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奈良先端大一期生の今…ベンチャー企業と共に協創する日々/近鉄ベンチャーパートナーズ 藤田一人さん

奈良先端科学技術大学院大学(以下、奈良先端大)の一期生として、入学された藤田さん。奈良先端大在学中の頃から様々なことを経験しており、企業に就職後も実に多様で意外なキャリア変遷を辿っておられます。奈良先端大一期生ならではの楽しさや大変さ、社会人になってからの経験、代表を務めるベンチャーキャピタル会社の仕事について、詳しくお話を伺いました。 

藤田 一人(情報科学研究科 博士前期課程1995.3修了)
奈良先端科学技術大学院大学の一期生として、博士前期課程を修了後、近畿日本鉄道株式会社へ入社。近鉄グループホールディングス株式会社を経て、現在は近鉄ベンチャーパートナーズ株式会社 代表取締役社長。近鉄グループのコーポレートベンチャーキャピタルとして、ベンチャー企業との協業を通じた新規事業の創造にチャレンジしている。

0からの奈良先端大研究生活

奈良先端大設立に向けての準備の中で、大阪大学4年の時に所属していた研究室のドクターの方が助手として奈良先端大へ行くことになり、そのきっかけもあって、新しい国立の大学院大学という興味があった奈良先端大を受けることに決めました。ドクターの方が助手として大学の環境準備もされていた関係で、入学前から学校のネットワーク環境等のお手伝いもさせていただくなど貴重な経験をしました。

研究室の建物は新しく、設備としても最新で環境は良かったです。一期生なので、研究室のメンバーは教授、助教授とM1のみ。先輩もいなかったので、我々一期生ですべてを進めていきました。私自身も研究室のシステム管理に携わるなど、色々とみんなで分担して研究室を0から作っていく感じが楽しかったです。社会人や他大学出身者など、年齢や今まで学んできた環境が異なる方々とも仲間となり、新鮮でした。研究室全員で協力して新しい環境で新しいことに取り組んでいた当時のことは、今でも懐かしく思い出します。

当時として一番困ったことは、ご飯を食べることでしたね。今みたいに周辺も発展していなくて、近鉄のけいはんな線も延伸されていなかったので、食べる場所が全然ないのが少し辛かったです。最初は食堂すら仮設のような状態で、時々閉まっていました。晩御飯は食堂も閉まるので、研究室のメンバーと車で遠くまで食べにいくことが多かったです。

修士の時のタイムスケジュール

M1の時は当然授業もあり、大学時代と授業の内容も全然違ったので、0から勉強しました。最終成績になるので、大学時代よりも一層熱心に勉強しましたね。M1は研究も並行しながら、M2はまとめの段階になってくるので、修論に向けて学会の発表やその段取りをしていました。テーマとしては、顔の三次元表示と表情の変化に関する研究でした。

また、私の奈良先端大時代を語る上で欠かせないのが、ATR(国際電気通信基礎技術研究所)での経験です。その当時はインターンシップと呼んでいなかったと思いますが、アルバイトのような形で自分のスキルアップとして応募し、一定期間ATRの人間情報通信研究所に通っていました。当時は、朝からATRに行って夕方まで働いて、その後に奈良先端大の研究室に戻って夜中まで研究する生活をしていましたね。

奈良先端大で印象深く、面白かったできごと

当時の学校や研究室のシステムは、UNIXワークステーションのマシンでした。システム管理をしながら、カレンダー共有ソフトの作成など「こんなツールが欲しい」となればメンバーで協力して作ってみたり…研究外でも色々経験ができて、勉強になる期間を過ごせました。

また、私にとってATRの人間情報通信研究所で働いた経験は、ATRの人々との出会いも含めて大変刺激になりました。当時のATRにはドイツなどヨーロッパ系の方も多かったので、インターナショナル感もあり、仕事だけでなく一緒にテニスを楽しむなど、様々な経験ができました。誰かの誕生日にはATRでホームパーティーのようなイベントがあったり、けいはんな地域で野球やテニスの大会などもあり、すごくオープンで自由な雰囲気の職場でした。

それから、勤務形態としても、フレックス制度(その当時はあまり分かっていませんでしたが…)が導入されており、海外から来られている方々は平日・土日関係なく好きな時に来る感じで、その感覚はとても新鮮でした。少しですが、文化の違いを感じられたのも面白かったですね。

仕事で役立っている奈良先端大での経験

奈良先端大では、ITに関する基礎的な知識を得ることができました。社会人になっても、奈良先端大での経験は物事を考える上で強みになっていると思います。奈良先端大で、インターネットに早くから触れていたことも糧となっていると思います。何となく中身が分からなくても、「こういう構造かな」、「こういう論理でできているかな」という感覚が持てるのは、その当時の知識によるものだと思います。研究室で情報系のプログラミングや設計デザインに触れていたことで、IT関係にも興味を持てるようになりました。

就職活動の軸

社会人へステップアップしていこうと、就職を意識し始めたのは、 M2に入ってからですね。当時は今の就職活動とは違い、学校推薦、教授推薦で就職するといった世代で、どちらかと言うと学校からの案内があってから、スタートした感じですね。

2年間の修士を通して研究職には向いていないと思ったので、ユーザー企業に行きたいと考えていました。加えて、関西に地盤のある会社が良いというところを意識して、就職先を探していました。ただ、当時はバブル崩壊の影響もあり院卒を拒む企業が多かったですね。そのため、院卒でも行けるユーザー系の企業の中から、当時の近畿日本鉄道を見つけて、就職が決まりました。

新卒入社時の業務内容

当時、近畿日本鉄道の技術系採用には電気・土木・車両・建築の大きな枠組みがあり、私自身は情報系の学科だったのでその中の電気で採用され、入社後最初は鉄道信号のポジションに配属されました。設備改良、保守点検など一番の現場、最前線の職場でした。トラックで現場まで行って作業をしたり、線路上を歩いて現地へ行ったり、作業をしたりしました。信号は保安装置ですので、夜勤も多かったです。

現場仕事や夜勤はそれまで経験したことがなかったのですが、現場の方々と少しずつ馴染むこともでき、発見の日々でした。新しい経験はいずれどこかで役立つと常々思っていますので、どのような仕事も前向きに取り組みました。自分が思っていることだけをやっていくのではなく、自分では選ばないようなことをやってみることも良い経験になりました。

その後のキャリア変遷

現場の経験を積んでからは、技術系入社としては変わった経歴を歩んでいると思います。「THE技術系」のルートではなく、あまり技術系が配属された前例のない部署を多く経験してきたように思います。

鉄道信号の現場を経験すると、次にその現場を管理する部署へ行くことが当時は多かったのですが、私の場合は現場の次に技術研究所へ異動となり、券売機や精算機といった駅務機器のソフト開発(プログラミング)に携わりました。

その後も「私だけの経歴」を進んできました。次は、駅務機器などの設備計画を行う部門へ異動し、設備投資計画やシステム・機器導入までを担当しました。仕様を検討し、仕様通りにメーカーが製作したものをテストして駅などの現場に提供する一連を行いました。

その頃はちょうど鉄道も色々なシステム化のタイミングであり、磁気カードシステム、関西で言うところの「スルッとKANSAI」カードの仕組みの導入や、鉄道ICカードシステムの導入も担当しました。そこからは業務範囲が更に拡がり、鉄道営業制度や運賃制度なども担当し、消費税引上げによる運賃改定に関わる仕事も経験しましたね。

ベンチャー企業との連携のための会社設立

近畿日本鉄道株式会社が持株会社制のホールディングス体制に移行するタイミングで、私も近鉄グループホールディングス株式会社に異動になりました。その時の仕事の一つが、今につながることになります。

鉄道は安全安心が軸であることもあり、システムや設備も長期間使用する傾向が強く、自社で投資を行い、開発・構築することが多かったです。ただ、昨今は情報化、IT化により、様々なものがソフトウェアに置き換わってきた関係でシステム等の新陳代謝や技術の進歩も速く、システムを長期間使用している間に時代遅れになってしまうこともあります。最新技術を活用していくためには自前主義からの脱却が不可欠であり、いわゆるオープンイノベーションの推進が必要です。大企業との連携もあれば、いま私が携わっているベンチャー企業との連携もあります。

斬新なテクノロジーやアイデアを持ち、またスピード感もあるベンチャー企業との協業を一緒に進めていくためには、ベンチャー企業と目線を合わせ、ベンチャー企業から気軽に声掛けをしてもらえる窓口や、ベンチャー企業のスピード感に合わせられる仕組みが必要であると考えました。その仕組みはいくつかスキームとしては他社でも事例がありましたが、我々のグループとしては、CVC(コーポレートベンチャーキャピタル)と呼ばれる出資機能を持った別会社を設立することとしました。そうして設立したのが、近鉄ベンチャーパートナーズ株式会社で、設立後、そのまま私も移りました。会社の設立準備から携わり、いろいろな経験ができましたね。

仕事を取り組む上でのモットー

事業やパートナーと長く一緒に進んでいこうとすると、やはり関係として大事なことは「協調」であると入社時からずっと思っています。大小はあっても、Win-Winの関係でないと長く継続できないと思います。お互いに、お互いの価値を認めていくことが大切です。私は外部の方と接する仕事が多くて、鉄道事業であれば鉄道会社同士、新規事業であれば大企業やベンチャー企業など、相手にどういった価値が提供できて、お役に立てるかという意識で、色々と考えて、取り組んでいます。パートナーが我々に興味を持ったり、価値を見出してくれていないということは、結局は請負の関係以上にはなれないと思います。お互いがお互いの価値を認め合う関係になるように、相手にどのような価値提供ができるか-私が仕事をする上でずっと強く意識していることですね。

スタートアップ、ベンチャー企業から得られるもの

スタートアップは、非常に少ない体制の中ですべてのことをされていて、しかも、外部からの資金調達を受けて限られた時間の中で成長しないと次のステージに進めない組織であると思っています。その最前線で目標に向かって進まれている方々と触れ合えることは、私としては非常に良い経験をさせていただいていると感じています。スタートアップの方は、事業についても世の中の情報についてもよくご存知で得ることばかりですが、そのような中で私としてはどんな価値や情報を提供できるかをいつも考えています。普段なかなかお会いする機会のないスタートアップ、ベンチャー企業の方々とお話しすることで、ベンチャーキャピタルなども含め色々な人とのネットワークが構築できていることは大変有り難いです。

これからチャレンジしていきたいこと

私は現場で事業を創っていくことが好きなので、今後は現場に近いところで0から汗をかいて新しい事業を創っていくことに挑戦してみたいですね。「鉄道事業の経験があるから、鉄道事業関連」というよりは、失敗もあるとは思いますが、これからも色々な事業にチャレンジしていきたいです。

現役の奈良先端大生へのメッセージ

今、まさにスタートアップの方々を見たり、原体験を聞いたりして思うことですが、学校の勉強だけに限らず若い時に色々なことを経験しておくことは、とても大事なことだと思います。研究でも何でも興味持ったことに対してはトライ、チャレンジしてみる。そういった若い頃の経験は、例えその時は失敗であったとしても、将来、必ずその時の経験が役に立つ、あるいは何らかの価値を持つことがあると思います。

奈良先端大を受験する学生へ

各分野について、様々な研究にチャレンジしている研究室があると思います。大学時代の研究を引き継ぐことも良いですし、少し過去を活かしながら、自分の興味を考えながら、大学院で違うことにチャレンジしていくことも可能な学校だと思います。技術の更なる探索や、知見を深めたいのであれば、良い学校だと思いますね。

※この記事に記載した内容は取材当時の情報になり、会社名や役職名等は現在と異なる場合があります。