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信仰は疑念から生まれる

疑って、疑って、疑い尽くしたところで、もうこれ以上疑いようがないところに信念が生まれる。

そしてその信念を持ち続ける先に信仰がある。

信仰には疑いは一切ない。

もし、あるとすればそれは信仰とは言わない。

信仰者にとって、単に信仰を否定する人は信念を持たない人と映る。
信仰者同士では骨肉の争いになる場合がある。

信仰者にとって信仰を持たない人は、低次元に見えてくる。信仰を持つものだけが、己の深淵に近づけるからだ。
己の深淵とは、奇跡にも似た現象のことである。

己の深淵に近づくことができるのは、信仰者のみである。

信念は人の潜在意識に働きかけ、自分の限界を突破させることがある。

信仰は理に働きかけ、理を突破させることがある。

モーゼが海を割ったのは、空想やフィクションではなく、事実だ。それは信仰の一旦にすぎない。

信仰がもたらす奇跡は、それ以外にも数多く存在する。信仰は一人の力よりも多くの人たちの方がより大きな力を生み出す。

そしてその現象を聞いたらまずは疑いを持つことだ。その結果、疑いようがないものこそ信ずるべきものだから。

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