見出し画像

エッセイ連載 第5回「騒音問題を叫ぶ……?(前編)」

 住む場所を選ぶ基準は何だろうか?立地?間取り?家賃もしくは価格?今の私は間違いなく”音”と言うだろう。

 東京に来て約12年間、私はJR大崎駅の周辺に住んでいた。

 高校3年生の3月、大学合格が決まるとすぐに、住む場所を決めるため親と東京に向かった。大学が品川駅の近くだったので、不動産会社の人と一緒にその周辺のいくつか物件を見てまわった。その大崎の物件は、線路から近くてややうるさい普通のマンションの5階だった。間取りは1K。バストイレ別だが、トイレと洗面所、風呂が同じ空間にある変わった構造。キッチンと部屋に仕切りがあり、ベランダとは別に出窓がついている所が気に入った。東京のことを何も知らない。いや愛知県の田舎しか知らない18歳の(ぎりぎりまだ)JKが頼れる物は、”自分の直感”だけだ。部屋に入った瞬間、「ここで」と即決した。もちろん親の助言や、金銭面安全面など他にも決め手は色々とあったが。

 住み始めて、大崎という街がとても好きになった。20年くらい前は工場地帯だったらしいが、今は高層ビルが立ち並ぶオフィス街となっていた。山手線、埼京線・湘南新宿ライン、りんかい線などの電車、駅前に高速バスの乗り場、一駅行けば品川駅から新幹線に乗れる、など交通の便が抜群に良かった。そして何より、「一見、人が住む場所じゃないよね」という所が好きだった。駅周辺にはスーパーやレストラン、カフェなどの入った商業施設がいくつかあったのだが、オフィス街ということで土日は極端に人が少なく、混雑を避けて利用することができた。また、郵便局やATM、病院なども駅近にまとまっていたため、何の不便も感じなかった。そんな住みやすい街で、大きなトラブルに巻き込まれることもなく、初めてのひとり暮らしを、東京という街を、私は満喫していったのだった。

 快適無敵な大崎ライフなものだから、「できる限りこの街から離れたくない!」という気持ちが強く、引越す時は”大崎駅を利用できること”を条件とした。結局、約12年間で3つの大崎の物件に住んだのだが、その3軒目の家で、私は大きな問題に巻き込まれることとなる。そして、大崎に「さよなら」をしなくてはいけなくなる。

 1軒目が大学生の頃からずっと住んでいた1Kマンション。2軒目は家賃がめちゃくちゃ高い1LDKマンション。そして、3軒目。最後に住んだ物件は、ワンルームのアパートだった。1階に玄関があり、入ってすぐの階段を上がると開けた空間が広がっているという間取り。いわゆるメゾネットタイプの物件だった。決め手は、駅から徒歩5分。しかもその物件、新築だったのだ。どうやら古い大きな一軒家をアパートとして建て直し、その1室に大家として元の家の持ち主が住むようだった。(この大家さんとは、仲良くなり様々な事件が起こるのだが、それはまた別のお話)そして、家賃が相場より安かった。2軒目のマンションを経て、家賃を節約したかった私は「ここだ!」と感じた。一方で、メゾネットタイプは初めてだし、その頃、今は夫である人と婚約中&同棲中だったことから、2人暮らしでワンルームは厳しいか?とも不安に思った。しかし、ちょっとした事情である程度狭めの部屋を希望していたため、また”自分の直感”を信じて、即決した。まだ家が完成する前のことだった。

 今思い返せば、この段階でもう少し検討すれば良かったのかもしれない。

 少しして物件が完成し、無事に入居できた。同じ駅周辺で引越すと引越し作業がものすごく楽だ。歩いて移動できるし、引越し業者も安い。入居してしばらくは楽しかった。新品のキッチンやお風呂は使う度に気持ちが高揚したし、新しい家の周りを散歩して、今まで気がつかなかった店を開拓したりした。しかし数ヶ月後、生活は一変した。今まで空室だった隣の部屋に、遅れて住人が入居したのだ。そして、この家の問題を身を持って知ることとなった。

 この物件、木造だったのだ。

 木造は音が非常に漏れやすい。隣に引越してき住人、男性の一人暮らしのようだが、毎晩友達?彼女?を呼び、音楽を流し、大声で話をしているのだ。それも明方4〜5時まで。私の住んでいる部屋は角部屋だったが、部屋の間取りとベットのサイズ上、隣の部屋側の壁にくっつける形でベットを置いていた。おそらくこの壁がものすごく薄かったのだろう。ベットで寝ていると、音楽や話し声が聞こえてくる。音楽はだいたい流行りのJ -POPで、朝はクラシックなこともある。話す内容も全部丸聞こえだし、何のテレビを観ているかまで分かった。

 私の実家は木造だったが、ぽつんと一軒家だったし、今までのマンションは鉄骨造りだったのだろう。家が何でできているかを気にしたこともなかったし、"音"を物件選びの基準にしたこともなかった。だが、時すでに遅し。「騒音問題、まじでやばい……」ということに今更ながら気が付いた。気が付いたら、それはもう、気になってしまう。家のせいなのか、その隣人が単にやばい人なのかはわからないが、というかどっちでもいいが、さすがに深夜までの騒音は眠れないのでやめて欲しかった。

 管理会社にその旨を伝えた。だが、まあよく聞くパターンで、「注意の紙を貼ります」と言われただけで、改善はされなかった。しかし、ここで負けるわけにはいかない。根気強く何度も管理会社に電話を掛けたり、音の証拠動画などを撮ったりすることで、音は聞こえるが、深夜までうるさくて眠れない、ということはなくなっていった。

 だがしかし、それも束の間。今度は別の問題が発生する。

 家の裏、ベランダ側に面する建物が取り壊され、建て替えが始まったのだ。そこもまた古い一軒家で、壊してマンションを建てるようだった。ここで最悪だったのが、運悪く私の住んでいた部屋は、ベランダ側にしか窓がなかったのだ。カーテンを開ければ、1m先にマンションを建てるべく汗を流すおじさんたちと「こんにちは!」という状況だった。おじさんたちは何も悪くない。作業しながらラジオを爆音でかけるのはやめて欲しかったが。

 結局、こちらを覗かれるのも怖かったので、シャッターを閉め切る生活がしばらく続いた。家を壊す、建てるという行為は、大型機械の音、そして振動が発生する。すぐ隣で工事をしていると部屋が、それはもう揺れる。何度「地震か!?」と飛び起きたことか。

 日曜日以外は朝から夕方まで工事音、夜から深夜は隣人の騒音、に悩まされ、私は家に居るのが嫌で休みの日でも外で過ごすことが増えていった。せっかく借りている部屋には寝に帰るだけ、の生活が続いた。

 ここまでの状況を書いたが、驚く、いやあきれるほどに、人は慣れる生き物だな、と感心する。そんな最悪な生活ではあったが、結婚したり、自分の演劇団体を立ち上げたりと忙しく過ごすうちに、自然とその騒音やシャッターを閉めた生活に慣れていった。気がつけば、2回目の契約更新をすることになっていた。

 しかし、本当の地獄はここからだった。そう、コロナがやってきたのだ。
(つづく)

NEXT 7月30日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?