僕の音楽考古学

人は生きてくうえで音楽は必要か?僕は若いころほど必要とは思えなくなっている。僕はアニメが好きで、その時オープニングソング、エンディグソングを聴く。好きなものもできる。じゃそれを何かしようとは考えてない。僕の年代はレコードの最後世代でさらにカセットテープの最後世代。レコードとカセットテープにはズレがあるが、僕の音楽との結婚はカセットテープまででそれがなくなったら僕と音楽は離婚した。
僕の音楽の原始時代はザベストテンだった。僕はやっぱりアイドルと当時ニューミュージックと呼ばれてたフォーク系の音楽が好きだった。今じゃ考えられないことだけどフォーク系アーチストのそうだな6割くらいは自分たちの音楽はテレビで一曲歌うだけじゃ伝わらない。とかいってテレビにでなかった
。今は見たくもないのもでてくるが。その頃はまだ子供だったから難しいことはわからないからなんとも思わんかったが。やっぱ好きだったのはアイドルで僕はキャンディーズで、もう知らない人が多いのかな。女の子の三人組のでランちゃん、スーちゃん、ミキちゃんでスーちゃんは少しぽっちゃりでランちゃんは中くらいでミキちゃんは痩せ型だった。僕はランちゃんが好きだった。僕の歴史のなかで、覚えているなかで初恋の相手はランちゃんだったかもしれない。キャンディーズのでていたバラエティー番組にみごろたべごろ笑いころというのがあった。伊東四郎と小松政夫との共演だった。この番組はテレビキャラクターの伝説、電線音頭と電線マンを産み出した。若い人にはわからないかもしれないが非常に盛り上がった。
キャンディーズの曲では年下の男の子とか優しい悪摩とかあったがキャンディーズは人気絶頂のとき伝説的な言葉、普通の女の子にもどりたいといって引退宣言した。
キャンディーズは人気はあったがオリコンの一位をとったことがなかった。ファンは最後の曲微笑みかえしを一位にすると盛り上がりキャンディーズは引退した後楽園球場のラストコンサートは伝説になったまああんまり触れたくはないがピンクレディーとかがいたがあんまり興味はなかった。
そして僕の中世乱熟のとき、松田聖子の登場裸足の季節、ぶっ飛んだ。青い珊瑚礁で俺は聖子と添い遂げるつもりで完全に嫁にするつもりだった。もうただとにかく好きだった。とりあえずあの髪型みんなやっていたようだ。
なんつーか僕は今考えるとあの髪型に騙されていたのかもしれない。なぜかというと髪を切ったら急激に冷めていた。
この頃はアイドル黄金時代で中森明菜、キョンキョン、松本伊代などみんな個性的でかわいいかった
このころはレコードとカセットテープの時代でそしてラジカセとかあったがもういまないけどラジカセが音楽と僕の赤い糸だった。このラジカセが僕の近代の時代のインフラであった。僕の音楽の近代の時代は洋楽との出会いである。この頃の僕のファーストコンタクトはTOTOでなんという曲か忘れたが世界が変わった。FMラジオからながれる洋楽まあほとんどアメリカだった。そしてそれをひたすら聴いた。クリストファークロスのニューヨークシティセレナーデとかローリングストーンズのスタートミーアップとかエイジアとかREOスピードワゴンとかもっとも好きだった。一番好きだったのはジャーニーでエスケープというアルバムは初めて買ったアルバムだった。
オープンアームとかドントストップビリービンとか
嫌いな曲がなかった。ジャーニーとかはウエストコーストサンウンドと言われていた。爽やかですんだ感じの曲が特徴だった。
あと最後にエアチェックについて触れておくその当時音楽はその中心はラジカセだった。ラジカセからながれるFMラジオのなかから流れるロックミュージックそれをカセットテープに録音する。FM雑誌というのがあって番組表と音楽に関するトピック批評とかあって知識としては絶対的なものだった。
これからも何となく聴いていくのだろうが、僕にとって音楽は昔のカノジョのようなものになったんだと思った。終わったんだと思う。
ここで最初の問にもどってくる。人生にとって音楽は必要か、暇があったら考えてください。僕にとってはそういう話です。

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