見出し画像

リーダーシップ のジレンマ

リーダーは、自分が創り出したい世界にコミットし、主義・主張を訴えていくことが求められます。
周囲との対峙の中で、それらは磨かれ、深まり、さらに強いコミットメントが育まれます。

しかし、このプロセスにはジレンマとなりうる落とし穴があります。
それは、「自身の世界認識への徹底した検証の欠落によるはまり込み」です。

創り出したい世界へのコミットが強ければ強い人ほど、自身の世界認識がどのくらい偏っているのかに注意を払っていない状況によく出くわします。

たとえば業績急拡大を掲げる経営者はサステナビリティに対する認識が甘く、狭い傾向が見られます。

自身の主張の土台となっている世界認識の甘さ・狭さは、必ずフォロワーの質を限界づけます。
なぜなら、そのリーダーより幅広い世界認識を持っている人はリーダーを支持せず、リーダーを支持するフォロワーはリーダーに盲目的に従ったり、おかしいと思っても、真っ向から否定したりしないからです。

限定した世界認識に基づく主張は「お決まりの台詞」を生みやすく、周囲からは「この人は〇〇主義だよね」「あの人は〇〇な人だから」と型にはめられてしまいます。

複雑性の高い現代において何かの結果を生み出していくためには、多様なステークホルダーの巻き込みや、正解の見えない中でも彼らに前進してもらうような働きかけが不可欠です。

主義・主張は明快でないと伝わりませんが、一方で「この人、見えてないな」と思われてしまうと、巻き込みの範囲は限定されてしまいます。
また明快さは時に「そんなことで結果が出るわけがない」と賛同を得づらくさせるのです。

では、このリーダーシップのジレンマから抜け出すために、どうすればいいのでしょうか?

私は、「自分の考えや主張の背後にある世界認識を手放せるか」にかかっていると思います。

インテグラル理論の提唱者ケンウィルバーが、『無境界』という著書の中でこう述べています。
「苦しみとは、偽りの境界を認識する最初の動きなのだ。正しく理解さえすれば、苦しみは解放的なものとなる」

リーダーシップのジレンマは自分の考えや主張の背後にある“偽りの境界”が生み出す限界なのだと思います。

コミットメントが高くなればなるほど、執着や囚われも大きくなりがちです。

それは子育てにおいて、子供の幸せを願う気持ちが強ければ強いほど、子供のやることにあれこれ口を出したくなるように執着してしまうのと似ています。

自分自身の主義・主張にコミットメントがあるからこそ誰よりもそこから離れ、執着や囚われから解放された無境界の心境にたどり着くことが問われていく。

一見「無理ゲー」にしか見えないような挑戦を引き受け、乗り越えていくからこそ、人の心を打つリーダーは常に肩の力が抜け、自然体に見えるのではないかと思います。


メルマガ名をリニューアルしました!
”ビジョン・プロセシング”マガジン「未来からの問い」
ご登録はこちら:https://regssl.combzmail.jp/web/?t=mt23&m=r8v6


★書籍「ビジョン・プロセシング(仮称)~人と組織の『未来と向き合う力』をどう育むか~」2023年5月10日発刊決定!
予約受付を開始いたしました!
詳しくはこちら:https://amzn.to/3UGRbKL

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?