息子よ、ホウキで空を飛べ【エッセイ】
幼いこどもがそのちっちゃな背中を丸めてうなだれている姿、それは人の心を締めつける。それが自分の息子となればなおさらのことなのだが、その傷心の理由は実に様々である。
この日、彼はホウキにまたがり空を飛ぶ練習に取り組んでいたのだが、やがてホウキなんかで空は飛べないことに気付いてしまい、地べたに座り込んでしまった。ご覧の有様である。
ついには傍にあったアスファルトの粒を指につまみ、投げるでもなくその粒の一点をジッと見つめるというワンシーンも演じてくれた。
たった20分前まではこんなに希望に満ちあふれた感じだったのに。
飛行練習を始めた頃。うん、背筋も伸び、非常に凛々しい。
ただ彼はここから5分間突っ立ったまま、ひたすら「魔女、飛ぶ。魔女、飛ぶ。」と唱えていた。しかし、人生は甘くない。一向に浮かぶ気配がないのだ。当たり前である。ブツブツ理想を唱えているだけでは物事は何も前に進まない。
彼は少し考えた。そして考えた末、、
フォームを改良し、自力でジャンプしだした。
「魔女、飛ぶ、ピョン。魔女、飛ぶ、ピョン」
呪文も少し変化した。さっきよりは少し楽しそうである。でもそれは跳ねているだけで彼が思い描いた空を飛行するイメージからは程遠いものだった。
こどもの気分というのは急に落ち込むものである。そして文頭の状況になったのである。
あまりにも落ち込んでいるので「今度カッコいいホウキを買ってやるから、もう一度挑戦しよう」と思わず励ましてしまった。
これを機に飛ぶのは諦めてもらってホウキ本来の使い方をレクチャーしても良かったのだけど、それよりも大事なことがあるような気がしたんだ。
その時のことを思わずツイッターで発信した。
バズってしまった。
リツイートされる度に息子のちっちゃな背中が人目にさらされてゆく。そのうしろ姿はなんだか百人一首の蝉丸の様な哀愁感を漂わせている。
たくさんの反応があった。
みんな自分の幼い頃の思い出を息子の背中に見たのであろうか。我が事のように声を掛けてくれた。ありがたい。皆あたたかく見守ってくれていた。
見ず知らずの男の子である君にかけられた言葉は全て優しい物だった。
嬉しいよね。でもパパも負けていられないからこれから君に詩のような言葉を捧げたいと思う。
息子よ、今君が握っているホウキは君の心の中では『空を飛ぶ魔法のホウキ』だろう。でもその空想は次第に変化してゆく。たとえばだ、君が魔女ではなく歌手に憧れた日が来たなら、君は自然とその魔法のホウキをマイクスタンドに見立てて歌をうたうことになるだろう。
たとえばだ、君が夢に希望を見出せなくなった時、君の握っているその魔法のホウキが、掃除用具のホウキになってしまうこともあるだろう。現実的には掃除は空を飛ぶことよりも実生活では役に立つ。当たり前だがホウキで床を掃くとゴミやチリが片付くのである。
それはそれでとても素敵なことだ。
でも何よりも素敵なことはそのホウキが魔法のホウキであったことをまた思い出す日が必ずやってくるということである。回り道をしてもきっと辿りつく。そのとき君は優しい言葉を掛けられるようになるだろう。
それこそが本当の魔法なのである。
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ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー