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親に本音を話したことが無い

今夜は、わたくしえり子先輩が私自身の内観を語りたいと思います。「親と本音で話したことが無い」という、なかなかに核心に迫った内観が進んだものですから。
長女気質だったり、"いい子"と評価されてきた方の参考になればと綴ります。

身近な相手になるほど
嫌われるのが怖い

「できない」「たすけて欲しい」を身近な人にすんなり伝えるのが苦手なわたし。息するように期待を先読みして「できない」ことを「できる」状態にスタンバイしてから人と関わるスタイルで長年生きてきました。

それでも内観が進み、波風立てずにNOを言える私も手に入れたけど、それはNOが言える距離感の相手に対してのハナシ。だってダメなら距離を取ればいいから逃げ道がある。

けど、
親とか家族とか身近な人にはNOと言いたくない。
NOと言ってしまった時の、あの居心地の悪さを味わうくらいなら、本心に背いてでもYESと答えてその場をやり過ごしてしまいたくなる。"良い人いい子"で居たいもの。

しかし
この数ヶ月、身近な相手に本音を隠したままでは、やりすごせない出来事が続き、葛藤していました。

本音を伝えてしまって、現状を知られて、軽蔑されたらどうしよう、期待ハズレだなんて思われたくないし、仮にも"役立たず"なんて思われたらどうしよう。嫌われたくないんだもの。

いつから"いい子"を演じてる?

内観を何年も続けているのに、未だにびくともしないぐらい強固な思い込みがいることにも驚きました。

気づいたきっかけは
内観研究所で読書会を主催するまでに至った小説「いい子のあくび」
主人公の脳裏でフラッシュバックされる、幼少期の家族との関係。「あの瞬間に"いい子"でいなくちゃ生きられない、と決めたんだな」と主人公の様子に共通点を見つけてしまったのです。



わたしも、親に落胆されたくなくて"いい子"を演じ続けている。しかも3歳くらいから。もはや私自身が知らないんじゃないか?"いい子"になる前の私のことを。

"いい子"になる前は無邪気で怯えてる私がいた

幼少期の自分まで遡って癒すことを、インナーチャイルドとか、シャドウの統合とか、呼ぶようです。
3歳のわたしは「ちゃんとしないと怒られる…」と怯えている子どもでした。そんな私にあれこれと言葉をかけるながで、大人の私が思わず嗚咽してしまった言葉が「大好きだよ」でした。

"いい子"に出来なくても受け入れてほしい。
役に立たなくても、落胆させても、期待はずれでも愛して欲しい。
3歳の頃は親に向けた欲求だったかもしれないけれど、いま、その根源的な願いを否定し続けていたのは「大人の自分」だったから。

自己否定の根っこ

より良く生きることを求めて内観を取り組み続けるなかで、陥りやすいのが【自己否定】なのかもしれません。

自分を変えたい

このままじゃダメだ

この自分はダメだ

どうせダメだと思ってんだろ?

わたしが間違ってると言いたいんですか!

間違ってるのはアナタじゃないですか!!

気づけば誰の言葉も「否定」に聞こえ、正当化に振り回され、攻撃的な態度になってしまう。

けど、きっと、求めているのは
相手を打ち負かすことじゃなくて

「そのままのあなたが好きだよ」

って、受け入れ合える関係なんじゃないかしら。


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