見出し画像

幕末の長州藩を推す理由

歴史小説の中でも、幕末の時代は人気が高いと思う。志を持った魅力ある人物がそれはもうたくさん登場する。坂本龍馬や西郷隆盛、新選組などなど。その中でも、自分は長州藩の人達が好きだ。司馬遼太郎の「世に棲む日日」という本を読んで夢中になったものだった。

とても簡単に説明すると、幕末、アメリカからのペリー来航にはじまり、日本は外国からの侵略の危機に見舞われる。非常の出来事で幕府もうまく対策できず、そんななか、今の体制を壊し、天皇を中心にして外国を排除しようとする、いわゆる尊王攘夷の動きが、自らを志士とする人達を中心に活発になっていく。そのような時代のながれの中で、長州藩の吉田松陰、またその志を受け継いだ弟子達(その代表が高杉晋作)が、この目的を達成させる、というような歴史小説になっている。

薩摩や土佐などの藩も立ち上がるのだが、長州の人達がやはりとても好感を持つ。みていてなんというかとてもすがすがしいのだ。この道が正しいと確信したら、もう勝ち目の有無や損得も考えず、ひたすら真っ向勝負で突っ込んでいく。そのせいで、多くの犠牲者を生むので反省すべきところも多いのだが、それもひっくるめて好感をもつ。たったの80人で2000人に挑んだり、たったの1000人で2万人に挑んだりと、現実離れした漫画のような状態が続く。

それでも最後には勝つので、精神論というのも馬鹿にならないな、とは思うが、それはそれで浅い考えなのかな、とも思う。あくまで結果論であり、負ける可能性のほうが圧倒的に大きかったし、無謀すぎていて見習うべきものではないと思う。また、日本はある意味精神論のせいで失敗した経験もある。

ただ、こちらの本を読んだり、その他の本などで、吉田松陰や高杉晋作を知っていくにつれて、単なる精神論ではないと考えるようになった。ある意味わかりやすいくらい過激な人達だが、ところどころみていくと、踏ん張らなければならない時はじっと耐えたり、時機を見極めようとする意識がとても高い。つまり、死も厭わず志は貫くが、決して勝ち目のない戦いはしないのだ。また、勝ち目がない戦いをはじめた、とみえてもその前に負けたとしても死んだとしても、次に繋がるようしっかり計算した上でつっこんでいく。

長州藩の志士の師である吉田松陰は、幕府に囚われて殺されてしまうが、それがあったからこそ、より志士たちの結束力が高まったのではないかと思う。よく松陰はまっすぐすぎるから幕府に騙されたというが、実はそのことさえも見抜いていたのではないかと考えたりもする。自分にできることはもうそこまでないと悟っていたのではないのだろうか。なので、長州の起爆剤となるために最後まで誠意を貫く姿をみせたかったのではないかと思う。

高杉晋作も無謀な革命を起こす時にいくつか言葉を残しているが、その中に「九州男児の肝っ玉、お目にかけ申す」というものがある。これも自分が失敗に終わったとしても、他の誰かが奮起するよう、刺激されるよう、言葉を残した上で過激な行動にでたのではないかと思う。結果的には勝利するので、「天才」呼ばわりされるが、本人もそこまでうまくいくとは思っていなかったのではないだろうか。

この高杉晋作という人物もとても面白い。この長州のなかでも「暴れ馬」と呼ばれるほど破天荒なのだ。藩の重役になるかと思えば牢に入れられて囚人になったりと浮き沈みが半端ない。そんな人さえも師として尊敬する吉田松陰はどれほどの人物だったのかと改めて考えされる。

こんなことばかりしているので、長州の志士は短命に終わる人達が多い、高杉も30歳前で他界した。そんな高杉にとってここまで波乱に満ちた人生はどうだったのだろうか、と思う。それでも、少なくとも志士として活動しているときは、「楽しかった」のだと思う。(こんな言葉で片づけたら本人は心外だと思うし、怒られると思うが、、)

高杉は、「おもしろきこともなき世をおもしろく」「人というのは苦難は共にできても富貴はできない」と冷めたような言葉が多い。義だとか志だとかいうきれいなものを追い求める高杉にとって、そのときの世は、人々は、くだらなくみえていたのだと思う。そんなときに、吉田松陰という師に出逢い、道徳や本を読むことを学んだ。また、本の中で、楠木正成や菅原道真など、義を貫く為に不遇の死を受け入れた人達を知った。冷めきっていた高杉にとって、そのような経験は感動の連続だったに違いない。また、志士として活動し、同志というものに出会えば、初対面でも、朝まで飲んで天下について議論をしたり志を語ったりする。(後に、この時の時間と金は無駄だったと後悔しているが、青春のひとときとして、そんな悔いなくてもいいのではないかとも思う、、)そのような日々はいつ死んでもおかしくない身であっても心は満たされていたのではないかと思う。

自分も、この「世に棲む日日」と出会う頃は、社会人となって数年経ち、社会の厳しさを知り、もっと合理的に損得で割り切らなければと思っている時であった。そんな時に、吉田松陰や高杉晋作を知って、そんな自分を恥じたものだった。こんな時代だからこそ。このような本の価値が高いと思うし、心に響く人も多いのでは、と思う。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?