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変な男と変な女のラブストーリー、映画『ナポレオン』

リドリー・スコット監督の映画『ナポレオン』が公開されているので観てきた。
去年、ナポレオンの言行録を読んでからナポレオンに興味があったので彼の生涯についてある程度の知識がある状態で観てみると、この映画は、革命や戦争の惨禍といったショッキングの描写もそうだがナポレオンとその妻ジョゼフィーヌの不思議な、というか変な関係性がより前面に出てくるように感じられた。

映画は、コルシカ島の田舎貴族ボナパルト家の長男が、卓越した軍事的才能で連戦連勝し出世を重ね、国家指導者の座に就き、ついには皇帝まで上り詰めるものの最後には決定的な敗北とともに没落し大西洋の孤島で生涯を閉じる、という多くの人が知っているナポレオンの生涯をなぞっていくのだが、この作品においては彼の軍事的天才性や政治における業績にはほぼ触れられず数回フィーチャーされる戦争のシーンと彼を取り巻く人間関係、対話のシーンに費やされる。

ナポレオンのように殊に有名な人物であれば、取り上げる題材は山のようにあるわけでどの題材を扱うかあるいは扱わないことが作品の特徴を示すことになり、自然、この映画はナポレオンという人物のどこに光を当てているのか、というのが見えてくる。それが妻ジョゼフィーヌとの関係であることを観客は割とすぐに理解することになるだろう。

ジョゼフィーヌもカリブ海に浮かぶ小島から来た地方の貴族で、最初の夫は革命の嵐の中、ギロチンの刃にかかりジョゼフィーヌも投獄されるが、彼女は恐怖政治を生き延びることができ、社交界でナポレオンと知り合うことになり二人の関係が始まる。

速攻で彼女にほれこんだナポレオンと夫亡き後の後ろ盾が必要だったジョゼフィーヌは大恋愛とはとても呼べないなりゆきで結婚することになるが、ジョゼフィーヌは武骨で気の利いた会話もできないナポレオンを正直舐めていて、彼がエジプト遠征で指揮を執っている間も愛人と自宅で逢瀬を重ねている始末。そのことを遠征先で聞かされたナポレオンは怒りの中帰国し、彼女の荷物を家の外に放り出してしまう。
ナポレオンはそれでも彼女への情があり、ジョゼフィーヌは今の生活を失うわけにいかず二人はの関係は切れずに続くが、段々とジョゼフィーヌの方はこの天才将軍かつ不器用な男に本当に愛するようになっていき、ナポレオンもジョゼフィーヌが自分から離れられないことや政治的、軍事的成功から自信をつけていきジョゼフィーヌとの関係が奇妙なバランスをとっていくことになる。

ナポレオンの自らの軍事・政治指導者としての使命感と欲望からこのバランスが危うくなっていく様が繰り返し描写され物語はスペクタクル上のクライマックスに入っていくが、この作品の一番の見どころはこのバランスの形成と終わりの部分だろう。夫婦という個人的関係が一国の元首という最大の値を代入して表現されているように思われる。

本作のナポレオンは徹底的に軍事的カリスマだけの政治音痴として描かれていて、貴族の中の貴族、エスタブリッシュメントである王侯貴族たちどころか自国の政治家からも軽く見られており、そんな彼が自分が神聖な政治的使命を帯びていると思って行動している姿が痛々しささえあり、そんな彼の采配に多くの将兵の生き死にが左右されるというのがとても生々しい。

そんな戦争のシーンの合間にナポレオンとジョゼフィーヌの関係の推移がユーモラスというよりは乾いた笑いで表現されるのがまた不思議なテイストをもたらしていて、戦争という大きな描写と二人の生活という小さな描写とのシームレスさに人の営みの普遍的なものを感じた。

ということで、大きな描写と小さな描写の映像の転換、変な男と変な女の気の利かないやり取りが生み出す味わいが、日本のホームドラマ的大河ドラマとは全く違う方法論で表現されているのでこういう対比構造が好きな方はぜひご覧になってみてはいかがでしょう。

【音楽に関するメモ】
本映画のBGMにはクラシックが多用されているが、採用されている作曲家はハイドン(1732 -1809)やゴセック(1734-1829)などナポレオンと同時代かそれより前の作曲家で統一されており、クラシック好きとして違和感を感じない選曲となっている。


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