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みんなとの関わり方

住んでいる寮の雑記帳に書いた文章と、それを読み返した後の所感を、ここにも残しておこうと思う。

紙のノートに思考を書きつづる作業、最近はごぶさた気味だった。今日の話は、さっき受けてきた水曜3限社会心理学演習Aの教科書「関係からはじまる―社会構成主義がひらく人間観―」について。

最初に断っておくと、私は普段 読書をすることがあまり好きではない。何だかイマイチ頭に入ってこないのだ。あるいは、自分のことばっか考えてるせいで、人の言うことを聞くのが嫌いなのかもしれない。(←これ、普段から結構ネックに感じていて、ぼちぼち改善しようと試みているよ)さらにコアな説明をすると、私の頭の中は常日頃から 自らの生成する膨大な量の文字列で埋め尽くされていて、いつも忙しく いっぱいいっぱいである。そこにわざわざこれ以上の情報を流入させて、パンクや破綻に追いやる必要性はないのだ。

このように 活字好きでありながらも読書嫌いな私だが、自分の興味関心をピンポイントで突いてくるような本ならスラスラと読めるということが稀にある。この本は その究極体である。

「自分の興味関心」とは何なのかというと、うまくは言い表せないけど 自分と他者の違い、とか、多くの人が自然に行っている「コミュニケーション」の方法、自分の内部にこもりがちな志向性を、いかに周囲に向けていくか、ふと気を抜くと一人浮きこぼれてしまう(ような気がすると勝手に思っている)ようなこの世の中を、どう生き抜いていくか、というようなことだ。ある種の自惚れかもしれない。が、少なくともこのようなことを いつまでもいつまでもごちゃごちゃと考え続けながら生きているという一点において、私は珍しい存在だと感じる。

分かり切ってはいたが、このような局面でマトモに本の紹介などできるはずもなく 大抵はただの自分語りに終始してしまうわけだが、(直前に述べたように、私はこのようなところをどうにかしたい、あるいはどうにかしなくてもまぁ良いのかな などと延々と考えている)精一杯 本の内容自体に興味をひきつけて紹介を試みる。

この本の大まかな主張としては、「”心”は個人の中にあるものではない。関係の中で、他者との相互作用を通して、実に多様で複雑なあり方で立ち現れるものだ」といった内容である。また、個人の”心” ”考え” ”意思” なるものは決して分かり得ない(というか、そんなものは明確には存在しない)からこそ、実際の関係性におけるパフォーマンス、例えば、会話や協同作業、をいかに円滑に、ポジティブに、生産的に、発展的に行っていくかにフォーカスすることの重要性も述べられている。雑にまとめると、”本心”などないのだ。そこにある行為が、パフォーマンスが全てだ。(“心”を完全に否定するのではなく、時にはそういう視点を取り入れても良いのではないか?という趣旨)その前提に立って、「感情」「協調」「絆」などについての各論が展開されていく。

まだ半分も読んでいないが、既にこの本は私にとって多くのことを教えてくれた。他者の「本音」を察せないことに悩まなくていいこと、自己に一貫性があるとは限らないこと、嘘をつく理由、批判は人格否定ではないこと、そして何より、他者との関係の中に身を置き、生き抜き、さらにそれを心地良く過ごすための「パフォーマンス」は、学習して身につけることが可能だということだ。簡単ではないし、「皆と同じ」ようにはできないだろう。(”皆”とかいう概念も空虚かもしれない。一人一人、必ず違いはある)他者との協同作業において 自らの一挙一投足を意識し調節するというのも、奇妙で無謀な話ではあるが、上等である。出力までのプロセスが異なれど、パフォーマンスの結果が全てなのだから。私は自らの無駄によく回る頭を駆使して、今までそうしてきたように、自分のコミュニケーション術を、生き方を、さらに洗練させていけるだろう。

授業後の勢いでこれを書き切ったときの自分にかける言葉があるとすれば、日々のたゆみない努力によって自らを研鑽していくモチベーションは肯定した上で、「そんなに思いつめる必要もないし、十分うまくやってるから、まぁもう少し適当にやればいいよ」といったあたりだろうか。そんなことより、雑にコンビニにでも誘って、一緒にお菓子を食べさせるかもしれない。あるいは「結果にコミット」なんて、ライ〇ップじゃん笑 “ブーチッブーーーチッ ~♪♫”(←伝われ)などと、これまた雑な冗談へと昇華させてしまうこともできる。

このような、少し前までの自分では決して思いつかなかったような、「必死に考え込む」以外の多様な選択肢を思い浮かべられるのは、本の考え方を借りれば、私が日頃から周囲との関係性の中で、そのような他者の「声」を学び取り、内面化しているからである。私にとって大切な人は、ある意味で私の内部に常に生き続けており、時折、私にとって大切な言葉をかけてくれる。それは、たとえ一人ぼっちでの思考や行動であっても、他者との関係性に基づいた振る舞いなのだ。

私は、ノリの良い会話やスムーズな協同作業こそ、人より多少苦手かもしれない。しかし、その場に少しずつ関わり、あるいは離れた場所からおずおずと見つめ、必ず何かしらの情報を獲得し、それを受けて様々なことを考える、そして自分や他者に対する振る舞いに反映させていくというやり方で、もう十二分に、私なりに、他者と関わりながら生きることができているのだ。

2023.5.31

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