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不登校のすすめ


「不登校」と聞いて何を思い浮かべるだろうか?

鬱、引きこもり、社会不適合、将来への不安など
ネガティブなワードが次々と浮かんでくるかもしれない。

不登校になったことがある私はどうかというと
決してそんなことはない。

少し私の不登校経験を綴っていこうと思う。

私が不登校になったのは中2である。
キッカケは今思うと全て私が悪いのだが、
どうも思春期は周りに対して傲慢な態度を取っていた。
私のスクールカーストはピラミッドの頂点にあり、チヤホヤされいい気になっていたのだ。
運動が出来たわけではなく
どちらかと言えばオタクだったが、いろんな分野で友人より秀でた知識があることがまた個性になった。

しかしある日、そんな上位カーストの友人たちが手のひらを返し、SNSや机の落書きなどで私を排除してきたのである。
おそらく私の行動が彼等の神経を逆立てたのだろう。
完全に自業自得である。

ここで初めて人間関係の挫折を味わうことになる。
初めて体験した直接的な人からの悪意に泣きまくり、親に「学校に行きたくない」と伝えた。

最初の一週間くらいは良かった。
親も「大変だったもんね」という感じで休むことにしばらく同意してくれた。

しかしこれが1ヶ月、2ヶ月となると親の様子も変わってきて
「学校へ行きなさい!」と激怒してくるようになる。
さらに時が進むと今度は私の精神病を疑い、カウンセリングに定期的に通わされたのであった。

当の私はどう過ごしていたかというと、
最初の一週間くらいは「敵に会いたくない」が強かった。
また、塾など学校以外のコミュニティで不登校のレッテルを貼られたくなく
普通に振る舞っていた。
外に出られない訳ではなく、とにかく敵に会いたくなかったのである。

学校に行かないことが普通になってからは以下の行動が主な時間の過ごし方となった。

①知的好奇心と欲望の発散
先述した通り、オタク気質であったのでネットにのめり込むのは容易だった。
SNSを舐めまわすように閲覧し、気が合う同年代の子がいたらオフ会。
htmlでホームページを作成。
パソコンで絵を描き、
好きなアートや好きな海外アーティストのミュージックビデオチェックも欠かさなかった。
お小遣いは有難いことに月に5000円くらい貰っていたので
ブックオフで500円以下のCDやDVD、本を買い漁り消費しまくった。
結構このお陰で価値観が変わった。
今私が持っている引き出しの中で元を辿るとここで得たものも多いことが感慨深い。

②人生を考える
これは不登校者はみんなやることだと思う。
中3という進路を強制的に決めないといけないタイミングが迫っていた私は
内心がゼロと仮定した上で大学卒業するにはどうしたらいいか?ということを考えることになった。
今から学校に行って卒業まで通える気もしない。
とりあえず勉強は嫌いだったが就きたい職業があったのでそのプランを考えた。
バカ高に入り大学はAO入試、これにしようと思い結果そのように実行し
今となっては就きたい職業に就けることになった。

③親とのバトル
今は仲がいいが、母親との関係は水と油だった。
母はいわゆるプリセットのような人生しか知らないからだ。
学校に通い卒業し、就職して結婚というオーソドックスなルートだ。
自身もそうしてきたし、子供にもそれを望んでいたので真反対の行動を取る私は頭おかしい子に写ったようである。
逆に私は人生でこれがしたいという目的が叶えば、あとは何でもいいと思っているので母の望みに答えることはできなかった。
不登校期は毎日バトルし、時には肉弾戦へと加熱していった。

もし不登校の方にアドバイスするとすれば、
私が今就いている職業は学歴はあまり重要ではなく
アイデアやセンスを問われる仕事なので、①や②みたいな過ごし方が今となってはよかったのだが
夢が学歴を必須とする場合、この時間を勉強に充てれば問題ないと思う。
但し内申点を無視できるくらいの学力が必要であることを脳裏に焼き付けておこう。

このような日々を過ごし私は結局卒業式まで中学校に行くことはなかった。
後半は人間関係への感情もあまりなかったのだが
意地もあったのか
学校に行かないことが当たり前になりすぎたのか
②の目標を前提とするとそもそもいく意味ってなんなんだろう、と思ってしまいとにかく中学時代が終わった。

不登校を体験したことがないであろう人に就活の面接でこう言われたことがある。
「また精神が落ち込まないですか?」と。
この質問に至るに、大学3年〜4年の就活で最終まで残って
履歴書を上から確認された時、なんでこのバカ高に入ったの?と突っ込まれた。
上手くかわせばよかったのだが「中学に行ってなくて」と正直に答えてしまったのだ。

そう思うのも無理がないが、別に精神が落ち込んだから不登校になったわけではなく
考える・蓄える時間が必要だっただけなんだよなぁと今は思う。

その後私は予定通りバカ高に行き、大学に入り
希望した業界の会社に入社し、やりたかった職業に紆余曲折ありながら就いている。

ちなみに、人間関係はというと
性格がゴミだった中2の私は
高校、大学と進むにつれ同じ失敗をしないようキャラ変や立ち回りの試行錯誤の時間だった。
あえて接客業のバイトに就いたり過剰に下から接して疲弊することもあったが
大学は中高ほどはコミュニティの縛りがきつくなく
色々なグループを転々とすることで適度な距離を取ったためストレスフリーであった。
社会人になると仲良くするための場所というのは基本的にとても少ないので更に楽になっていった。
“私は”近すぎる人間関係がとても苦手なので、私の場合は、だが。

これが正しい!とは言えない。あくまで不登校を体験したことがあるただの人間だ。

そして社会人になると不登校経験があるかないか
どこの大学を出たかという話題は基本的になくなる。(業種によるかもしれない)

基本的に一緒に仕事をしたい人か、そうでないか
が全てであり、常に欲される人間であり続ける為に研磨しなくてはならない。
いらない側になってしまったらどうやったらいる側になれるのか
考えてまた選ばれるように努力するしかない。
社会人になるとそれの繰り返しで、学生時代の内申点など気にしなくていいのだ。

強いて言えば、就活はうまく切り抜ける必要がある。
内申点が満点の人と比べて何のパラメーターが高いのか。
色々な経験をして自己分析をしなくてはならない。

たまに100人から1人選ばれるとするなら、ということを妄想するのだが、
自分が箱に入れられた1/100の人間で、
99人と比べて自分が得意なことは何なんだろう?と考える。
もし今既に思いつくものがあればそれを伸ばせばいいし
なければ作れば”一緒に仕事したい人”枠に食い込める可能性が上がると思っている。

自分の能力が上がったり増えると1/1000、1/10000となかなか探してもいない能力の持ち主になる。
ソシャゲのSSRキャラみたいな感じだ。

さいごに不登校になってもあまり悲観せずに
この時間をどう将来に役立てるかということを考えて過ごせたら
漠然とした不安が収まるんじゃないかなと思う。

以上、元不登校者の自分語りでした。

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