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【仏教】輪廻転生概要(阿含経)
仏教を語る人の中に「輪廻転生は無い」「死後の世界は無い」と語っている人がいるとしたら、この人たち、頭大丈夫かな?とボクは思います。
これらの人たちは、仏教と称する誤った何かを仏教と信じているのは明らかです。
普通の人(凡夫)は悪因悪業・カルマが残っているから六道輪廻の世界において生死輪廻を繰り返す。これは「苦」です。
だから悪因悪業・カルマを消滅させて四沙門果の境界に到達し、最終的にはブッダに至り、苦海であるこの世界に生まれ変わって来ない存在になること
これが仏教の大目標です。
輪廻転生が存在することが前提であり、その輪廻転生の世界から脱することを目的として、その具体的な修行法を説明しているのが仏教です。
仏教徒だけど or 仏教を学んでいるけど、
そんなことを初めて聞いた!
という人は、学んできた仏教が全て誤っているので、お釈迦様が実際に語ったことが記されている阿含経を基準に学び直しをする必要があります。
普通の人は死後、どこへ行くのか?
普通の人は六道輪廻の世界において生死輪廻を繰り返すわけだけれども、死んだ瞬間、パッと一瞬で新しい人間として生まれ変わるのではない。
死んでから生まれるまでに、ある程度の時間がある。
では、次に生まれてくるまでの期間、いったいどこにいるのでしょうか?
「天人往生」する聖者
四沙門果とは、功徳を積み、悪因悪業・カルマの多くを減じることに成功して、六道輪廻の世界を脱することができた修行者が到達する段階です。
第1段階目のシュダオンは漢訳では「七来」
第2段階目のシダゴンは漢訳では「一来」
第3段階目のアナゴンは漢訳では「不還」
とも言う。
「七来」とは3回から7回ほど、こちらの世界にやって来て、その複数回の生涯のうちにシダゴン、アナゴンと境界を上げていきます。
「一来」は1回だけこちらの世界にやって来て、その生涯のうちにアナゴンに到達するが、中は大聖者となって多くの人々を救う使命を持って生まれてくる人もいて、こういう人は生きているうちに四沙門果の最終段階であるブッダになってしまう。
「不還」は神仏として、こちらの世界で救済力の行使を行うことはあるだろうが、物理的な人間としてやって来ることは無い。それ故に帰還しない存在、「不還」という。
さて、四沙門果の聖者は、どこから来て、どこへ帰るのでしょうか?
阿含経の出家経というお経に四沙門果の説明があるのですが、例えばシュダオンの説明に、このような文言があります。
三結尽き、須陀洹を得て悪趣の法に堕せず。
决定して正しく三菩提に向かい、七たび天人往生する。
「天人往生」とは、天界と人界を行き来する、即ち天界から人界に生まれ変わってくるという意味になります。
お釈迦様の言行録である阿含経の仏教理論を学べば、この世とは異なる死後の世界があることは自明のことであり、「輪廻転生は無い」「死後の世界は無い」という主張は、絶対に出てこないのです。
漢訳阿含を学ぶ
下記に紹介する書籍は阿含宗開祖が極めて重要と考えている阿含経の解説本です。漢籍原文の阿含経、書き下し文、阿含宗開祖の解説という構成になっています。
上巻
阿含宗開祖がまず最初に知ってほしい「八法十六法」という修行法について書かれた経典がトップバッターとして掲載されています。もしどこかの仏教者が「仏教は自分が瞑想して自分が救われることであり、他者を変えることはできない」と主張していた場合、その説明は完全に誤りであるということを堂々と指摘できる阿含経典です。是非、読んでほしい仏教の本当の教えです。
中巻
「意生身」という、現代の我々が一般的に幽霊と思う存在をお釈迦様がはっきりと認めている経典が掲載されています。お釈迦様は霊魂を説かなかったという一部の人の説明は誤りです。それをこの書籍でご確認いただければ幸いです。
下巻
仏教は道徳・哲学であって、お釈迦様は輪廻転生も死後の存在も認めていないと本気で考えている人は、この本を読んで、今までの自分が何を学んできたのか、改めて考え直してみる機会を持ってほしいです。この書籍は、お釈迦様が認識している輪廻や死生観をテーマにした阿含経典が多く掲載されています。
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