映画のエンドロールと帰りゆく人影、それを眺めるのが好きなんですよね
独りで何をするわけでもなくボーとしているのが好きな私はちょっと変わってるかもしれないが、人影を眺めているだけで幸せだったりします。
特に映画のエンドロールが流れる中、スクリーンの片隅に見える人影の動きは最高にお気に入りで、
人間模様っていうのかな?
暗がりの中で見える幽かなシルエットがとても尊く感じるのです。
遠慮しながらも足早に帰る人、彼氏であろう男性に嬉しそうに話し掛ける女性、エンドロールまでが作品だと紳士的に鑑賞を続ける人、そんな光景が私のどうでもいい何だかよく分からない心の琴線をくすぐるのです。
映画館はどこか現実と切り離された空間で、物語にのめり込むことができる反面、閉鎖的な空間にいつしか息苦しさを覚えることがあり、時に迫り来る物語から逃れるかのように現実の空気を求めてしまう自分がいたりするのですが、
エンドロールの時間の人影がざわめくあの光景が、不意に私を救うことがあります。
それは扉が開くかすかな音に、漏れてくる外の明かり、流れ込む空気がそうさせるのかもしれないし、
もしかしたらこの物語を一緒に楽しんだ人達の息づかいが急に目の前に顕れるからかもしれない。
固唾をのんで見守っていた物語から観客が開放されたあの瞬間、沈んでいた人影が一斉に色を帯びます。まだエンドロールの途中ですから暗いのですが、やっぱり色を帯びるのだと思います。
そしてエンドロールの流れと帰る人波の流れは私の感覚では重なるところがあって、映画制作に携わった関係者の名前の流れと、その作品にお金を払って観にきた人の姿が同時に流れゆくのですから、その光景が映画と現実が交錯する幻想的なライブ感に溢れている様に思うのです。
◇◇◇
こういった感覚は私だけのものなのかなと先日ふと思いたち、試しにネットに流してみたのですが、思ったより同意の反響があり、ちょっぴり安心しました。
マナー的な話をすれば、エンドロールで席をたつのはいけないことなのかもしれませんし、気分を害する方もいらっしゃるのも事実です。
何が正解かは分かりませんが、あんまり正しさを追求するのもちょっと息苦しいですし、そんなときにこんな暢気な考えの人もいるんだということを知っていたら、肩の力も抜けるかもしれませんね。
とりとめもない話で申し訳ないですが、今日も読んでくれてありがとうございます、またね
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このお話は2017年4月5日に書いた個人ブログのエッセイの再掲です。
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ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー