無料期間┃稼ぎたいなら1万円札を破れ

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いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。

突然ですが、あなたは一万円札を破れますか?

いきなりこんな質問をした理由は、今回要約させて頂く書籍のタイトルが「君は1万円札を破れるか?」だからです。

この本の著者である苫米地英人氏は一見すると怪しい人物のようにも見えますが、実際は下記のようなすごい経歴の持ち主です。

 出身校
 ・マサチューセッツ大学
 ・カーネギーメロン大学(計算言語学博士号)
 ・上智大学外国語学部英語学科(言語学)

 研究機関
 ・ハーバード大学マサチューセッツ総合病院(脳機能研究)
 ・イエール大学人工知能研究所・認知科学プロジェクト
 ・カーネギーメロン大学計算科学研究センター
 ・ATR自動翻訳電話研究所
 ・早稲田大学研究院

 所属学会
 ・(日本)情報処理学会、人工知能学会、電子情報通信学会、言語処理学会等
 ・(日本国外)ACM、IEEE、アメリカ人工知能学会、米国計算言語学会、米国認知科学会(英語版)等

本書ではこのような経歴の著者が「お金の本質」についてわかりやすく解説しています。

今回はそのエッセンスを要約して共有していきますので、ぜひご参考ください。

結論:お金とは「情報」である

苫米地氏はまずはじめに、「お金」とは「情報」だと結論づけています。

多くの人がお金に対して「絶対的な価値がある」という情報に洗脳されているせいで、お金がなくなると不安になり、あればさらに欲しくなる…という「お金の奴隷」になっているのです。

もしあなたが、「お金があれば自由になれる」「お金がないから不自由」と考えているのであれば、お金という概念のなかで自由をとらえているということになり、それは「自由」の本当の意味をはき違えています。

そもそも、お金とは何でしょうか? お金をよく見てみてください。

100円玉、千円札、一万円札…これらのお金は本来は3つの機能を持った道具に過ぎず、もっと言えば硬貨はただの金属片であり、紙幣はただの紙っきれでしかありません。

 ① 交換媒介機能:物やサービスの交換をするための手段
 ② 価値尺度機能:物やサービスの価値の尺度を決める手段
 ③ 価値保存機能:①と②の機能を保存する手段(紙幣や硬貨などの価値保存機能)

それなのに、お金に対して「絶対的な価値がある」という洗脳をされてしまったために、多くの人が「お金の奴隷」になってしまっています。

人がお金に価値があると信じる理由

突然ですが、もし今のあなたが来月の家賃や生活費が払えない状態だとしたら、どのように感じますか?

恐らくまず感じるのは「不安」ではないでしょうか。

なぜなら、多くの人は「お金がないと不安」という洗脳にハマっているため、「何が、どのように問題であるか」と論理的に考える前に、反射的に不安を感じてしまうのです。

そして、不安を感じると人はIQが下がってしまい、問題の本質やどのように対処すればいいかわからなくなってしまいます。

お金がなくなることで不安を感じ、頭が悪くなると、さらにお金を失うような行動をしてしまいかねません。

このような負のスパイラルを通じて、人はさらに「お金の奴隷」となっていきます。「お金の奴隷」とは、お金に絶対的な価値があると信じ、その価値観だけでしか生きけいけない人のことです。

しかし苫米地氏は言います。現代におけるお金とは「情報」でしかないと。

その情報とは「このお金には、これだけの価値がありますよ」と主張する情報です。

しかし、私がただの紙切れを用意して「この紙には1万円分の価値がありますよ」と言ったとしても、誰も信用しませんし、その紙と1万円札を交換してくれる人はいません。

それなのに、1万円札は「これには1万円分の価値がありますよ」と主張していますが、それを私達は当たり前のように信じています。

つまり、お金の価値の根拠とは「信用」という情報だけなのです。

「金」と「お金」の関係が断ち切られた

世界はもともと金本位制をとっている国が多く、「金」をお金の価値の基準としていました。

つまり、昔のお金は「金」という価値の裏付けがあり、いつでも金と交換が可能です。しかし、金本位制は少しずつ廃止され、1930年代には金本位制を採用する国はほとんどなくなっています。

それでは、金本位制の代わりにどのような制度になったのでしょうか?

それが現在、世界標準となっている「管理通貨制度」。

管理通貨制度とは、「お金」と「金」との関係を切り、政府や中央銀行などがお金の供給量(マネーサプライ)を管理する制度です。

この制度により、政府や中央銀行などの「通貨当局」がお金の発行や管理、調節ができるようになりました。

さらに、金本位制では保有している金の量までしかお金は発行できませんでしたが、それが管理通貨制度では無尽蔵にお金を発行できるようになったのです。

お金の価値の根拠が「金」から「信用」に

この点の何が問題なのでしょうか?

それは、お金の価値の根拠が「金」から「信用」になったことです。

金本位制ではお札がただの紙切れだとしても、金と交換することができたため、その価値の根拠は金でした。しかし、管理通貨制度では金と交換できなくなったため、その価値の根拠がなくなってしまったのです。

ですが、私達は「お金には価値がある」と信じていますよね。

その「信用」こそが、現代におけるお金の価値の根拠です。

法律をもとに「このお金にはこれだけの価値がありますよ」と国家が価値を保証しているだけで、その「信用」だけがお金の価値を担保しています。

つまり、「お金に対する信用」はそのまま「国家に対する信用」です。

例えば、いつ破綻するかわからない国のお金を、あなたは信用できるでしょうか? できませんよね。

このように国家に対する信用のレベルは日々、上下しています。その変動が「為替相場」であり、世界情勢においてどれほど信用されているかを示しているわけです。

「飢餓への恐怖」からお金への執着心が生まれた

苫米地氏は、人がお金に執着する理由は「飢餓への恐怖」が根源的理由としています。

そもそも人類の歴史において、人が命を落とす理由として最も多かったのは「餓死」です。今でこそ飽食の時代といわれていますが、それまでは「いかに餓死を防ぐか」ということが最も大きな課題でした。

したがって、餓死する恐れはほとんどなくなった現代においても、「飢えたくない」「もっと食べたい」という根源的な欲求から、お金を必死に求めます。

なぜなら、現代における「食べ物を手に入れる手段」は「お金」だからです。

これこそが、お金がなくなると人が不安になる理由で、下記のようなステップで不安が生じます。

 ① 「お金がない」
 ② 「食べ物を手に入れられない」
 ③ 「餓死するかも」
 ④ 「不安・恐怖」

お金は「絶対的な価値の尺度」ではない

「コレは1万円」「アレは10万円」

世の中のありとあらゆるモノやサービス、ましてや人にまで値段がついています。つまり、お金という価値の尺度ですべてのものが測られているのです。

しかし、苫米地氏は「お金は絶対的な価値の尺度などではありません」と言います。

そうではなく、あなたの限られた時間を費やして行っている労働こそが貴重であり、価値の源泉なのです。苫米地市はあなたの労働について「それは、貴重な地球資源である金やダイヤモンドと同じなのです」と言います。

労働とお金の関係ついては、多くの人が勘違いをしています。

それは、価値の基準になるべきはあなたの「労働」であり、「お金」は相対的な評価でしかないということです。

お金はあなたの価値を表しているわけではありません。なぜなら、お金は絶対的な価値の尺度ではないからです。

絶対的な価値の基準はあなたにあるということを理解し、今までの「お金が基準」という認識を丸ごと入れ替えましょう。

そうすることで「理想の年収を稼げる自分」といったセルフイメージを作れば、お金を生み出すのは簡単だと苫米地氏は言います。

「物理空間」から「情報空間」へと移行する価値

苫米地氏は、現代社会において「価値」は、物理的な空間での価値から、情報的な空間における価値へと移行していると言います。

これはどのような意味でしょうか?

現代社会では基本的な衣食住に困る人はほとんどおらず、多くの人はキレイな家に済み、毎日好きなものを食べて、小綺麗な服を着ていますよね。つまり現代は、家や食べ物、服といった物理的な価値を持つモノはほぼ全ての人に行き渡っている状態です。

これこそが今、「モノが売れない時代」といわれ「コト消費」「体験型サービス」が増えている理由でもあります。

今や物理的な価値を持つ車や腕時計といった「モノ」は売れず、これは「物理空間の価値が下がっている」ことを指しています。

しかし、その一方で音楽が聴き放題になったり、映画が見放題になる、月額定額で使い放題のサブスクリプションサービスなどは売れ行きを伸ばしていますよね。

また、SNSにおける「いいね」や「リツイート」といったアクションに価値を感じる人も増えています。

これらが意味するのは「情報空間における価値」が上がっているということです。

このご時世でお金を稼ぐにはどうすればいいでしょうか?

それは、あなたも情報空間において価値があるもの提供すればいいのです。

こう書くと難しく感じるかもしれませんが、これは多くの人がすでに実践しており、あなたもおそらくやっています。

なぜなら、情報を発信することも情報空間での価値提供の1つだからです。

情報空間では価値を無尽蔵に増やせる

さらに、情報空間での価値(バーチャルバリュー)は無尽蔵に創ることができるため、稼げる上限もないわけです。

「バーチャルバリューはいくらでも増やせる」ということがよくわからない方は、お金について思い出してみてください。

もともとは金本位制で「金」に基づいた価値をもっていましたが、管理通貨制度により「金」との関係は断ち切られ、価値の根拠は「信用」のみとなりました。

この「信用」もまた情報空間の価値に過ぎず、実際に中央銀行はいくらでもお札を印刷できます。つまり、いくらでも価値を増やすことができているのです。

これと同じように、情報空間を制することができれば、価値はいくらでも増やせます。

例えば、あなたの仕事がTシャツを売ることだとします。この仕事でより価値を高めるにはまず、物理空間の価値を上げようとしがちです。「Tシャツの記事をもっと良いものを使おう」とか「縫製が丁寧で美しい」といった価値に限られます。

しかし、このような価値の上げ方では限界がありますし、コストもかかります。

そこで、「このTシャツを着ている人はカッコいい」「このTシャツのブランドは世界的に有名」などの情報空間の価値を高めれば、無尽蔵に価値を増やせるのです。

このように、物理空間の価値は自由自在に高めることはできませんが、情報空間の価値はいくらでも増やすことができます。

ここで重要なのは「いかに情報空間を制するか」です。

苫米地氏は、このように言います。

あなたが労働によって生み出す成果に対して、「ここにこれだけの価値がありますよ」ということを、お金を支払う人に納得させることさえできればいい。その説得力の強さがカギなのです。

コンフォートゾーン(快適な現状)に留まる力

「情報空間の価値ならいくらでも増やせる」とは言っても、現実的には現在の収入では理想の生活が送れない、欲しい物が買えないと現状に満足していない人のほうが多いかと思います。

苫米地氏に言わせれば、そのような人たちは、理想の現実と自分のコンフォート・ゾーンがズレているのです。

「コンフォート・ゾーン」とは自分が快適に過ごせる状況のことで、肉体的にも心理的にも負荷がなく楽に過ごせる領域ともいえます。簡単に言えば、自分にとって慣れと親しみのある「現状」のことです。

人間の脳には、このような「現状」を維持しようとする働きがあります。

だから「人生変えたい」「現状を脱したい」と口では言いつつも、実際は何も変わらない、変えられないのです。これは本人が本気でそう思っているつもりでも、コンフォート・ゾーンの強い働きによって打ち消されてしまいます。

脳はそれだけ「現状を維持したい」と強く願っており、そのために自分の考え方や行動を制限する方向に働くのです。

コンフォート・ゾーンはどのようにつくられるのでしょうか?

それは、あなたの記憶から後天的につくられています。人は、昨日までの記憶を頼りに「快適な現状」を設定しており、無意識のうちにその現状に留まるようにしています。

つまり、あなたの今のコンフォート・ゾーンは、「昨日までのあなたが快適だと考えてきた状態」のことなのです。

お金がないから◯◯ができない

あなたは何かやろうとした時「お金がないからできない…」と思ったことはありませんか?

この場合、2つのパターンがあると苫米地氏は言います。

 ① やりたいと思ってることが、本当にやりたいと思っていることではない
 ② 本当にやりたいが、それをできる自分というエフィカシー(自分に対しる自己評価)が持てない

このうちパターン①はよくあることで、現代の資本主義では①に当てはまる人が99%です。

資本主義社会における洗脳

資本主義社会ではびこる最も大きな洗脳は「消費行動のコントロール」です。

あなたはテレビ番組を見ていて、雑誌を見ていて、街を歩いていて、このように思ったことはありませんか?

 「あぁ、アレが欲しい」「こんな生活を私もしてみたいな」「これ買ってみたいな」

もし、思ったことがあるのなら、それは既に資本主義の「消費行動のコントロール」という洗脳を受けています。

このように「アレが欲しい」「コレが買いたい」という消費欲を湧き上がらせることで、人びとにお金に対する執着心を植え込み、その執着心の強さをもって競争させることで、資本主義経済はブクブクと肥えていきました。

経済的な支配者層にいる人びとにとって、消費欲をコントロールすることこそが、彼らの支配できる領域を広げることにつながり、さらなる権力を持つための仕掛けなのです。

そのためにCMなどの広告を用いて、消費者に「自分の現状じゃまだまだだ」と不足感や不満足を植えつけています。

例えば車のCMを見てみると、新しい車が発売されたかと思いきや、すぐにどこを変えたのかわからないマイナーチェンジをした新しいモデルを発売します。このようにして、自分が持っている車がすでに新しくないと思わせて、新しい車への購買意欲を高めているのです。

このように多くの人は、第三者から消費欲を焚きつけられることに慣れてしまっているため、自分が本当に欲しい物がわからなくなっています。

その結果、本当に欲しい物ではないものを際限なく求め続ける負のループに陥り、お金への執着心が高まり続けて「お金の奴隷」となってしまうのです。

本当に欲しい物は「スコトーマ」に隠れている

苫米地氏は本当に欲しい物は「スコトーマ」に隠れているといいます。

スコトーマとは「心理学的盲点」のことで、コンフォート・ゾーンの外にある情報は見えていても、認識できなくなることを言います。

例えば、あなたがキッチンの戸棚で塩を探していて、本当は「キッチンの戸棚には塩はないはず」と思いながら探しているとしましょう。そして、実際に塩は見つからないため、あなたは「ほら、やっぱりない」と自分の考えをより強固にします。

しかし、家族が戸棚を探すと一瞬で塩を見つけてしまいました。しかも、塩は目の前にあって探している間も確実に視界には入っていたはずです。

なぜ、塩は見つからなかったのでしょうか?

答えは、スコトーマ(心理学的盲点)ができていたからです。

人の脳は外界から入る情報に対して「コンフォート・ゾーンに合っているか、いないか」でその重要性を判断しています。したがって、「塩はないはず」という考えに合わない情報(目の前にある塩)は見えなくなっていたのです。

このことを「スコトーマができる」といいます。

本当に欲しい物の見つけ方

本当に欲しいものであれば、それが自動的に自分のコンフォート・ゾーンの中心に設定されなければ不自然だと苫米地氏は言います。

もしあなたが「スポーツカーが欲しい」と思っていて、現状では買えないとすると、それは本当に欲しいものではない可能性が高いのです。

なぜなら本当に欲しいものなら、それが買えるようなコンフォート・ゾーンに変わってしまうからです。コンフォート・ゾーンが変わらないほどの重要性なら、それは本当に欲しいものとはいえません。

しかし、お金に対して絶対的な価値の基準があると洗脳されてきた人は、何を欲しいと思っても、まず先にお金の側から欲しい物の価値を測ろうとします。

「自分の収入じゃコレは買えるけど、アレは買えないな…」というようにでうす。これでは目的と手段が逆転しています。

本当に欲しいものを見つけるためには、コンフォート・ゾーンをズラしてスコトーマを外して見つける必要があります。

もしくは、本当に欲しいものをコンフォート・ゾーンの中心に持ってくるために、コンフォート・ゾーンをズラすのです。

現状を維持するには苦労や努力を感じない

もし収入を増やしたいのであれば、その収入をイメージして「自分は普段どおりの生活でも、そのくらいの収入が必要だ」と思いこむことにあります。24時間その生活が自分のコンフォート・ゾーンだというイメージを持ちながら生活して、それが当たり前だと思いこむのです。

そうすることで、次第にそのイメージがコンフォート・ゾーンに置き換わり、「ホメオスタシス」が働くようになります。

ホメオスタシスとは「恒常性」とも言って、コンフォート・ゾーンを維持しようとする働きのことを指します。つまり、あなたの現状を維持しようとしているのもホメオスタシスの働きのせいです。

しかし、コンフォート・ゾーンを理想の生活におくことで、ホメオスタシスを利用できるようになります。つまり、楽して理想の生活を実現できるのです。

例えば「預金通帳には常に500万円入っている」というコンフォート・ゾーンを持てば、実際には50万円しか入っていない通帳を見た時に「ヤバい、もう450万円も使っちゃった!」と考えるのです。

そうすると急いで自分のコンフォート・ゾーンである「預金通帳に500万円入っている状態」に戻るために、ホメオスタシスが働きます。ホメオスタシスが働いている時は、苦労や努力を感じません。

あなたが現状を維持するのに苦労や努力を感じていないのと同じです。

お金そのものを目的にしてはいけない

ここまでお金について様々な新しい視点を解説してきましたが、ここまでで苫米地氏が伝えたいことは「お金そのものを目的にしてはいけない」ということです。

お金とはそもそも道具であり、手段でしかありません。それなのに、「お金を手に入れること」を目的にしても意味がないのです。

「なんのために」「どれくらい」お金を手に入れたいのかを、まずハッキリさせる必要があります。お金は何かを達成するためのツールであり、手段でだからです。目的ではありません。

『「お金がないから…」という理由で、自分がしたいことを諦める』なんてことは現代社会においてこれほどバカバカしいことはない、と苫米地氏はいいます。

なぜならお金を稼ぐことは、本当に叶えたい「夢」を達成することに比べれば、足元にも及ばないほど簡単で誰にでもできるからです。

「お金を稼ぐのが簡単? 誰でもできるだって?」

と思った方もいらっしゃると思います。私もそう思いました。しかし苫米地氏は、他人に押し付けられた方法のなかでお金を稼ごうとしているから苦労しているだけだとしています。

諦めてはいけない

苫米地氏は「諦めることはいけない」と言います。

その理由は、何かを諦めると「諦めてしまった自分」というセルフイメージを作ってしまうからです。

さらに「お金がないから…」という理由で諦めることは、「お金を稼げないからしたいことができない自分」という自己イメージを強化してしまいます。

このような低い自己イメージを構築してしまうと、それが大きな壁となり、あなたが本当に達成したい夢への道が閉ざされてしまいかねません。

あなたの世界の主役は、あなたです。

お金やモノに絶対的な価値の基準を置いてしまうと、「それを持っていない自分」「それを買えない自分」という自己イメージに陥ってしまいます。

そうではなく、自己イメージのなかで自分自身の「価値」を徹底的に追求し、それにお金やモノ、状況などを追従させるのです。

そのために必要なことこそ「好きなことをする」に他なりません。

好きなことをしていれば、人は仕事を通じて喜びを感じ、そのような人生に対して誇りと幸せを抱けます。

苫米地氏はこのように言います。

ぜひ、「これなら、私の二度と返ってこない貴重な時間を費やしてもいい」ということを見つけてください。やってみてつまらなければ、やめればいい。トライアル&エラーでいいのです。

価値の正体は「有用性」と「希少性」

「価値」を経済学的に説明すると、「有用性」と「希少性」で成り立っています。

例えば「空気」は人が生きるためには絶対に必要なので、「有用性」は高いですが、いくらでもあるため「希少性」は低いので高く売ることはできません。

しかし、宝石は使いみちが限られており「有用性」は低いですが、非常に珍しく「希少性」が高いため、高く売れます。

このように、価値の高いものとは「有用性」と「希少性」が高いものです。

バーチャルバリューを生み出す方法

それでは、情報空間における価値、すなわちバーチャルバリューを生み出すというのは、どのようなことを意味するのでしょうか?

簡単に言うと、「自分の仕事や生み出すモノ・サービスには、これだけの高い価値があります」と社会を納得させることができる、ということです。

重要な点は、「いかに納得させられるか」という点。これさえできれば、どんなに価値が高いものでも創り出すことができます。

つまり、バーチャルバリューを生み出すには、イメージ操作や印象操作こそが重要なのです。イメージを使って「自分にしかない価値」を演出し、「他のモノ・サービスとは比べられない価値がある」と感じさせることです。

これが無尽蔵にお金を稼ぐ秘密になります。

例えば高級ブランドの服は、言ってみればただの布に過ぎないのに、ブランドロゴが入っているだけで高い値段が売られていますよね。あれこそまさにバーチャルバリューでイメージが為せる技です。

お金に縛られていると競争になる

しかし、お金に絶対的な価値の基準をおいていると、このような考え方ができません。

その結果、自分や自分の商品を他と比較することで価値を表現しようとしてしまいます。そうすることで、「他の商品よりも自分の商品の方が安いよ」とか「よそよりも早く仕事を仕上げますよ」と競争になります。

しかし、バーチャルバリューを生み出し「他とは比べられない価値がある」とアピールできれば、そもそも競争をする必要がなくなるのです。

他と比較して価値を生み出すのではなく、自分で絶対的な価値を生み出せばいいのです。

「稼げるか」より「自分が信じる価値」

1,000人中1,000人が「イイね」と思ってくれるものはありません。そのためには「他より高品質で他より安い」などの、具体的でわかりやすい根拠が必要になります。しかも、それを実現するには多大なコストとお金がかかります。

しかし、バーチャルバリューなら、個人で無尽蔵に作り出せます。それに対して「他とは比べられない価値」を感じてお金を払ってくれる人が、100人に1人、1,000人に1人いれば十分なのです。

つまり、「どうすれば稼げるか」を先に考えて、やりたくもないことをやったとしても、説得力が生まれません。

それよりも、自分が価値があると信じたことを追求し、その価値を具現化したうえで、人びとを説得する方法を見つけるべきです。

希少性と有用性を操り価値を上げる方法

価値とは希少性と有用性で成り立っていると解説しました。

それでは、希少性と有用性をコントロールすれば、価値もまた自由自在に操ることができるということです。

実際、多くの企業はそうやって価値を実際異常に高く見せかけています。

希少性は簡単にコントロールが可能で、その方法は供給よりも需要のほうが多い状況を作ればいいだけです。例えば、供給を制限して供給が少ないと思わせればそれで済みます。

あなたもネット通販で「在庫残り1個です。注文はお早めに」といった文言を見て「ヤバい、買わなきゃ」とポチった経験はありませんか?

まさにこれも希少性のコントロールの一例です。

他にも「限定カラー」や「限定モデル」などを展開することで希少性を高めて購買意欲を掻き立てる手法も用いられています。

それでは有用性のコントロールはどうでしょうか? こちらも意外と簡単で、あちこちで行われています。

食べられないものについて「美味しいですよ」と宣伝して売るのはできませんが、「この服を着るとモテますよ」「幸せになれますよ」と言ってそれを消費者に信じてもらうことはできます。

また、有用性を強調するための手法に「権威付け」がありますが、この手法には日本人は弱いようです。例えば、「医師の90%がオススメしています」とか「◯◯社長のお墨付き」といった権威付けをされると、値段が高くても簡単に売れるようになります。

価値を生み出すには「抽象度を上げる」

他と比べられないような絶対的な価値を創り出すために大切なことは、その商品やサービスの「本質的な機能は何か?」を徹底的に突き詰めることです。

そして、それを実現するには「考え方の抽象度を上げる」必要があります。

考え方の抽象度を上げるとは、どういうことでしょうか?

例えば、あなたがタマという三毛猫を飼っているとします。その猫で考えると、抽象度が最も低いところは「あなたが飼っているタマ」になり、1つ抽象度を上げると「三毛猫」になり次は「猫」→「哺乳類」→「動物」→「生物」というように抽象度を上げていくことができます。

 抽象度のレベル
 【タマ→三毛猫→猫→哺乳類→動物→生物】

このように猫をただの猫として見るのではなく、哺乳類や生物としてみると一気に世界が広がります。

例えば、あなたの夢が「世界中の猫を救いたい」だとしたら、1つ抽象度を上げるだけで「世界中の哺乳類を救いたい」とかなりスケールが大きくなりますよね。

こうすることでもっと大きな思考ができるようになり、他の人とは違う視点で世界を見られるようになるのです。

抽象度を上げるには「前頭前野」を使う

そんな抽象度の高い考え方をするには脳の「前頭前野」を使う必要があります。

前頭前野は論理的思考や社会的情動(他人への共感など)を司っており、このような働きがまとめられることで人間的な活動や高い精神性を伴った思考が可能です。

しかし、「好きなことよりも、まずは稼げることをしよう」と考えていると、「脳幹」ばかりが働いてしまいます。

脳幹とは別名「爬虫類脳」とも言われていて、脳の中でも原始的な働きを司っており、前頭前野は働きません。

前頭前野を活発に働かせるには、常識や思い込み世の中の「アタリマエ」に縛られずに、自分のほんとうの自由意志に従い、自分の好きなことややりたいことを追い求めるのが有効です。

また、前頭前野を鍛えるには瞑想やマインドフルネスもおすすめします。

「お金を稼ぐなんて大したことはない」

多くの人にとってお金を稼げるのは「すごい」「立派だ」と感じるのではないでしょうか。私もそのうちの一人かもしれません。

お金を稼ぐのに苦労したことがあるなら、誰しもそう思うものです。

しかし苫米地氏は「それは誤りです」と断言したうえで「お金を稼ぐなんて、別にすごくもないしなんともないこと」と認識を改めるべきだと言います。

投資で勝つ方法

「もしこのお金が全てなくなっても死ぬことはないし、困ることもない」という究極のメンタリティを持つことができれば、投資で勝つ可能性はかなり上がります。なぜなら、損をすることに対して「恐怖」がなくなるからです。

しかし、投資や仕事で失敗する人は、成功する方法やノウハウを先に学ぼうとします。誰かの言うことに従うだけで成功するのであれば、誰も損はしないはずです。

したがって、まずはリスクに対する恐怖心に負けないメンタルを鍛えて、それからチャレンジすれば、自分なりの成功法がみつかります。

また、私が運営するマガジン「お金の教養」では下記のような投資にまつわるnoteも公開していますので、ご参考ください。

 ■「世界一金持ちが多い国が発明した究極の投資法」を見てみる。

 ■「よくわからんけどお金を増やしたい人のためのnote」を見てみる。

幸せとは「脳内物質の分泌」に過ぎない

「幸せ」とはなんでしょうか?

人によって幸せを感じることは違うため、幸せを定義することはできません。

これが意味することは、自分の目の前に明確な「幸せ」があるから私達は「幸せだな~!」と感じるわけではないということです。

むしろその逆で、私達が「幸せだな~!」と感じるからこそ、「幸せ」が目の前に現れるのです。

脳科学的に言えば「幸せ」という感覚を生み出すのは、神経伝達物質の分泌でしかありません。ドーパミンやエンドルフィン、セロトニンなどの物質が分泌されると、私達は幸せを感じます。

したがって、物理空間の抽象度でみると「幸福も不幸も、脳内の神経伝達物質の多い・少ない」といった話に過ぎないということです。

「抽象度の低い幸せ」より「抽象度の高い幸せ」を目指す

あなたはおそらく「幸せになりたい」と思っているはずです。

ここで質問ですが、その「幸せになりたい」と願う対象は自分だけでしょうか? もし「自分一人だけが幸せになればいい」と思っているのであれば、それは抽象度の低い欲求と言わざるをえません。

しかし、多くの人は自分だけよりも「家族の幸せ」を願っています。「自分一人の幸せ」よりも「家族の幸せ」を願う方が、抽象度の高い欲求と言えます。

さらに抽象度を上げると「地域住民の幸せ」となり、更に上がると「日本国民の幸せ」を願えるはずです。そして、最終的には「地球上の生きとし生ける全ての生命の幸せにしたい」と思えるようになれるかもしれません。

「自由」とは「自らに由る」こと

私達は本当の意味の「自由」を持ってして生きるべきです。

しかし、自分が本当に「やりたいこと」よりも、相対的な価値の基準でしかない「お金」に絶対的な価値があると信じ込まされています。

しかしこれでは「自由意志」に基づいて生きているとは言えません。

お釈迦様は弟子にこのような教えを残しました。

「自らを由りどころとし、他のものを由りどころとせずにあれ」

要するに、「考え方や行動を決める判断基準を他者に任せず、自分に置きなさい」ということになります。

これこそが本当の意味の「自由」なのです。

そのうえで苫米地氏は下記のように締めくくっています。

徹底的に抽象度を上げ、社会や他人に押しつけられた価値観や過去のしがらみ、自分自身の記憶からも自由になり、すべてのことを判断、決定できる。それが真の自由意思です。
ただ「自らに由る」ことで、心から望む「なりたい自分」になりましょう。本当に「やりたいこと」をやりましょう。
そのように、純粋に自分の自由意思によって選択したものこそ、本当の夢であり、目指すべきゴールなのです。


ここまでお読み頂き、誠にありがとうございました。

お金に関する教養の他にも健康、性に関する教養も解説していますので、ぜひご参考頂ければ幸いです。

 ■ 無料公開中のマガジン「お金の教養」を見る。

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