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「やりたいことをやること」が大切か「出来ねばならぬことに適応すること」が大切か

グローバル化やテクノロジーの進化に加え、コロナショックによる急激な
景気の減速等により、市場が求める「出来ねばならぬこと」の要求水準は高
まり続け、「できること」とのギャップは広まり続けていくという時代に私
たちは生きており、これからも益々その傾向は強まっていくものと思われます。

そうした状況において、二項対立議論として頻出するのが次の2つの主張です。

主張A:「やりたいことをやること」が大切
主張B:「出来ねばならぬことに適応すること」が大切

どちらも大切といいたくなるような二つの主張ですが、両立しえない感覚す
らも抱いてしまうのが今のご時世ともいいたくなるような命題です。

では、主張A「やりたいことをやることが大切」、主張B「出来ねばならぬことに適応することが大切」という二つの立場を検証するにあたり、まずは以下の図をご覧ください。

Will-Should マトリクス

この図で表現したいことの一つは「夏休みの宿題」の領域に当たるものが主張B、即ち「適応を要する課題」だということです。

ここでいう「必要」というのは、求められる成果を生み出す上で必要ともいえますし、社会生活を送る上でも必要ともいえます。しかし、それと同時にそこには主張Aと主張Bが真っ向からぶつかってしまう要因となる厄介な問題が潜んでいます。

それは、
「そのことに対応することは『本当に』必要なことなのか?」
ということです。

私たちはやりたいか、やりたくないかは別として、一も二もなく「すべきこと」、「出来ねばならぬこと」を知っているかのように生きています。

しかし、「それはなぜ、必要だと言い切れるのか?」と問われると、「会社だから」「仕事だから」「家族を食わせないといけないから」ともっともらしく見える理由が挙げられますが、そういった言葉は、さらに突っ込まれると思考停止するしかないくらいに根拠の乏しい思い込みにしかなっていない場合の方がほとんどです。

それらの多くは自分の親との関係に起因する「他人の期待」を満たそうとするだけのパターンか、「他人の物差し」によって作られた価値基準に振り回されているだけに過ぎなかったりします。

そして、驚くべきことに同様のことが「やりたいこと」に関しても言えます。

「それは『本当に』やりたいことなのか?」

その問いに真剣に向き合った時、自分をまるで偽るかのように「うん。これはやりたいことだ」と即答するか、混乱するかのどちらかになりがちです。

その混乱にたどり着いた時、対立していたはずの「やりたいこと」と「出来ねばならぬこと」は同じ自分の囚われが生み出した幻想であることに気づき始めます。

かつて、スティーブ・ジョブズ氏がスタンフォード大学での講演で、「今日が人生最後の日だとしたら今日やることは本当にやりたいことだろうか」と17歳の時から毎日自らに問うていると言い、それを学生たちにもするように促しました。
何日もNoが続くようなら何かを変える時だと。

その本当の”Yes”にたどり着いた時、「やりたいこと」と「必要なこと」の線引きは自らの中で融解し、統合され、シンプルに一も二もなく「やる」ことになっていきます。


「『やりたい』から『やる』」のでもなく
「『すべき』だから『やる』」のでもなく
「『やる』から『やる』」

その心境にたどり着けたとき、誰の人生にも他の誰のものでもない唯一無二の「栄光」があるのではないかと心から思います。
  
                                
『本当に』必要なことか/やりたいことかを見極めた先にある、あなたが「やる」ことは何ですか?

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