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続・嘘

ずっと眠りたい、なんて、ヤケクソが生んだ比喩に過ぎないつもりだった。言霊とは恐ろしいものだ。私は確かに歌を歌うという使命を果たした後、自分を酷使したツケを一身に引き受け、ずっと、とは言わないが、リアルに7割ぐらいは眠っているような時間を過ごしている。

布団は温かい。心は、冷たいかどうかも分からない。別に分かる必要もないと思う。病院には大人しく行く。明後日に予約が取ってある。

社会人を目指す過程で、今までの自分を許せなくなることが増えたと思う。調子に波があってしまっては周囲に迷惑をかけるとか、考えすぎとか先延ばしとか真面目過ぎるのとか、もっと意識的に工夫して改善しなきゃどうしようもないとか、いま自分が書く文章さえ、正直見るに堪えない、青臭いガキの痛々しい現実逃避でしかないと思うことが多くなった。

じゃあ紙のノートに書いて自分の中に留めておけば良いだけの話だが、たぶん何か人並みの黒い感情というか満たされない思いみたいなのがそれを邪魔している。もう少し具体的な説明を試みると、「くだらない文章ばかり書いて悦に浸る気持ち悪い自分をそろそろやめたい」という気持ちと、「自分の気持ちに一番正直な文章を書き続けながら生きていく自分を蔑ろにしたくない」という気持ちが葛藤を起こしているのだと思う。

ちなみに、自分の気持ちを言語化すること自体は何ら問題が無いんだけど、それをなぜだか外部に公開することへの気持ち悪さがある。自分の承認欲求への気持ち悪さが。まぁそんなの誰にでもあるじゃん?と思わなくもないが。

まとまりのない話をしてしまった。まぁたまには脳死で喋らせてくれても良いでしょ。私は現実の会話で、自分の話したいことを我慢する場面が多い。相互性が重視される世の中で、自分の一方性は疎まれる対象であることを知っているから。Twitterというツールは私の思考のはけ口になっていたが、最近はどうにも、そこでさえ自分の話したいことを我慢すること、あるいは、我慢しなかった結果、逆に周りの目が気になって暗い気持ちになることが増えた。

そこでnoteってわけだ。別にこんなん正直好きじゃないけどな。noteというSNSを包む、生ぬるく閉鎖的な雰囲気とか。全然嫌い。たぶんそれは、自己嫌悪にもつながる類の感情だと思う。だけど、もーどうしようもないから書いてる。はぁ。

信じられない長さの前置きを生成してしまったが、本題としては、約5年前の自分が書いた文章の一部に、ついこの前の「嘘」に対するアンサーとも取れる節を発見したので、ここにしたためておこうというものだ。

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(前略)
もちろん、いつもウソつかないなんて不可能。でも、あんまりたくさんつき続けると、結局自分がしんどくなるよ。ついたウソが消化されることってあんまなくて、自分では消し去ったフリしても、どこかに溜まっていってる。
ぎゅっぎゅって。つめてつめて。ひたすら圧縮して、小さくして、なるべく、スペースをとらないように。そうすれば、また次のも入れられるからね。普段は、きれーいに、形を整えて、まぁそれこそ、だましだまし、つめこんでる。

つめてつめて。 それが、あるとき、決壊したら、どうだろう。きれいに押しこんでたものが、急に、どばーって、ぐしゃぐしゃって あふれてくる。
つらいよ。だって今まで何ともなかったはずなのに、でもそれは所詮「はず」であって、何ともなかったわけはない。何ともないフリをしていただけにすぎないんだよね。だから、それと 現実のぐしゃぐしゃとのギャップに苦しむんだと思う。

素直になったほうがいいよ。もう、今さら、手遅れかもしれないけど、それでも。

2019.1.30

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刺さるなぁ、と率直に思う。今まで、こんなに嘘ばかりついて生きて、これからはもっともっと沢山の嘘をついて生き延びていくであろう私からは、「そんな簡単じゃないよ」とでも返しておくことにする。

2023.10.9

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