見出し画像

バズと炎上とリカバリーについて【エッセイ】

実社会でも同じだがSNSでは特に言葉が人の目に触れれば必ず賛否の声が巻き起こる。

下品な言葉で申し訳ないがその現象は現代では、バズや炎上と呼ばれる。この二つの言葉は対極にあるようだがその本質は同じだ。どちらも発した言葉が当初の真意からかけ離れ、制御が利かなくなった状態を指す。相対的に見て称賛の声が大きければバズ、否定の声が大きければ炎上といったところか。

これらはとても恐ろしいことのように語られることが多いが、実はよほど人道に逸れたことを発しなければ大丈夫だ。なぜなら、一般人が発する言葉はまず制御不能になるほど人目に触れるエリアまで到達しないから。

そう述べるのも閲覧ビュー数的に5,000を超えない限りは基本的に安全圏内だからだ。その程度であるなら多少否定的な反応があったとしても気心の知れた仲間内で収まる。

しかし、これが1万を超えたあたりから怪しくなる。
きっと反応がFF外(フォローフォロワーの関係外)へ逸脱してゆく閾値がちょうどこのあたりなのだろう。本当にびっくりするが、この閾値を超えると急に二次関数グラフ的に閲覧数が跳ね上がるのだ。こうなると知らない人から不意に声を掛けられるというフェーズに移る。

先日も、とある虚構を用いた私の話が賛否を巻き起こした。

結局これだけで60万ビューほどの閲覧数に到達し、やんわりとプチ炎上した。ことの経緯を説明・解説すると内容は以下の通りである。

娘が大発見したかのように『LEGO』はひっくり返したら『0937』だと言い出した。
よく気づいたね。
これは有名な話で、これに因んでLEGO本社の電話番号の下4桁は『0937』なんだよと娘に教えておいた。
もちろん嘘である。

他愛も無い小噺である。

娘が身近に潜むアンビグラムを見つけた。(※アンビグラムとは本来とは違う向きから見ることで違う意味になったりする文字を指し、しばし暗号として使われたりする。)
ここでのアンビグラムは『LEGO』だ。この文字列は180度回転させると7セグメント表示の『0937』と読める。

娘がこれに気づいて、あんまりにも驚いて嬉しそうにしているもんだから、驚きついでにちょっと創作話を吹聴したくなったのだ。

『実はLEGOの本社の電話番号は下4桁が0937なんだよ』と…
これは嘘なのであるが、7歳の娘は目をきらっきらに輝かせてこの話を信じた。
素直で可愛い。
まぁしかし、このまま終わらすのは悪趣味な話なので、
『もちろん嘘である。』と娘に種明かしをしてお終いとした。
末尾に虚構のサインを入れることでツイートを読んでくれた人にも同時に種明かしをする構造となっていた。

これが事の真相なのである。発信してバズり、ほとんどの人は『一杯食わされたなぁ』ってな感じで笑ってくれていたが、しばらく経つと一部で驚くほどネガティブな意見がついたのだ。不思議である。

面白かったので並べてみる。

①嘘吐きは舌を切れば良い。敬意を払う価値無し。直ちに「嘘だよ」と訂正するならまだしも、嘘を嘘のまま訂正しなければ、信じたままかもしれない。
②娘さんが何歳か知らんが、幼稚園とか小学校とかで周りにどや顔で伝えて、聞いた子が家で親に話して嘘だと知って、幼稚園とか小学校とかで嘘つき呼ばわりされそうで、こわい。こんなこと平気でやれる神経が信じられん。
③年齢によっては嘘を嘘と判別できないから嘘なんてくだらないことを親が教えるべきではないし、嘘をつくとわかった親を子供が信じるかって言うと、否。信頼してた人間に裏切られる事例を親がわざわざ作る必要ないと思うんだが。
④冗談で子供に嘘を教えるって感覚は私にはさっぱりわからないんだよなぁ。

なかなかのご講説である。

とまあこのようなあり様でして、どうやら私が子供に嘘の創作話をしたことに対してお怒りの様なのである。

実名・顔出しで『これは虚構ですよ』とサインを出しながら発信している私に対して、匿名のアカウントから『嘘つき』呼ばわりされる訳だから、現代のグリム童話的な風情がある。

こういったコメントは通称『クソリプ』と呼ばれる。

放置しておいても良かったのだが、こういった『嘘はビタイチ赦さない』という考え方が世に蔓延っていると生きててやるせないので、これを機会に寺の坊さんのように説教をしてみることにした。

やらんでもいい事だがやってしまったものは仕方ない。

すると以下のように返事が来た。

『それだと、自分の親は何かを尋ねると嘘も教える親だと学習するでしょう。ただ、それは「他人が言っている事を容易には信じなくなる」のがデメリットにはなりますね。ともすると、言われた事に対して逆張り傾向も出てしまう。私は、プラスにならない事が多いと思っているのでやらないです。』

だそうだ。

どうやらこの方は純粋培養で一点の嘘偽りなく子供と接することがプラスになると頑なに信じているらしい。傲慢な態度だ。それは、結果としてとんでもない嘘の虚像を子供に植え付けてしまうことになるとは考えないのである。

本来は嘘偽りなしで生きられるほど人間というのは強い生き物ではないという真実を子供に伝えるのが親の務めなのにね…

ちょっと悲しくなると同時に彼を憐れんだ。

きっと彼はこどもの頃に親から嘘だとか冗談だとか、ユーモアや創作のあり方を教えてもらわなかったのだろう。だから大人になった今も生きるために必要な虚構やユーモアが理解できないのだ。

こうなるともうお互いに理解しあえることはない。

仕方ないので、こう締めくくることにした。

『そうですか。折り合いがつかないのは残念ですが、私はこれからも冗談を交えながら我が子と接し続けます。
ちょっとおかしいところもあるでしょうが、あかるくて良い家族なんです。嘘もあるし、間違いもある。その中でどれを信じて生きてゆくのかを教える。それが私の考える子育てです。』

それぞれの道を歩もう。お互い無理に歩み寄る必要はないだろうと表明したのだ。

これでもう、この件に関して批判的な言葉が降ってくることはなくなった。
すれ違った分の傷だけを残して終わったのだ。

人の考え方を統一することはできない。むしろ統一してしまってはいけないのだ。(それはもっと危険な思想だからね…)

だから、決定的に考えが違うなら別の道を進むしかない。

もちろん、考えを改めて同じ道を歩んでもいい。

でも、それにしたって自分のスタンスが分かっていないと変えようがない。
まずは本気で考えることが大切なことなんだと思う。
基本となる軸が見つかるまで考え抜く。
本気で考えた結果、本音で言葉を発したなら、相手にも絶対伝わる。
相容れなくても攻撃の手は緩まるだろう。


今回は、バズと炎上とそのリカバリーについて書いた。とても大切なことだと思うよ。

#エッセイ #バズ #炎上  

ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー