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『砂の女/安部公房』から考える、幸せに生きることとは

『砂の女/安部公房』を読了。やはり名作なだけあり面白かった。寓話のように含蓄に富んでおり、それでいて文学的な比喩表現が読み手を飽きさせない。

「無数の化石の層をつみ重ね、のりこえてきた、人類のけいれん……ダイノソアの牙も、氷河の壁も、絶叫し、狂喜して進む、この生殖の推進機の行く手をはばむことは出来なかった……やがて、身もだえながら振りしぼる、白子の打ち上げ花火……無限の闇をつらぬいて。ほとばしる、流星群……錆びた蜜柑色の星……灰汁の合唱……」p.159

↑射精をこんなに文学的にお洒落に描けるのやばすぎる……。いや、もっと他に引用する箇所あったな。ミスった。
本当は焼けるような日差しや、砂の質感、喉の乾きなど、情景がありありと浮かんでくる比喩表現がそこかしこに散りばめられているのだが、そこだけ抜き出してもなんだか伝わりづらかったので、実際に読んで体感してみてほしい。

寓話はともすると説教臭くなりがちだが、巧みなワードセンスや心情描写の正確性によって、うまくその本質をヴェールに包んでいる。つんく♂の歌詞か???(なんでもすぐハロプロに繋げたがる女)(全ての道はハロプロに通ず)

「主人公の男は退屈で窮屈な日常から、束の間の解放を得るために砂丘にやってきた。だが砂の穴の中に監禁されてしまい、あんなに疎んでいた日常へ必死に帰ろうとする。
しかし段々と砂の中の生活に希望を見出し、ついには脱出する手段があるにも関わらず、砂の中での生活を続けることを選ぶ……。」

話のおおまかなあらすじは上記のとおりだが、最終的な物語のテーマ(寓話的に言うと教訓)が一つに絞りきれないのも特徴だ。一番大きなテーマは「自由とは?」という点だと個人的には感じたが、その中には複数のテーマが内包されている。
以下、テーマごとに感想をつらつらと述べる(ノベルだけに)(大爆笑)。


【男女の性と生】

主人公の男は作中、「ほとんどの女は、股を開くのにメロドラマのようなロマンスを必要としている。しかし、その無邪気な錯覚こそ、女たち自身を一方的な精神的強姦の被害者にしたてる原因になっている」、「女は自分を主役とした物語に閉じこもり、男だけが精神の性病を患いながら取り残される」、「女の無邪気さが、男を女の敵に変える」といった内容のことを語る。
また、「性を使用するのにもあらゆる種類の証明書がいる」とも語り、そんな確認にまみれた性からの解放を求めるが、結局うまく行かず、「いっそガラス製の禁欲主義者にでもなっていたほうがましだった」と独りごちる。

つまり「わざと終電を逃した女、白々しく演技して責任を男に押し付けるな。恋愛を目的化すな。男と女じゃなく、人間と人間、欲と欲としてぶつかり合え。」ということだと解釈した(そうなん?)(解釈は人の自由)。しかし結局、そのぶつかり合いも無為に終わる。
ちなみに、たまたま主人公が男だったから男視点で考えているだけで、もちろん男女が逆転している場合もあるだろう。

恋愛の目的化が蔓延った現代において、獣本来の欲望に従った“野生の恋”を渇望する者もいるが、これだけ文明が発達し、社会規範ができてしまった以上、人間はもう獣には戻れない。
それならば。その規範に則って生きる方が賢明なのか?架空の敵にレスバを持ちかけ続けるよりも、甘んじて受け入れてしまった方が良いのか?

実際問題、その中間地点で折り合いをつけている人が多いのであろうが……みんなどうしてるんですか?(まとめ方が分からなくなった)(歌詞を忘れた歌手が、客席にマイクを向けてその場を凌ぐ方法の応用)


【幸せに生きる、には】

ミステリーにしろファンタジーにしろ、その他種々の創作物にしろ、本を閉じれば、幕が降りれば、いつでも安定的な日常に戻れると知っているからこそ楽しめる。
悲劇の主人公に自らを重ね、いくぶん救われた気持ちになる場合もあるだろうが、それだって“いつかは報われる”とどこかで希望を抱いているから日常に戻ることができるのであろう。いや、戻らねばならない。我々が生きているのは現実世界であり、活字の海でも舞台の上でもないのだから。

創作と現実の境目を曖昧にしてしまうのはとても危険だ。物語には必ず結末がある。だが我々現実世界における人生の結末とは、すなわち死。いくら厭世観に浸ろうが、朝陽は昇るし夕陽は沈む。
現実の時間は、流動する砂のように耐えず流れている。

私たちはまず、自らの人生の基盤をとにかく安定させなければならない。作中では、流動するものとして「砂や脱出を試みる主人公」、定着するものとして「女や溜水装置開発後の主人公」などが対比され、描かれている。
もちろん灰色の日常から脱出する方法を考えることは大切だ。だが、ただ逃げるだけでは、逃げた先もまた灰色の日常。つまり環境を変えるだけでは根本的な解決には至らず、その置かれた環境の中で、どのような心持ちで生きるのかが大切なのだ。

人生の基盤とは、心。精神の安寧こそが、人間何よりも優先すべき事柄なのではないか。お金や地位や名誉は、そのための手段にすぎない。精神の安寧を得るためにそれが必要な人間もいれば、他のもので満たされる心を持つ者もいるだろう。主人公にとっての、溜水装置開発のように。

作中ではそれを「なぐさみ物」と呼んでいるが、賽の河原の石積みよろしく、ただ延々と続く日常をこなすのではなく、現実をしっかり見据え、その中に僅かながらでも希望や生き甲斐を見い出すこと。なにが自分の心を真に満たしてくれるのか、安寧に導いてくれるのかを見つけること。
それこそが幸せに生きるための重要な鍵となる、のではないだろうか。

幸せって まっすぐ選ぶだけ
モーニング娘。'19『青春Night』


P.S.
つらつら書き連ねたものの、なんか上手くまとめられなかったな〜〜。まあでも、これだけ世界的に有名な作品だし、まとまった感想も今までに沢山の人が書いてきているだろうから、私は私の思ったことを書き残しておくだけで良い。そう気に病むことでもない。
と、僅かながらの希望を見いだし、筆を置く。否、ブラウザを閉じる。

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