導する一環で、次のような言葉を吐く。大声で。

 「仕事なめてんのか!」「使えねーな」「俺の時代は、(うんぬんかんぬん)」

 響き渡る怒声。明らかにパワハラだ。そのお説教タイムが1時間くらい続く。「私に言っているんじゃない」と分かっていた。だが、ずっと外に出られない状況でマイナスな言葉ばかりを聞いていると、心がおかしくなってしまいそうだった。

 それだけではない。夜にはリモート飲み会をして、また深夜まで大声で話している。眠れない。眠れないから、映画やドラマを観る。仕事がないこともあって、生活は昼夜逆転していった。外に出られない、誰とも会えない、話せない、フィクションやネットだけを見続ける、という時間が毎日続き、私のストレスはマックスだった。

 そんな生活に耐えられなくなった私は、ついにある行動に出る。

 ベットの位置を変えることにしたのだ。広いワンルームの壁側にあったベッドをキッチンの横、部屋の真ん中に持ってきた。かなりおかしな並びになったが、「理想の部屋よりもストレスの解消だ」と我慢した。

 そして「そうだ、復讐しよう……!」と決心し、テレビを隣人の壁側に設置してやった。テレビの線はキッチン側にしかなかったので、わざわざネットで10mくらいの白い線を購入し、天井を這わせてテレビに繋いだ。実際「復讐」は口実で、テレビをどかさないとベッドが置けなかったため、復讐半分、自分の為半分(いや、結局全て自分のためなのだが)といった所だった。

 こうして、夜、隣人がうるさい時にはテレビを大音量で流す、という行動を取るようになった。リモコンの音量ボタン”上”を連打する。その度に「私の気持ちがわかったか!」と心の中でガッツポーズを取った。

 だが、自分の音に鈍感な人は、他人の音にも鈍感なようだ。隣人の行動は何も変わらなかった。

 「直接言ったらどうか」という意見ももちろんあるだろうが、現状としてこちらは女の一人暮らし。向こうは男性、しかも察するにパワハラ気質でやばそうな人。騒音問題から殺人事件に発展したケースも耳にする。それは大袈裟な例えかもしれないが、何かされたらとそのリスクを考えると、テレビ攻撃意外、何も出来なかった。同時に、殺人をする側の気持ちは多少実感できた。

 結局、この騒音問題意外にも原因はあったのだが、私は少し気分が沈み込みやすくなってしまい、夫が出張から帰ってきたタイミングで引越しを提案した。

 面白いことに、夫から管理会社に「騒音問題が酷くて引越しします」と強めに伝えたところ、引越すまでの1ヶ月間、隣人の騒音はぴたりと止んだ。おそらく管理会社からそのことが伝わったのだろう。私は「なにをいまさら」と苛立ちを覚えたが、「やっとここから離れられる……!」という喜びが勝り、隣人をボコボコにして、さっさと引越した。心の中で。そのくらいヤバい精神状態だった。

 現在は、大崎から離れ、初めて別の街で生活している。

 あんなに大好きだった大崎から離れることは悲しかったが、新しい街を開拓するのも悪くはない。引越しの条件は、もちろん"音"だった。

 運良く、閑静な住宅街の、角部屋、寝室は隣の部屋側ではない物件と巡り合えた。もちろん、木造ではない。「やっと静かに生活できる!」とそう思っていたが、最近になって、また騒音問題に直面することとなった。

 隣の部屋と真下の部屋のご夫婦に赤ちゃんが誕生したのだ。もちろんおめでたいことではあるが、昼夜を問わず泣き声が聞こえてくる。赤ちゃんは泣くのが仕事なので、こちらは問題とまではいかないのだが、同時期に、隣に建つ家の解体工事がスタートしたのだ。赤ちゃんの泣き声、工事の音、地震並みの振動、窓を開ければ工事のおじさんたちに「こんにちは!」、そんなダブル、トリプル騒音生活がはじまったのだった。

 はぁ……、私って家運がないのかも。

 騒音問題。東京に住んでいる限り、この問題とは切っては切れない関係なのだろうか。

 終の住処は、山奥にしよう。そう誓った2022年の夏であった。

NEXT 8月1日

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