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いいかお前ら、とりあえずヤフーでググっておけ【イベントレポ】

あの3人が帰ってきた!
2020年1月26日(日)18時より大阪は宗右衛門町のLoft PlusOne Westにて、浅生鴨✕田中泰延✕燃え殻の新春大放談会が開催された。

正直うれしかった。

お三方のトークイベントに関しては昨年も参加したので一年振りの顔触れに何か懐かしみの様なものさえ感じた。いや、懐かしいというか一年前とほぼ同じなのだと言った方がいいのかもしれない。浅生鴨さんは開演前からその辺をウロウロしているし、燃え殻さんはレモンサワーで開演前から酔っぱらっている。きっとイベント中にもかかわらずトイレに行くのだろうなと思っていたら、案の定尿意をもよおした燃え殻さんが舞台袖にはけてゆくシーンが二度あったのでニンマリしてしまった。

去年と一緒だ。

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さて、イベントは田中泰延さんの定番、マイクと骨伝導の話から幕を開けた訳なのだけれども、驚いたのはこれだけお馴染みで何回も使い倒されているにも関わらず、やはり観るのが初めてという方がいらっしゃったことだ。でもそれは喜ばしいことで、それだけ新たなイベント参加者が増え続けている証拠なのだろう。

吉本新喜劇と一緒だ。あれだけテレビで見て、前情報を知っていたとしてもその芸を目の当たりにしてしまうと思わず笑ってしまう。マイクと骨伝導の話はもうその域に達している。芸である。

実際、先日私が主催側で開催したイベントに田中泰延さんがいらしてくれた時も、ままあの時はプロレスの場外乱闘よろしく半ば強引に引き込んだのだが、骨伝導の話を披露していただいたあの瞬間、本当に会場が一気に沸いたのだった。あの感動をどう伝えたら良いだろうね。すごいんだから。

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さて、肝心のイベントレポなんだけれども、今回は燃え殻さんがしてくださったお話に照準をあわせて私の視点でお話ししたいと思う。おそらく時間的には15分から20分程度のスポット的なお話をクローズアップした形になるだろう。

そんな訳でこれは純粋なイベントレポではない。私の創作も多分に入るから、読み物として成り立つように書くつもりだ。

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燃え殻さんは怖がりなの?

イベント中、燃え殻さんはレモンサワーを脇に置きながらずっと語っていたわけなんだけど、今回は特に怖いという単語の頻度が高かった。あの繊細で卑屈とエロスが混じった独特な文章はここから生まれるのかもしれない。そして死への恐怖を以下の様に語った。

「怖いんです。例えば自分が死ぬことが…いや、それだけじゃなくて身の回りの人が居なくなることさえずっと怖いんです。自分でも子供みたいだと思います。でも耐えられないんです。」

とまぁ二時間近くこの調子がつづく。もちろんそんな調子だから田中泰延さんからは途中おおいに茶化された。
茶化された燃え殻さんは怒るでもなく、少し安堵したような表情をし、喋らない間はずっとレモンサワーを飲んでいた。

燃え殻さん、実はこのイベント中だけではなく、そんな苦しみをずっと日頃から抱えているらしいから、同じ質問を何回も浅生鴨さんや田中泰延さんにしてしまうという。訊かれる方はたまったもんじゃないと思うが、浅生鴨さんなんてあの性格だからいつも「人はみんな産まれて、後はランダムに死んでゆくだけでしょ」みたいな感じで答えているらしい。さっぱりしたもんだ。

浅生鴨さんの中で生と死は陸続きなのだという。生きているのも死んでいるのも実は似たようなものなんだってさ。

でも、こういったやり取りって言葉の内容はどうでもいいんだろうなとも聞いていて感じた。『この人だ!』そう信じた人に話を聞いてもらいたい。ただそれだけなんだと思う。それは、親でもない。職場の同僚でもない。
燃え殻さんがこの人だって思ったのが浅生鴨さんしかり田中泰延さんなのだろう。
私だってそうだ。この前も90歳を超える祖母に死について同じようなことを訊いた。祖母は笑いながら「90歳を超えても、そりゃ死ぬのは怖い」と答えてくれた。答える内容は人それぞれに違う。でもそこには救いがあると感じた。

古本屋で見つけたくだらない文庫本

この話は燃え殻さんが病床に伏せる知人に古本屋で見つけたくだらない文庫本を送ってしまったというもの。この知人さんは既にお亡くなりになられたそうだが、病状を知らされた時には既に進行が止められないほど悪化していたそうだ。
なぜ燃え殻さんがこの知人に文庫本を届けたのか。
それはたまたまなんですね。この時も燃え殻さんは怖かったという。お見舞いに行かなければ、その知人にこのまま会わずに自分の人生が過ぎてしまう。それが怖かった。お見舞いに行くのも怖かったがお見舞いに行かずに人生が過ぎ去ってゆくことの方がずっと怖いと判断したのだ。
結果、お見舞いの口実に古本屋に立ち寄った。そして、その書店で面白いのか面白くもないのかそんな分からない古びた本を買い、知人の手元に届けた。
知人は3回その本を読み返したという。燃え殻さんは『そんな3回も読み返すような本でもないのに』と少し後悔したことを述懐している。

幡野広志さんに会うのも怖いんです

そんな燃え殻さんですが、どうやら幡野広志さんに会うのも怖いと感じているそうだ。どれほど怖がりながら生きているのだろう。

ほぼ日のネパールの企画。
燃え殻さんは幡野広志さんと一緒に旅をすることが怖かったという。幡野広志さんが余命宣告を受けた人だからだろうか?そんな思いが頭をかすったが、よくよく考えると知人の病床に本を届けにゆくぐらいのあの燃え殻さんが今度は誘われても行けなくなってしまったというのだから別の思いがあるのだろう。人の心とは何と繊細で入り組んだものなのだろうと思った。結局燃え殻さんはこの旅を断ったという。

その理由は一体何なのだろう?
もっと言えば何がそんなに怖かったのだろうか?
おそらくだけど燃え殻さんは、幡野さんに見出した感情が自分で捉えきれなくて怖いと感じたんだろうとは思う。

『私なりに色々と想像を膨らませて書いてしまおうか。』そういった下世話な気持ちが不意に鎌首を持ち上げたが、すぐにやめてしまった。興味本位で他人が詮索して書くべきものでもないだろう。そう心が私に訴えかけたのだ。

やがて、

すんなりと私は『これはきっと燃え殻さんがこれから長い時間を掛けて書くことになるだろう』と感じるようになった。なぜなら燃え殻さんはこのイベントで「未来は変えられないけれども過去は変えられる」とおっしゃったからだ。

嘘が無ければ生きられない自分がいた。未来はどうしようもなく降りかかってくるけれども、過去だけは自分の記憶の中で改ざん出来る。それが真実かどうかは分からないけれどもそれがその人にとっての本当になる。

おおよそ上記のような内容だったと記憶している。

だから、燃え殻さんはいつかネパールに行けなかったあの過去を嘘も含めて書き切る日がやってくるような気がした。それが今なのか10年後なのか全く分からないが、予感というものが本当にあるのだとすればこういう感覚なのだろうと私は感じている。

それが本になるのか、誰かに向けた手紙になるのかは分からない。
でも長い長い文章になると思う。嘘をまじえて書いたらいいと思う。それしか燃え殻さんにはできないと思うから。

私も素人ながら文章を書いているが、つくづく書き物というのは本来届けたかった人には届かなかったり、そして間に合わなかったりするものだと思う。でも読んだ誰かの人生にはきっと間に合う。そういうもんだと思います。

最後の質問コーナーについて

昨年は私が質問した内容に浅生鴨さんが答えることで閉幕したが、今年は手を挙げなかった。なぜなら、燃え殻さんに上記の内容をぶつけてしまいそうになる自分がいたからだ。どう考えてもレモンサワーで酔っ払っている人に浴びせるような質問ではないだろう。

イベント終了後に田中泰延さんに挨拶にいった時、私が「湿っぽくなるだろうから今年は質問しませんでした」と伝えたのはそういうことです。

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以上、自分史上最高にイベントレポらしくないイベントレポでした。
これじゃほとんどお手紙だね。


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