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中古マンション内見日記3 半世紀前、億ションだった家

ターミナル駅徒歩5分 3LDK 70平米

ついに出合った理想の物件。でもそれが築50年だった。そのとき、あなたはどうするだろうか。

今回の物件はいわゆる「住みたい街ランキング」常連エリアで、しかも駅近、周辺には豊かな自然、素敵な店も星の数ほど…。そんな文句のつけようのないマンションである。ただし、築50年であることを除いて。
 その物件は私がかつて暮らした街にほど近く、通りすがりにその威容を憧れとともに見上げることは幾度となくあった。しかし「自分が暮らす」という目では見たことがなかったため、物件が出てきた時にはしばらく自分ごととして考えることができなかった。もちろんこれまでも他の部屋は出ていたのだが、築古でありながらもそこは元セレブマンション、どれだけ時が経とうとも高いものは高い。往年の名女優が老いてもなお名女優である(こともある)ように。

 内見当日、いやに現実的な目をした不動産会社の営業マンと物件前で待ち合わせた。名刺を見ると、ホームステージャーという資格を所持していることが書かれていた。ホームステージャー、それはつまりホームステージング(中古の部屋を美しく演出して買わせる技術)が得意であるということだ。前にこの不動産屋の非常に安っぽいフルリノベ物件の写真を見たことがある。あれは君の手によるものか。

 その日は平日、しかも夕方だった。そんな半端な時間にアポを入れた理由は、かなり周辺相場よりも安い価格だったのでいち早く見たいというのと、その売主が孫の世話で留守がちで、この日時しか開けられないとのことだったからである。孫の誕生日、孫の子守、孫のお迎え。いわゆる「孫活」というやつである。本当に人間の人生は活動の連続である。この世に生を受け3歳で保活、長じては就活、婚活、妊活、保活…そして最後は終活である。

話を戻そう。

売主はこの物件に約四半世紀住んで、子供の家のほど近くに引っ越すというマダムであった。そして不動産屋は私にささやく。「実は部屋はかなり荒れていまして」。確かに引っ越しを控えた独居の高齢マダムの部屋。私は覚悟を決めた。まあ躯体さえ無事ならリフォームすればいいのだ。かび、虫、なんでもこい。

 部屋に着くとむせかえるような香水の香りとともにドアが開き、マダムがにこやかに迎え入れてくれた。マダムは…へんな形のメガネをしていた。アール・デコ風とでも言おうか。建築や家具ならわかるが、眼鏡にアール・デコ様式を取り入れている人を私は初めて見た。
 そして部屋は思ったほど荒れてはいなかった。洋服が好きで、物が好きで、メルヘン趣味。それが一見してわかるほど物であふれていたが、それらは彼女なりの秩序によって整理されており、荒れているわけでもなければ、ましてや不潔の部類にも程遠かった。ただ一つだけわからないのが、食卓の真ん中にばかでかい香水瓶を置いていること。何かの悪臭対策なのだろうか。下水? 近所の飲食店? それとも室内に何か…。
 部屋は70平米ほど、ダイニングの窓からはあふれんばかりの緑が眺められ、なるほど少し手を入れれば住めそうだ。和室をフローリングにして、お風呂場をちょっと拡張して、トイレを交換して…。あれ、300万くらいになってないか? いくらお手頃と言えど、売り出し価格にそれをプラスすると完全に予算オーバーだったが、売り出し価格は成約価格ではない。そこに実際どのくらいの開きがあるかはケースバイケースであるが、そのデータを不動産屋が教えてくれることはほぼない。特にこの現実的な目をした営業マンには尋ねることすら許されない。
 脳内でそろばんをはじきながら部屋を去る時、マダムは言った「またね」。契約でまた会おうということなのだろうか。うますぎる。このマダムにはマンションなど売るより、スナックでも経営していてほしかった。

 部屋をあとにすると現実的な目をした不動産屋は、屋上に案内してくれた。住人でなければ立ち入ることのできないそこからの眺めは素晴らしく、いわば住む人の特権なのだそうだ。なんなら布団も干せるという。いわゆる昔の病院方式だ。しかし長い階段を経てたどり着くその屋上に私が布団を抱えながら登れる時間はあと何年あるのだろう。緑の中を飛び交う野鳥たちを見る眺めは清々しくも雄大で、人の一生のちっぽけさを感じさせるに十分だった。

Life is too short. パリス・ヒルトンもそう言っていた。

 そう、あと何年。それが問題である。私は終の棲家を探している。一方でここは築50年超。確かに耐震調査も大規模修繕も完璧だ。建て直しなど考えず住民は今後もできるだけ長く住む気まんまんだという。だけど30年後。築80年になったこのマンションはどうなっているのだろう。
 マダムは歌うように言った。「昔は億ションだったのよ、ここ」。ああ、なんて甘美な響き。抜群の立地とヴィンテージな趣きに魅了され、二つ返事で買い求める若者も多いという。豪気というか狂気の沙汰であるが、彼らは場所と建物のブランド価値を買う人々だ。相場が上がれば、あるいはここが憧れの街でなくなったとしたら、すぐにいなくなってしまうだろう。一方の私といえばその頃はもうそんな一攫千金魂も行動力も失くして、漫然と住み続けるしかないだろう。たとえ築80年だろうとも。

どんなに住みたくても、どんなに環境が理想的でも、どんなにマダムが面白くても、人は時間の流れに勝てない。マンションもまた若返ることはない。古いものが好きな私にとって、ヴィンテージマンションは憧れであり夢だが、憧れにもマンションにも賞味期限があるということをあらためて知った夕暮れの内見であった。

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