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顔は言葉より物を言い。

障害のある方と多く接していると、障害故に一言も話せない方、苦手な方と接することが多くありました。

言葉と言っても、音声=声で話せなくても、筆談であったり、手話であったり、点字であったり。自助具で音声を出すなど、技術の進歩により手段は多くなりましたね。

私は大学在籍時から、新卒で障害者施設に入社して、重度心身障害児者の介護の仕事をしていました。

知的障害に、肢体不自由=寝たきりで会話によるコミュニケーションは不可能な中で、表情を読み取るということを教わり、できる限り実践していました。

もちろん心が「わかった」ということは無いに等しかったですが、こう感じているのかな、今なにか苦しんでいるのかな、と試行錯誤をしました。

それは大学での若僧にはかなり難しく、1ヶ月、半年のスパンでやっと表情の変化を感じるようになったくらいです。

表情の話に戻ると、喜怒哀楽のように、笑う、怒る、悲しむ、楽しむくらいなら簡単で、実際は喜怒哀楽の裏の思いや、表情がどう変わって、変わらないのはなぜなのか、と考えを巡らせます。表情は、言葉と必ずリンクしていて、声の音程と表情の組み合わせでわかることはたくさんあります。

ただ、当たり前ですが、「人」なので、自分とは違います。こちらが想像していた思いとは違うことも多々あります。それは経験を積み重ねていくことが必要ですね。(ただ新人のスタッフの方の直感の方が良いこともありますね。)

表情の話を続けると、直感的に表情でこの人嘘ついているなーと思うことはあります。(逆に真偽はともかく、嘘言っていると思われることもあるでしょうけど)ただ、自分の表情をじっくり鏡を見ることって、実は少ないと思います。仮に表情を変えないように、と思ってても意識しすぎて逆効果って感じで。

「意図的な感情表現の原則」という言葉が、福祉を勉強していると学びます。自らの感情表現を工夫する、といった意味合いです。

私自身、支援者として接するときは、地を出して笑いや時事的な話を入れながら楽しく話すこと、一方話を聞く傾聴モードや説明するときなどは、紳士に、誠実に、話すよう切り替えます。

いつも同じメンタル状態であれば良いですが、忙しかったりマルチタスクで疲れたりすると、支援すべき瞬間に面談や声かけができなくて、上手くいかないことがあります。

表情についても同じことで、忙しいとか気持ちが揺れていると、顔にどう出るか、はコントロールは難しいことです。

私自身、自動的に切り替えることができるときと、できない時があります。それが減るように、日々の自分自身のメンタルヘルスを良くするのは大事なことです。

障害のある方や、特に児童・子どもは、相手の雰囲気を敏感に感じます。言葉で言い表せないからこそ、言葉の意味以外の表情や声のトーンで悲しみや喜びを感じることでしょう。

少なくとも、相談する雰囲気じゃないから話せなかった、話しにくかった、と思われないよう私自身は心のメンテナンスは気をつけています。


皆様にわかりやすく、また理解していただけるような内容を目指します。サポートして頂けると幸いです。